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へっぽこ鬼日記 第八話

第八話 浮かび上がる鏡像
 誰か助けて下さい! と、客間に居た時と同じ事を心の中で叫んだ俺を誰もが理解してくれると思う。
 目の前には、ビリビリに破かれてしまった御札を見て怒っている門番さん。
 その門番さんの後ろにはマッチョで超強そうな年配の武士が二人。
 門番さんは小柄で優しそうな印象だったけど、今は俺に対して激怒していて怖いです。
 武士の二人も門番さんの怒りが伝染したのか、腰の刀に手を掛ける始末。

 もう一度言います、誰か助けて下さい!
 どうやら俺には完全に死亡フラグが立っているようです。
 何とかタイミングを見計らって弁解しないと打ち首ルートだよコレェ!!

「お主がこの札を剥がしたのか……!」

 そう聞かれてしまうとイエスと答えるしかない。
 だって最終的に御札を剥がしてしまったのは俺だから。いや、でも御札を破いたのはユキちゃんなんですけどね?
 しかし俺が真実を口にしてしまうと可愛いユキちゃんが怒られてるので黙秘する事にした。
 今は俺の肩口で毛を逆立て、お爺さん達を威嚇しているユキちゃんを捕まえておこう。
 超怒ってる門番のお爺さんにユキちゃんが飛び掛かって更に酷い事になっても困るし。

 きっと俺には弁解の余地が与えられるはずだ、たぶん。
 理由も聞かずに打ち首は無いだろう、たぶん。
 何とかなるよ、たぶん。あれ、何か自信無くなってきた。

 身体が震えそうになるのを必死に耐え、俺がタイミングを窺う。
 すると幸運なことに、武士の二人が悶々と言い訳を考えていた俺の背後にある二枚目の札を見て門番さんに声を掛けた。


「お待ち下さい、結界の役目を果たしている札は残ったままでございます」
「彼が持っている札は酷似していますが東条の結界札ではないと思われます」
「……何じゃと?」

 門番さんはその言葉に冷静さを取り戻したのか、怒りで真っ赤だった顔に普段の色が戻りはじめる。
 俺が壁になっていたので未だ二枚目の御札が残っている事に気付かなかったようだ。

 チャーンスッ! 俺が御札を無理やり剥がしていない事を説明する機会到来だ!!
 意外に早かった、ラッキー。ありがとう、マッチョ武士さん達!

 この好機を逃すまいと、俺は一歩横にずれて三人に塀の御札が見えるようにする。
 マッチョ武士二人の言葉が真実だった事を把握した門番さんは、俺に話を求めるような穏やかな視線を向けてくれた。
 警戒心や怒りといった感情も徐々に薄れているようにも感じられた。ふふん、安心した俺の口調も滑らかになっちゃうよ!

「この札は重ねて貼ってありました」

 焦りのせいで少し強く握ってしまっていた御札を門番さんに見せる。
 ヒラヒラと風になびくが、ビリビリに破れているので油断すると更に悲惨な事になりそうだ。
 俺に対しての視線は柔らかくなったが、相変わらず札を見て難しい表情をしている門番さんが手を伸ばしてくる。
 が、今以上に破れてしまえば状態が悪くなるだけなので、俺は苦笑しながらその手を避けた。

「お触りにならない方が宜しいかと」

 今は何とか一枚の御札として形を成している。
 だが少しでも裂かれた部分を大きくすれば簡単に分裂してしまうだろう。
 ピタッ、と止まった門番さんの手は皺が深いけど皮の厚そうな大きなモノだった。
 軽く拳を作るようにして、少しずつ手が遠のいていく様子に安心する。

「偽の札を剥がしてくれたというわけか。疑ってすまんかった……」
「そんな、当然の事です」

 しょぼーん、とした雰囲気を漂わせながら謝罪してくる門番さんに俺は慌てて首を横に振った。
 あの状況では、誤解して怒るのは当然で謝罪してもらう必要などないからだ。
 結果的に手打ち無しになっただけで、御札を無断で剥がしてしまった事には変わりない。
 真剣だった門番さんと武士二人の姿を思い出し、塀に残っている御札が本当に大切なモノだったのだと十分に理解できた。
 むしろ、無知な俺が『結界札』という尤物(ゆうぶつ)を図らずも知る事ができたと鳴謝するの外(ほか)はない。

 右手に持った御札を改めて見ると、本当に精巧に作られている事が分かる。
 これだけの出来なら、塀に貼られている本物の御札と見誤っても仕方がないだろう。
 御札を二重構造にする事で何の効果があるのか、俺には分からない。
 だが少なくとも、今回の門番さんのように偽物(ダミー)である御札を本物と間違う事はあり得る。
 その面で二重にしていたならば、今まさに成功したので意味は十分にあったと思う。
 何にせよ、本物の結界札である二枚目が無事なら平和に落ち着く話だったのだ。


 なーんて冷静に分析してみたけど、俺ってめちゃくちゃ危ない橋を渡ってたよね。
 一歩間違えば本当に打ち首確定だったよ。ユキちゃんが二枚目も一緒に剥がしてたら確実にお陀仏だったよ。

 それを想像し俺が内心でガタガタと震えていると、武士の内一人が走って場を離れて行った。どうやら門番さんと武士二人が何かを話し合っていたらしい。
 残された俺達三人を、真上近くに来た太陽が照らす。
 武士さんが走り去って行った方向を何もせず見ているだけでは暇だ。
 ポカポカとした陽気に眠くなってくるが、こんな場所で寝る事は不可能なので目に力を入れて何とか持ち堪える。
 目の開閉を時間を掛けて行う事で、少しだけ眠気も飛んでいくような気がした。




 暫くそうして眠気対策を行っていると、武士の一人が去った方向から近づく三つの影に気付いた。
 彼が走り去ってから左程時間が経過していないので、近くに居た者だろう。
 一つは先程の武士だけど、増えた二つは遠すぎて確認する事ができない。

 やっと肉眼で確認できる距離まで三人が近づいたと同時に、俺は緩み切った気を引き締め、慌てて頭を下げた。
 近づいた影の中に、俺が頭を下げなければならない身分の人が居たからだ。

 現れたのは東条家当主の克彦様と、忍の吾妻さんだった。
 門番さんと対面するように立っている俺を見て、当主様が息を呑んだように見える。

 ひえぇぇ。当主様と吾妻さんまで登場しちゃったよ!
 改めてこの場のメンバーを見てみると、凄い顔ぶれだ。
 頭を下げたままの俺だったが、当主様の指示するような視線を感じて体勢を元に戻した。
 場に当主様と吾妻さんが加わった事で、門番さん・当主様・俺という三角形(トライアングル)が完成する。
 何だか不思議な面子だな、と思っていると――俺の耳にまたもや信じられない言葉が届いた。



「何事でございますか、父上」

 ……え? 何か当主様から妙な言葉を聞いたような?

 普段の明快な口調ではなく、妙に畏(かしこ)まった言葉遣いに自分の耳を疑った。
 混乱する俺の視線の先には当主様と門番のお爺さん。当主様の目は吾妻さん達のような臣下を見るものとは別物だった。

 父上? 誰が誰の? 門番のお爺さんが当主様の?
 現当主の克彦様の父上という事は、もしかしなくても……!
 バクバクと嫌な音を立てている俺の心臓に、吾妻さんと門番さんの会話が大きな衝撃を与えた。

「先代様、本日は何故このような処(ところ)に……」
「ちと克彦に用があったのじゃがな」

 みぎゃー! 父上って、先代様って、当主様を呼び捨てって!!
 つまり俺が門番のお爺さんと思ってた人は当主様のお父上で先代当主様ってこと!?
 ももも門番さんじゃなかったの?
 じゃあ何で昨日は門番さんの格好をして門に立ってたの? まさか先代様も婿候補選考に参加してたとか?
 でも何故チョイスが門番さん。意味わからーん!

 驚きすぎて叫び声を上げるどころか、リアクションすらできない。
 先代当主様という事は当たり前だが前の当主という事で偉い方だ。
 そんな偉い方を門番さんと勘違いした上、心の中でフレンドリーに接していた俺。
 サーッ……と背中が冷えていくのを感じる。
 今までの自分の門番さ……じゃなくて、先代様への行動の中で失礼な事がなかったか考えてみる。
 初対面の時はどうだった?再会した時はどうだった? ぐるぐると受け答えの言葉や態度を思い出すが特別悪いと感じる事はない。…はず。


「結界札の上に偽の札が貼っておったようでのぉ」
「偽の札? ――っそれは本当でございますか!?」
「冗談にもならん嘘は言わん。ほれ、札はそこにある」

 顎でしゃくる様に御札の在り処を示した先代様に促され、当主様の視線が俺に突き刺さった。
 その視線を受けて、俺は手にしていた札が周りに見えるようにした。
 しっかりと確認できたのか、俺に握られている御札を見た当主様は額に手をあて、大きな溜息を吐く。
 決して良いとは思えない反応に胃がキリキリと痛んでくる気がした。俺の精神的なライフはゼロに近い。

「吾妻、藤見から札を」
「――はっ」

 胃薬が欲しくなってきた俺に、当主様に名前を呼ばれた吾妻さんが近づいてくる。
 一定の位置まで歩み寄った吾妻さんは、懐(ふところ)から黒塗りの一段重箱を取り出し俺に差し出してきた。

 ……明らかに懐には収納不可能だと思われる重箱の登場に、目が点になる。
 もしかして吾妻さんの懐は四次元的な空間に繋がっているのだろうか?
 無駄な荷物を持っていないような装いをしている吾妻さんのどこから重箱(それ)が出てきたのか不思議でならない。
 青い猫型ロボットを思い浮かべていた俺に吾妻さんは、痺れを切らせたかのようにズイッと重箱を差し出してきた。
 この箱の中に俺が持っている御札を入れろ、という事なのかもしれない。
 たぶんそうだと判断した俺が躊躇いながらゆっくりと御札を箱の中に入れると、お役御免とばかりに箱が遠ざけられる。

 吾妻さんの手元に引き寄せられた重箱を、当主様が隣から覗くようにして並ぶ。
 ユキちゃんの爪によってビリビリに引き裂かれた御札を見て、当主様と吾妻さんが眉間に皺を寄せた。

「これは……随分と激しい攻防があったようですね」
「藤見、手を見せてみろ。お前も無事では済まなかっただろう」

 いやいや、ユキちゃんが一方的にボロボロにしてたので攻防も何も……。
 確かに特大ジャンプしないと届いてなかったけどお転婆さんには楽勝みたいでしたよ。
 数歩近寄った当主様に有無を言わさぬ雰囲気で無理やり手を引っ張られたが、俺の手は傷一つ存在していない。

「私に怪我はありません。札は簡単に剥がせましたので」
「身体に異変はないんだな?」

 尚も念入りに確認してくる当主様に、首を縦に振って心配ないことを伝える。
 まぁ、本当は俺じゃなくてお転婆娘のユキちゃんが犯人なんですけどね。
 真実を話してもお咎め無しだと思うので暴露しても良いが、何だかそんな空気じゃない。

 ユキちゃんが怪我をしていたら困るので、確認の為こっそり肉球を触ってみる。
 プニプニとした感触に頬が緩んでしまったのは見逃して欲しい。
 どうやら特に怪我はないようでユキちゃんは猫パンチを俺に返してくる。
 くはーっ、マジで可愛いなユキちゃん。 俺はもうメロメロだぜ!


 御札も渡した事だし、そろそろ帰っても良いかな? と思う。
 陽太には城を一周してくると言ったけど、広すぎて気力が削がれてしまった。
 それに可愛い足(あんよ)で顔を洗っているユキちゃんと戯れたい。
 部屋でゴロゴロしながらユキちゃんと遊びたい。ユキちゃんと一緒にお昼寝したーい。

 しかし御札についての尋問? は続くようで、当主様は俺に言葉を投げかけてくる。
 掴まれていた手は放してもらえたが、残念ながら逃げる事はできそうにない。
 当然、無視できるはずがないので簡潔且つ明確に俺は質問に答えた。

「藤見、何故この札が二重だと気付いたんだ?」
「……音が聞こえましたので」
「音?」
「それと、鳴き声も」
「泣き声……!?」

 ユキちゃんが鳴きながら壁に飛び掛かり、御札を破きまくってくれる音がね!
 この小さな体で信じられない程の跳躍力だった。あの光景を見た瞬間に俺の心臓は止まってしまうかと思ったよ。
 小さな体で御札に挑む勇者様(ユキちゃん)の姿を思い出し、少しウンザリする。
 本物の結界札が剥がれていた場合を考えて鳥肌が立った。

「さすがに驚きましたが、最悪の事態は免れたようです」
「そうだな……、助かった」

 互いに安心したような息を吐き、吾妻さんが持つ重箱へ視線を向ける。
 吾妻さんが一段重箱に入った御札を興味深そうに見ていたので、俺は御札の扱いに注意してもらおうと思い声を掛けた。

「その札ですが、迂闊に触らない方が良いと思います。辛うじて今の状態を保っているだけなので、これ以上の刺激を加えますと……」

 そこまで言うと、ガポッ! という音と共に吾妻さんの手で重箱の蓋が閉められる。
 重箱から辿るように視線を上げていき、吾妻さんの表情を窺おうとするが無表情のため意志は読みとれなかった。
 厳重に蓋された重箱の中なら誰かの手によって引き裂かれる事はないので安心だろう。

 だが今の反応は一体何だったのか。クールな印象の強い吾妻さんにしては妙な反応だ。
 もしかして「お前に言われなくても分かってるよバーカ!」みたいな?
 ちょ、地味に傷つくんですけど。俺、吾妻さんに何かしたっけ?

 冷たい吾妻さんの態度に泣き出しそうになっていた俺に、当主様が話題を振ってくれた。
 と言っても、先ほどの尋問の続きのような話なのでテンションも下がり気味だ。



「しかし泣き声が聞こえたなど、不気味ではなかったのか?」
「いいえ、可愛らしい鳴き声でしたので」
「……そうか」

 フフフ、と思い出し笑いをしながら答えると、当主様が苦い顔をした。
 やはり向上し切っていない気持ちで笑うのは薄気味悪かったようだ。
 吾妻さんや先代様達を見ても同じような顔で俺を見ている。

 これ以上、皆さんの気分を害しても良い事は無いので早々に退場させて頂く事にする。
 幸いな事に、追及するような質問は終わりのようで当主様は俺から離れて先代様と話をしていた。
 もし退場できないなら引き止められるだろう。
 そう結論付けた俺は、その場の全員に聞こえる程の音量で声を上げた。

「では、私はこれで失礼させて頂きます」
「あぁ、ご苦労だった」
「今日は部屋でゆっくりと休むと良いじゃろう」
「はい。皆さんも心安らかにお過ごし下さいませ」

 やはり退場する事は何の問題もなかったようで、当主様と先代様が俺に返事を返してくれた。
 俺はペコリと頭を下げて、もと来た道を引き返す。
 当主様達も場所を移動するようで、遠ざかっていく足音が耳に入った。
 その気配に警戒態勢を解いたユキちゃんが肩口から地に降りて、軽く伸びをする。
 再び案内するように、俺の斜め前を歩きだした姿に口元が緩んでしまったのは自然だっただろう。



◆◇◆



 御札事件も色々疲れたが結果オーライに落ち着いたので、青空と同じように俺の気分も晴々としている。
 帰り道は先程の教訓を活かして周りの物に近寄らないようにしたため順調だ。
 ユキちゃんが蝶々を追いかけて庭の花壇に突っ込んだのを止めたくらいで、他に大きな事件は起きなかった。
 若干荒れてしまった花壇を綺麗にして、花に埋もれたユキちゃんを抱きかかえる。
 その拍子で花壇に咲いていた小さな白い花を手折ってしまったが、ポイ捨ては良くないので持って帰る事にした。
 この庭を手入れしている人に見つかったら怒られるかな、とも思ったが、その時は素直に謝ろうと考えただけだ。
 先代様の大激怒を経験したので、少しくらい怒られても物怖じしない度胸が身に付いたような気がする。


 もうすぐ俺に与えられている客間に到着するな、というトコロで陽太の姿が見えた。
 どうやら部屋に入っておらず庭に面した廊下で誰かと話をしているようだ。
 俺の立ち位置からは、相手の後ろ姿しか見えない。だが背格好から年若い女中さんだという事は分かった。

 ひゅーひゅー! 主人(おれ)の居ない間に逢引ですかぁ?
 ただ話してるだけにしては随分と距離が近いんじゃない?
 何だよ陽太、意外とやるじゃないか。女の子をナンパしてるなんて。
 こりゃぁ邪魔しちゃ悪いよね。しかし陽太も年頃の男子だったんだなぁ……。

 と、孫の成長を喜ぶ老人視点で見ていた俺だが目聡い陽太に姿を発見されてしまった。
 物影に隠れて二人を観察しようと思っていた俺の考えは消え去ったようだ。あら残念。

「お帰りなさいませ、恭様。顔色が良くなったようにお見受け致しますが、ご気分は?」
「あぁ、良い気分転換になった。ところで陽太、随分と話し込んでいたようだが……こちらの方は?」

 平然とした顔で質問してみるが、俺の心臓はバクバクだ。
 修学旅行の宿泊先で、恋話に花を咲かせる女子のように気分が最高調だ。
 フハハ! さぁさぁ、陽太よ。照れずに俺に彼女を紹介したまえ!

「恭様から花姫様への文を、わざわざ預かりに来て下さった親切な女中殿です」
「っ……花姫様の傍仕えをしております、千代でございます」

 しかし、相変わらず俺の希望は木端微塵に打ち砕かれてしまった。
 期待に胸を膨らませていた俺だが、陽太は特に気にした様子もなく俺に彼女を紹介した。
 完全に他人行儀な笑顔で俺に女中の千代さんを紹介する陽太から、特別な感情は読み取れない。
 千代さんも千代さんで、その紹介にニコリともせず名乗りながら頭を下げるだけだ。
 …何、もしかして無関係? 俺の早とちり? 二人から全然ピンク色の空気を感じないのですが。

 二人の返答にガックリと肩を落とした俺だが、無言でいるわけにはいかない。
 手紙を預かりに来てくれたという事は、小萩さんの使いか何かだろう。少し時間が経ってしまったけど、遅すぎるという事はない……と思いたい。

「それは申し訳ありません。陽太、花姫様への文は部屋の中にあるのか?」
「いいえ、花姫様への文はここに。丁度、女中殿にお渡しするところでした」

 陽太は自分の懐から手紙を取り出し、俺に渡してきた。
 そのまま千代さんに渡してくれても良かったが、手紙の所在を聞いた手前受け取らないわけにはいかない。
 確認の意味も含めて手にした手紙は、ご祝儀袋のような印象を抱かせるものだった。
 本文が書かれた薄手の紙を、厚手の紙が包む形で成されている。
 お姫様への文となると、黒光りする漆塗りの箱に入れて渡すイメージが強かったのだが違ったようだ。

 安っぽいと思ったけれど、陽太が間違った作法をするはずがないので疑問はすぐに消えた。
 が、この手紙だけでは寂しいと感じるのも正直な感想だ。なので、庭の花壇で手折ってしまった花を手紙に添えてみる。昔の日本では手紙に花を添えて送っていたような記憶があるからだ。
 正しい礼儀なのかは不明だが、贈物の花を貰って気分を害する女の子は少ないはずだ。
 水引のような紐に挟んだ小さな花が揺れて、なかなかに可愛い。


「――……藤見様」

 俺が満足気に手紙を触っていると、千代さんが俺の名を呼んだ。
 その細い体のどこから出ているのかと思わせる低めの声に、己の耳を疑ってしまった。
 俺より頭一つ分以上低い身長の千代さんを見ると、猫目気味の瞳が俺を鋭く睨んでいた。
 どうやら先程の低い声は俺の聞き間違いではなさそうだ。


「一つ、お聞きしても宜しいでしょうか」
「質問によりますが、私でお答えできる事なら。何でしょう?」

 今にも噛みついて来そうな千代さんの言葉に、強制されるように頷いてしまった。
 一応、立場的に客人の扱いを受ける俺が蔑ろにされる事は無いと思うが、こうも敵意を向けられると自信が無くなってくる。
 明らかに好意的ではない千代さんの態度に、陽太も攻撃可能な距離を保っている。
 俺に危害を与えようものならば容赦なく陽太が動くだろう。
 まぁ、少なくとも生命的危機に陥る事は免れるので焦らず質問に答える事にしよう。


「藤見様は、花姫様の事をどう思われていらっしゃるのでしょうか」
「何故、貴女がそのような質問を?」
「貴方の言動には貴方の本意が、心が見えません。戯れならば花姫様のお心を弄ぶような真似はお控え願います」

 ……えーっと? ちょっと待って下さいね。今シンキングタイムだから。
 うん。簡単に訳せばチャランポランな俺のせいで花姫様が困ってるって事かな。
 俺、花姫様に何か悪い事したっけ? 会話すら成立してなかった記憶があるんですけど。
 むしろ広間に居た全員の前で大失恋という醜態を晒してるんですけど。
 この場合、文句言えるのは俺じゃない?号泣して消え去ってもおかしくないよ。


「女中殿、お言葉が過ぎるのではありませんか?」

 思い当ることがなくて返答に困っていると、千代さん以上の低い声で陽太が口を挟む。
 こちらはサービス精神旺盛なようで、子供が泣き出してしまいそうな殺気付きだ。

 うわわ、どうどう。落ち着きなさいよ陽太。
 そう思いながら宥めるように陽太に手を向ければ、陽太はムスッとした顔で殺気を消した。
 自分の主人を馬鹿にされて怒る気持ちは分かるけど、沸点が低いのは命取りだ。
 十代なら若気の至りで許されるかもしれないが、大人はそう簡単に許されない。
 もちろん、それは俺に良いとは言い難い態度を取っている千代さんにも言える事だが。

 正直、何で初対面の千代さんにこんな事を言われるのか分からない。
 俺の本意が見えない? 俺の心が見えない? 戯れを控えろ? 弄ぶのを控えろ?

 何を言っているのだろう、この子は。
 俺の本心が見えないのは当たり前じゃないか。
 俺は広間で花姫様に気持ちを打ち明けてから誰にもこの話をしていない。

 戯れだとか、弄ぶとか言われるのも心外だ。
 たかが一目惚れ。されど一目惚れ。
 花姫様を見て一瞬で彼女を好きになった。今まで『一目惚れ』という恋の仕方に理解を持っていなかった俺が、だ。
 俺の気持ちは他人に口出しされるほど軽い物ではないし、口を出されるのは不愉快だ。
 いい加減な気持ちで人を好きになんてならない。愛そうとは思わない。

「心のままに行動しない私が花姫様を軽んじているように見える、という事ですか」
「私はそのように受け取らせて頂きました……!」
「本意というものは、他人に読み取らせるものでは無いと思いますが」
「っ、では、やはり花姫様の事を……」
「それを貴女に答える必要がありますか?」

 そりゃあ、花姫様の事は今でも好きだし諦めるのは悲しい。
 だからと言って、俺の気持ちを簡単に他人に言う必要なんて無いと思う。

 こんな俺から気持ちを聞きだして何が楽しいのか。
 花姫様の傍仕えの女中なら俺がどのように玉砕したか知っているはずだ。
 それでも俺の古傷を抉るような真似をするのが鬼一族の礼儀なのだろうか。

 ……いや、意外とあり得る。
 失恋で出来たばかりの傷を抉って楽しむのが鬼一族流の慰め方とか?
 皆で失恋したヤツを囲んで指さして大笑いする事が最高の慰めとか?
 こ、怖えぇぇ! なんて荒療治だ、容赦無いな鬼一族!!
 ヤダヤダ、そんなのは絶対に嫌だ。
 俺のナイーブな心はボロボロだ。きっと立ち直れない。

 とにかく、一方的に俺を責めて俺の気持ちを聞き出そうとする事はフェアじゃない。
 何故第三者に首を突っ込まれて屈辱を受けなければならないのか。

「花姫様が私の事をどのように思われていらっしゃるのか、それを千代殿が包み隠さず話して下されば私もお答えしますよ」
「っ……!」

 ほら見ろ、言葉に詰まった。
 自分の主人である花姫様の事をベラベラ話す家臣なんか居ないだろう。
 つまり千代さんも第三者である自分が花姫様の事を語るべきではないと理解しているのだ。

 主従愛があるのは分かるが、過度な情により俺が火の粉を被るのは遠慮したい。
 主人と一線を引けとは言わない。逆に近づけとも。
 ただ、陽太のように己の立場を理解した行動ができてこそ従者を名乗るべきだと思う。

 感情だけで主人の意向に沿わない事をして誰が喜ぶのか。
 その場で自己満足を得る馬鹿な従者以外、何の有益も生まれない。
 関係する全てに影響を与える行動を取られるくらいなら自分から動く方が良い。
 第三者によって引っ掻き回されるくらいなら、直接会って話をした方が何倍もマシだ。

「もしくは、花姫様とお話する機会を頂きたいですね。他の婿候補の方々との逢瀬で、ご多忙な花姫様とお話する機会を」

 これだけ率直に言えば、千代さんも気づいてくれるだろう。
 俺が他人に恋愛事をベラベラと話すような者でない事に。

 感情に任せて暴言に近い行動を取った己に。
 花姫様へ向けた俺の気持ちがいい加減なモノでない事に。
 その気持ちを勝手な解釈により踏みにじられ、俺が不愉快だと感じた事に。
 そして今まさに、主人である花姫様の株を大暴落させようとしていた自分の失態に。

 これ以上無駄な話し合いをしていてもキリが無いと判断した俺は、自分の行動に後悔しているであろう千代さんに花姫様宛ての手紙を差し出した。
 震える手で手紙を受け取った事を確認し、控えたままだった陽太に指示を出す。

「陽太、千代殿はお帰りになるそうだ」
「――はい、お送り致します」

 小萩さんに言われて俺の手紙を預かりに来たのであれば、結構な時間が経過したはずだ。
 これ以上、長居をしてしまえば千代さんに雷が落ちると思うので帰るように誘導させてもらった。
 陽太も俺の主旨を理解しているようで、千代さんに歩みを進めるよう促している。


「あぁ、そうだ」

 力無く小さな一歩を踏み出した千代さんに、俺は後ろから思い出したように声を掛けた。
 悔しさで唇を噛み締めている千代さんと視線を交差させる。
 こういう性格の子は、言葉を耳にするだけでは改善しようとしないだろう。
 視線を合わせて本当に理解しているかを確認して、解放する方が有効だ。

「余計な事かもしれませんが、貴女は少し口の利き方に気を付けた方が良い」

 まったく、可愛い女の子なんだからツンツンしてたら損だよ。
 もちろんツンデレ好きの受けを狙ってるなら話は別だけどね。
 でも千代さんてデレの要素が皆無だな。ツンツンだよ。

 散々冷たい態度を取っておいて何だけど、このまま別れるには後味が悪すぎる。
 だから俺は落ち込んでいる千代さんが安心してくれるよう、出来るだけ優しい笑みを向けてみせた。

「頭の良い貴女ならば、この言葉の意味がわかりますね……?」

 他の誰かに注意されたら、小萩さんに怒られてしまうと思うしね。
 バレる前に直せば大丈夫だから、そんな不安そうな顔をしないで欲しい。
 ハハハ、脅した俺が言うなよ!って感じだけど。

「花姫様に宜しくお伝え下さい」
「……賜りました」

 俺に向かって深い礼をした千代さんの顔は、少しだけスッキリしていたように見えた。
 陽太と並んで廊下の先に消えていく後ろ姿だけでは、もう表情を伺う事はできない。
 とりあえず、次に顔を合わせた瞬間に殴り飛ばされるという事は無いだろう。
 本当に嫌いな人に会った時って、冗談抜きで殴りたくなるらしいからね。

 二人の姿が曲がり角で見えなくなった後、俺は大きく伸びをしながら部屋に入ったのだった。



◆◇◆



 しばらくの間は部屋でゴロゴロできると思っていたのに、三分もしない間に陽太が部屋に戻ってきた。
 思っていたよりも早い帰りを疑問に思い、半ば横になるような姿勢を起こして陽太に質問をする。

「何だ、早かったな」
「角を曲がったところで彼女を迎えに来た者と会いましたので」

 迎え、という事は千代さんの女中仲間だろうか。
 その人も小萩さんに言われて千代さんを探しに来たのかもしれない。
 そう考えると、引き止めていた事が更に申し訳なく思えてくる。
 俺も少し冷静さを欠いていたので受け答えがキツかったかもしれないなぁ、と反省する。
 あ、そうそう。キツイ態度と言えば、俺が来る前の陽太の態度も友好的ではなかったと思う。
 ニコニコとした子供のような笑顔しか知らなかったので、陽太の別の一面を知った瞬間だった。

「しかし陽太、随分と容赦のない態度だったな」
「そうでしょうか? 恭様もお気づきだと思いますが、彼女は女忍です。客人である我等に危害を加える事は無いと思いますが、嗅ぎ回られるのは……。あまりにも行動が目に余るようでしたら黙っていないという旨を伝えただけですよ」

 やっぱり陽太も怖ええぇぇぇ!!
 丁寧な言い方してるけど、『ムカついたら殴り倒す』って事だろ!?
 ちょ、おま、相手は女の子だよ、お前より年下の可愛い女の子だよぉ!?

 というか、千代さんって忍だったの?
 ゴメン陽太。随分と俺を過大評価してくれているけれど、全然気づいてなかったよ。
 ちょっと気の強い女中さんだから小萩さんの血縁者だと予想してたんだけど。

「恭様も少し冷たい対応をなさっていたようですが?」
「あの場合は仕方ないだろう」
「確かに。藤見の地には忍が居ませんので扱いには困りますね」

 え、それも初耳ですけど。
 へぇへぇへぇ、藤見には忍が居ないんだ?
 戦国っぽい世界と忍者って俺の中でイコールで繋がっていたから、何だか真新しい発見で嬉しい。
 たぶん、藤見家の従者は陽太の家だけで良いって意味なのかな。本当に仲良しだなぁ。

 思わぬ話題から藤見家の事が聞けて嬉しくなった俺は良い香りのする畳を何度か転がった。
 今までどこかに姿を消していたユキちゃんが再び現れ、転がる俺を追いかけてきた。
 畳にうつ伏せに寝た俺の背に乗り、バリバリと背中を掻くユキちゃん。
 加減を知っているようで痛みは感じず、着物が破れる事もない。


 あああああ、癒されるぅぅぅ!!
 今日はユキちゃんと陽の差し込む畳の上で昼寝決定だ。

 そう決めた俺は、体勢を仰向きに変えユキちゃんを腹の上に乗せる。
 ユキちゃんも大きな抵抗は見せず、感触を確かめた後に寝るために丸まった。
 ポカポカ陽気の中、俺は意識が眠りの底に堕ちていく幸せを感じるのだった。

 そんな俺の傍らで、陽太が書道道具を片付けながら楽しそうに笑っていた事に気付かず――……


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