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へっぽこ鬼日記 第四話

第四話 雲隠れの仮面
 シン、と静まり返った広間には俺以外の全ての視線が一箇所に集まっていた。
 視線の先にはもちろん俺。ゴキ様を全力で拒否った情けない俺。そして俺の視線の先にはフラフラしている二人の忍者。
 何故こんな状況になっているのかは分からないが、この忍者達は体勢を立て直し次第俺に飛び掛って来そうな気がする。

 ヤバイ。俺の人生はもうすぐ終了(おわり)だ。
 俺みたいな一般人が忍者なんて洗練された人達に敵うはずない。
 逃げ出す? 逃げ出しちゃう? 忍者に追いつかれて瞬殺に決まってる!
 それとも平謝りしちゃう? 床にデコ擦り付けて謝っちゃう?
 よし土下座だ。スライディング土下座しか方法はない。準備万端だ。

 少し前屈みになって何時でも土下座できる体勢になった俺と同じように、俺と向かい合っていた二人の忍者が前屈みになった。
 その体制を見て、まさか……と目を細めてしまう。

 に、忍者さん達、まさかの土下座返しですか!?
 俺が後悔しているのと同じように、忍者さん達も何か思い当る事があるのかな?
 いいよいいよ、じゃあお互いにゴメンナサイして全てを終わらせよう! あっ、でも勢い余って頭がぶつからないように気をつけないとね。
 俺は右斜めに向かうから、忍者さん達は左斜めでお願いしますね。
 ……ん?向かい合ってる状態だと結局同じ方向に移動して頭ゴッツンしちゃう!
 あぶねー。痛いの嫌なんでお互いに右斜めに向かいましょう。よーし、宜しくお願いします。

 せーの! と、覚悟を決めて踏み込む足に力を入れた、その瞬間だった。

「止めよ」

 俺を制するように、低くて渋い声が広間に響いたのは。
 開いたままの煌(きら)びやかな襖(ふすま)の先に、三人の男の姿があった。
 中央には藍染(あいぞめ)の着物をラフに着流した長身の美中年。両サイドには強面の武士。
 俺とその三人を繋ぐ延長線上に居た者達は左右にわかれ、道を作る。
 呆気に取られている俺を他所に、美中年はニヤリと笑って歩みを進めた。

「血気盛んだな、藤見の」

 か、カッコイイー!! 俺が女の子なら絶対惚れる、女の子じゃなくても惚れるっ。
 誰ですかこの素敵な方は! 俺の家名を呼び捨てという事は結構な地位、の……――!?

 そこまで考えて、俺は慌てて美中年に跪(ひざまず)いた。
 言葉を紡ぐと同時に、頭を下げ床と睨めっこする。
 俺に続くようにして数人が美中年に跪いて頭を下げたのを感じたが確認するに至らなかったが、理由なら明白だ。

 この美中年、東条家の当主だ。
 周りの目が、空気が、威厳溢れる彼の存在自体がそう言っている。最初に広間に入ってきたダミーさんなんか比べ物にならない。
 つーっと、嫌な汗が背を流れる。
 少しでも失礼な事があれば両隣の武士に切り捨てられるかもしれないという不安にかられながらも、謝る事を考えて口を動かす。
 その声は、意外にも震えていなかった。


「立場を弁(わきまえ)えず無礼を働きました、申し訳ありません」
「構わん。どう見ても落ち度は東条の忍にある」

 セーーーフッ!! 美形で心の広い当主様は怒ってない模様です!
 そりゃそうだよね。ちょっと騒がしくしたくらいで斬捨てるなんて。戦国時代じゃないんだから! ……戦国っぽい世界だけど。
 でも何で忍者さん達に悪い所があるんだろ。
 忍者は姿を見せずに忍んでないとダメ! という掟があるとか?
 それとも俺みたいにゴキ様にビビった事が怒られる要因になっちゃうとか?


「克彦(かつひこ)様、ご登場が遅すぎるのではありませぬか?」
「そう言うな、小萩(こはぎ)。随分と人数が絞れたじゃねーか」
「このような事態は想定しておりませぬ」
「非のない藤見に矛先を向けたのが、そもそもの間違いだ」

 下げたままの頭を微妙に動かして前方を窺えば、腕を組んだ姿さえ素敵な当主様。
 その克彦と呼ばれた東条家当主様の隣に、あの初老の女性が控えて会話をしていた。

 名前は小萩さんというようだ。
 相変わらずピンと伸ばした背筋が凛々しく見える。
 当主に気後れせず会話している様子を見るに、小萩さんは使用人の中でも偉い人かもしれない。
 女中頭とか、代々の当主に仕える教育係とか。き、厳しそう……。きっと箸も持ち方が違ったりしたら手を引っ叩かれるんだ。

「克彦様、まずはお座り下さいませ」
「あぁ」

 おっと、その前に。と、陽気な雰囲気を纏わせていた当主様が朗らかに微笑んだ。
 しかし眼だけは、眼の奥だけは非常に冷たいものを含んでいる状態で。
 もちろん、その口から紡がれるのも対象者にとって残酷な言葉だった。

「忍に縛られている者、忍と連れ立って城に来た者は追い出せ。門前払いになった者や城に辿り着けなかった者の家にも伝えておけ。道楽息子の教育に力を入れよ、東鬼の名を背負う覚悟のある者に家名を継がせよ、と」

 身体の底から冷えてしまうような声、とはこういう事を言うのだろう。
 素敵な笑顔と底冷えする声のミスマッチにより、一瞬空耳かと疑ったが紛れも無く発生源は彼だ。
 再び逃げ出したい気持ちが湧き上がってきたが、俺が行動するより早く動いたのは忍者さん達だった。
 シュッと音がしたと思うと、忍者さんに縛り上げられていた人達と、俺と同じように若干顔を青くしながら事を傍観していた数人が一瞬にして広間から消えた。
 一人単身で頭を下げていた陽太は自分の近くに居た数人が消えた事に、見ている俺が思わず噴出してしまいそうな程愉快に驚きの表情を浮かべていた。
 さすがだ同胞。ビビリ精神が際立ってるぜ。

 忍者さん達は当主様の言葉を遂行したのだと思うが、俺には意味が分からなかった。
 歴代当主の教育係である小萩さん(俺の中で決定した小萩さんの設定だ!)に愚かにも
抜刀して斬りかかろうとした人達が追い出されるのは分かる。
 しかし『忍と連れ立って城に来た者』とはどういう意味なのだろうか。
 自分の従者以外に、東条の忍が道案内でもしてくれたという意味なのか。
 いいじゃないか道案内。俺なんか迷子になってたんだぞ?
 相変わらず俺の解釈では補えない世界なのだと痛感せざるを得ない。



 そうこうしている間に、小萩さんに言われて上座へ移動した当主様は俺達に横一列に並ぶよう指示し、何度見ても美形としか表現できない顔に楽しそうな笑みを浮かべた。
 ちなみに俺は一番端に座っている。当主様の真前(まんまえ)(つまり真ん中)なんか座れないよ。だって緊張しちゃうもん。

「結局、残ったのは四家か。予想通りだな」

 ぐるりと広間に居る使用人以外の主従の人数を確認して、当主様は更に目を細めて笑った。
 その増した微笑の意味が理解できない俺達は疑問に思いながら言葉を待つしかない。

「まずは皆、東条の城へよく来た。歓迎しよう。知っていると思うが、俺は東条家現当主、東条克彦。お前達を試すような真似をして気を悪くさせたな。だが東条家が名家出身の若者を呼んだ事に目的がある事は既に気づいているな?」

 短く返事をする人や、コクリと首を動かす人によって当主様に肯定の意が返された。
 ……え、そうなんですか?
 すみません、世界観の違いのせいか全く気づいていない奴(オレ)が居たんですけど。詳しい説明をお願いしたいのですが……あの、空気読めなくてすみません。

「今回、東の名を馳せた家に、本人には目的を伏せた上で息子を遣わせろと通知した。だが名家と言えどもボンクラに用はない。目的はただの顔合わせではなく……小萩」
「……目的は、東条家の姫君、花姫(はなひめ)様の婿殿を選ぶ事でございます」

 常に楽しそうな表情の当主様と、相変わらず淡々とした口調の小萩さんが説明と目的を述べた。
 ザワッと周囲の空気が揺れ、藤見家以外の主従が互いに顔を見合わせるのが視界の端に映った。
 俺も陽太と「マジで!?」と言い合いたい所だけど、今は黙っている事にした。
 たぶん、お互いに状況がイマイチ理解できていないと思う。理解できていない者同士だから珍妙(トンチンカン)な事言って、場の空気を壊してしまうかもしれない。
 うん。俺達は後で話す事にしよう、今は自己解釈の時間だ。我慢だぞ陽太!

 しかし、む、婿殿か。言葉にするだけでも恥ずかしい。
 ただの顔合わせじゃないという事は、つまり早い話が集団見合いって事だよな? 見合いの前に本人が気づいていない間に選考があったみたいだけど。
 すげぇな。そんな事が自分の身に起こるなんて信じ難い。さすがパラレルワールド!

 なかなか自分に起こらない出来事に直面した俺は妙に感動し、思わず真剣になって話を聞き入ってしまった。
 詳細を求める俺達の空気を読んだ当主様は、小萩さんの言葉に続いて口を開いた。

「花を手に入れれば、東条家の次期当主は確実になる。東鬼一の名と権力が欲しければ、己が東条家の婿に相応しいか説き、花を口説き落とせ。だが心せよ。力技で己の物にする事だけは許さん」

 そんな事をしたら殺すぞ。
 言葉にはされなかったが、当主様の眼は明らかにそう告げていた。

 一瞬にして真面目な表情になった当主様。それだけ言葉が本気な事を明確にしていて、俺達への圧力になっている。
 だが当主様が瞳で語った前の言葉に、突き動かす何かを含んでいるのも事実だ。

 東鬼一の名と権力。
 つまりそれは、事実上の頂点(トップ)となって君臨し、あーんな事やこーんな事が何でもできちゃうわけだ。……ごめん、具体例が思いつかなかった。
 でもまぁ、鬼一族のトップって何が楽しいのか不明な俺には魅力が感じられないんだけど、他の人は何か目がギラギラしてるんでやる気満々みたいだね。

 どちらかと言えば、俺は遠慮したい気分です。
 ホラ、何かとトップって大変でしょ? 部下の尻拭いとか責任問題とか。平(ひら)でいいよ、俺は。
 毎日平和にボケーっと過ごせれば良いよ。ドロドロと金や権力や欲にまみれた暮らしって嫌だし。平和が一番!

 広間中に漂うやる気に全くと言っていいほど影響されず、一人のほほんとした思考の俺。
 外も暗くなってしまったので、婿の件をお断りするタイミングをどうしようかな、と考え出した。


「花には明日の朝にでも会わせてやる。暫く城に滞在してもらう事になるから各自部屋を用意しておいた。食事は部屋に運ばせるから後は好きにしろ。今日のところは以上だ、では解散!」

 まるで遠足の解散宣言のように最後の一言を高らかに言い放った当主様は、多忙なのか広間を足早に出て行ってしまった。
 残された俺を含める四家の主従は互いに会話をする間もなく、当主様と入れ違いで入ってきた女性の使用人達(女中さんかな?)に案内されるまま広間を後にした。
 どうやらお泊りの許可が出たようなので、今日はお言葉に甘えようと思いまーす。






 案内された部屋は落ち着く和室で、予想通りかなりの広さだった。
 女中さんの話によると主従で部屋を分けてくれているらしく、陽太は隣だと聞いた。

 丁寧に頭を下げて退出する女中さんにお礼を言って、俺は部屋を見回す。
 広い、という以外は特に目立った要因のない部屋は少し寂しく感じられる。
 何気なく天井に目を向ければ、木目がいくつも確認できる事に気づいた。
 行燈(あんどん)に灯された火だけで夜を過ごさなくてはならない事に微かな不安が湧く。
 寝るときに木目を見ていたら、きっと人の目や異形の妖だと脳で認識してしまうかもしれない。
 安眠妨害極まりない。くっ……怖いから、うつ伏せで寝る事にしよう。

 もちろん、怖いだけではなく他の理由もある。言い訳じゃないぞ?
 木目は何故か、常に誰かに見られているような感覚を覚えてしまうのだ。

「監視されるのは嫌いなんだが……」

 文句を言える立場じゃないしなぁ。
 はぁ、と短い溜息を吐いたと同時に、背後から陽太の声が聞こえた。

「恭様、夕餉(ゆうげ)はすぐに運んで下さるそうですよ!」

 振り返ると妙にキラキラした笑顔の陽太を見て、俺は疲労感が増す思いになってしまった。
 テキパキと俺の着替えやら、自分が持ってきた俺の生活用品を部屋にあるタンスに片付けていく姿は従者というよりお嫁さんのようだ。見た目、不良だけど。
 将来、良い主夫になるよ……と思いながら俺は適当な場所に腰掛けた。
 お茶を煎れますね!なんてウキウキしながら言う陽太は、先ほどまでの広間の空気を忘れたかのようにペラペラと話を始めている。
 俺が聞いていなくても気にしない空気さえ漂う。どうやら重々しい空気が嫌だったようで、ウズウズしていたらしい。

「旦那様は全てをご存知だったので恭様にご命令なさったのですね。兄様達にはご婚約者様がいらっしゃいますので、適任だと判断されたのでしょう」

 へー、お兄さん三人には婚約者が居るんだ。家族の話題は今後の俺の生活に嫌でも関連してくる事だから覚えておこう。
 できれば親兄弟の容姿を教えて欲しいところだが、不自然なので聞くのは躊躇(ためら)ってしまう。
 もともと放浪息子のようなので、可能な限り藤見家には近づかないように心がける予定だが。


「でも恭様、明日から大変になりますね」
「ん――……?」
「他三家の方々は気合十分という感じでした。それに比べて恭様は相変わらず冷静な顔をされてたので……。もしかして、今回のお話はお気に召されていないのですか?」

 俺はお見合いより恋愛結婚派である。
 結婚する人は自分が誰よりも好きになった人でないと嫌だ。
 とにかく相手を知らなければ話にならない。
 特に俺は、他三家のように権力や名に魅力を感じていないのだから。

「花姫様と言えば東西南北の鬼一族でも一、二を争う程の美女だそうです」

 ……………………それ本当?
 うん、相手を知らなければ話にならないよ。そうだそうだ。会ってみなくちゃ何も判断できないよね。
 そうか、美人か。当主様も美形だもんね、お姫様も美人に決まってるよね。

 うおおぉぉ、やる気出てきたぞぉぉ! 明日の朝が楽しみだ!!
 藤見恭、明日は美女と名高いお姫様とお見合いしちゃいます!!

 少し気難しい方だそうですが、という陽太の呟きはハイテンションになっていた俺の耳へは届かなかった。

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