忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

へっぽこ鬼日記 幕間三

幕間三 小萩視点
 藤見恭という若い男鬼は、最初の印象で既に東条家の者に優位な印象を与えていた。
 使用人に対してでさえ、丁寧に頭を下げる姿は礼儀を重んじている者の証。
 婿候補達を集めた広場でも偽の当主に全く反応を示さない堂々たる態度。
 公の場で抜刀した愚かな婿候補の一人に対して浮かべた思惑の読み取れない微笑。
 決して弱くはないはずの東条の忍を一撃で仕留めてしまう程の体術。
 優秀な東条の鬼と比較しても引けをとらない。否、それを上回るかもしれないと思った。

 そして先ほどの顔合わせの席は完全に彼の一人勝ちだ。
 他の婿候補のような気の利いた挨拶や言葉もなければ、贈り物もない。
 時折見せる外向けの笑顔からは意思が全く窺えず、悪い意味で目立っていたはずなのに。

『東鬼の長になるより、花姫様が何を好み、何をすれば貴女に恋をしてもらえるのかを考えました』

 まっすぐに花姫様を捉えた瞳は愛しい者に対する恋情の色を浮かべ、零れる言葉は心の芯から熱くなるほど情熱的で甘美なものだった。
 東条家と並ぶ程の名家出身の彼が、鬼の姫としての役目を持つ花姫様を理解していないはずがない。
 それでも彼は地位や役目という柵(しがらみ)に囚われず一人の鬼として花姫様を見ていた。

『私は花姫様の求める東鬼の長という道とは違う未来を望みました。貴女を心から慕い貴女に心から慕われる関係となって婚姻を結びたいと。春には各所の桜を愛で、夏には潮騒を聞く事を。秋は紅葉が彩る道を共に歩み、冬は寒さに身を寄せ合う未来を。そんな他愛もない、私と貴女で共に過ごす時間を心に描きました』

 彼の言葉を聞いた花姫様の瞳が大きく揺らいだのが分かった。
 地位や権力、役目を目的とせずただ一心に愛や恋を求める存在に動揺している。
 率直で甘い言葉は大人に成りきっていない花姫様の心に響いている事だろう。
 花姫様の鋭く澄まされていた瞳は徐々に渇きを潤し本来の優しいそれに戻る。
 それはきっと、歓喜と戸惑いに震えを感じているからだ。

『どうやら既に花姫様は慕わずとも婿を迎える覚悟が御有りのようですね。婚姻から始まる恋もあると聞きますので、宜しいのではないでしょうか』

 しかし、途端に熱を無くし冷め切った瞳に背筋が寒くなった。
 あれほどにまで花姫様を求める眼をしていたのに、瞬時に切りかわった瞳と表情、そして声色に。
 広間という一つの空間の支配者となっている彼の言葉に誰も口を挟む事ができなかった。
その冷たい眼に射抜かれてしまうのではないかという錯覚さえ覚えた。

『しかし私は慕われぬ状態で婚姻を結ぶ事は万が一にもありません。先ほど私が申し上げた話はお忘れ下さい。花姫様の妨げになるでしょう。東鬼の長を目指す強い意志もない私がこの場に参じているのは場違いかと』

 ゆっくりとした動作だが、今にも場を去ろうとする彼に再び背筋が冷えた。
 縋るように花姫様の手が伸ばされても、彼にその動作を停止する意志は窺えない。
 この若い鬼を失った後の花姫様の姿が私の脳裏に描かれ、金縛りを振り切るように体が動いた。
 彼は花姫様にとって必要な者だ、何が何でも去る事だけは阻止しなくては、と。
 逃がさない、逃がすものか。やっと現れた花姫様を心から想ってくれる存在を。


 その後は畳み掛けるように見合いの場を終わらせ、それ以上彼に発言権を与えないようにした。
 頭の良い彼ならば辞退させまいという思惑には気づいている。
 無理に辞退の発言を続けなかった様子から同日の内は同じ行動を取らないと思って良い。
 まずは先に退室して頂いた花姫様のご様子が心配だ。

 克彦様と分担して今後の動きを観察しなくてはならない。
 恐らく危機感を募らせた他の婿候補達も何らかの動きを起こす事だろう。
 部屋に残してきた彼も明日以降は十分に気を配っておかなくては……。
 そう、対策を練らねばならない問題は山積みなのだ。



「克彦様、あのような方がいらっしゃるのに何故見合いなど……!」
「無茶を言うな小萩、俺だって藤見の事は最近知ったんだ!」

 見合いの場から退出して克彦様と共に長い廊下を音も立てず直走(ひたはし)る。
 普段ならば行儀が悪いと咎めるところだが、今はそんな事に時間を割いている場合ではない。
 返答は分かっているのに克彦様に進言してしまうのは、東鬼の名家中から若い男鬼を集めた事が無駄に思えてならないからだ。

 婿候補達の事は数日前に花姫様へ届けられた書筒を確認して知っていた。
 彼等の情報がまとめられた書筒(それ)には、特に優位だと感じる者は存在しなかった。
 むしろ、少し時間を掛ければ誰でも調査できる内容に情報収集を担当した者の能力の限界が知れて落胆した記憶さえある。

 しかしながら、確かに藤色の書筒に何の印象も抱かなかったと言えば嘘になる。
 他の書筒と比べて、あまりに記載内容の量が少なすぎたのだ。
 収集に応じる可能性が無に等しいので特に気にしていなかったが、あのような器量を持った者が現れるとは想定外だった。

「とにかく、藤見だけは候補から外す事も辞退させる事も許すな。アイツは東条家……いや、東鬼にとってこの先現れるかどうかの逸材だ」
「東鬼は関係ありません。花姫様にとって必要な方だから引き留めるのでございます」
「小萩、俺も花の父親だからそんな事は百も承知だ。花を鬼の姫という呪縛から解放してくれる唯一の存在になる事も」
「ならば花姫様より東鬼を引き合いに出すのはお止めになって下さいませ」
「あぁ、悪かった。だが婿を求める東条の老臣達を黙らせる為には藤見の力が何より重要だ」


 東条の老臣達――。
 それは先々代、つまり現当主の克彦様の祖父の代に忠誠を誓った重臣3名を指していた。
 先々代当主様を亡くしてから数十年になるが、未だに大きな権力を持っている。
 東条に魂による絶対の忠誠を誓っているため謀反を起こすという事は無いが、彼等の忠誠が先々代当主様に固執しすぎて今の東条では浮いている事が明らかだ。

 先代当主様も現当主の克彦様も彼等への対応に困り果てていた。
 時代に即さない発言だが正論を述べるため邪慳(じゃけん)にはできない。
 東条を思っての発言であり行動でもあるので咎める事も難しい。
 老臣達は時に勇猛で、時に賢く気高い先々代様に心酔していたと聞く。
 それが先代様と克彦様に無いとは言わない。ただ、彼等の眼で見ると絶対的な主人である先々代様には敵わないのだ。

 そして、そんな考えを持った老臣達は東条家の『一人娘』を許さなかった。
 女鬼の身では東条の跡目を引き継ぐ事はできない。しかし分家より地位と権力がある。
 『一人娘』は彼等にとって待望したものではなかった。望んだのは『世継ぎ』。
 弟君が生まれれば問題回避になるが、花姫様の母君である奥方様は出産後に体調を崩されてしまった。
 克彦様は奥方様お一人を妻として迎え、側室は迎えていない。迎える気もない。
 名家の出身ではない奥方様を迎える時点で老臣達の強い抗議があったが、体調を崩された事により奥方様への反発は更に強まった。

 事あるごとに克彦様へ『側室を迎えろ』と進言し、克彦様と奥方様へ重圧をかけた。
 年々増え、酷くなっていく老臣達の過剰な言葉に次世代の忠臣達は限界だった。

 誰にも止める事ができなかった。
 誰もが東条に亀裂を走らせるのを恐れた。
 恐れに負けた東条の鬼への天罰だろうか。
 そう、それは最悪の結果に結びついてしまった。
 齢十にも満たない花姫様がご自分で運命を定めてしまう最悪の結果へと――。


『東鬼に過去最高の繁栄を齎(もたら)して下さる方を夫とします』

 奥方様譲りの美しい容姿と、克彦様と同じ意志の強い瞳が老臣達を黙らせた。
 東条の重臣達が多くあつまる公式の場で、小さな姫は咲き誇る花のように気高く告げた。

『東鬼一族の長として相応しい方を愛し支えます』

 恋や愛に憧れを抱き、同年代の鬼達と戯れるべき小さな姫は未来を閉ざした。
 未だ見ぬ『東鬼の長』を、心ではなく頭で理解して愛する事を誓った。
 花姫様の姿は円熟した優美。同時に、今にも壊れてしまいそうなほど儚いもの。

『皆(みな)で共に私の夫となる方を、東鬼の長に相応しい方を選ぶ事をお約束します』

 次期の東鬼一族の長を選ぶ事に介入(かいにゅう)を許された老臣達は否応無しに頷いた。
 満足気な表情の老臣達と彼等を支持する者達が去って花姫様を皆が囲むと、多くの希望ある夢や未来に溢れていた瞳は悲しみの色に染まっていた。
 老臣達の言葉は気にするな、という克彦様の言葉に花姫様は首を横に振るだけ。

 老臣達に底知れぬ怒りを感じていた者達は拳を震わせて、己の不甲斐無さを悔やんだ。
 もっと早く恐れに負けず行動していれば避けられたはずの事態に涙を零した。
 そんな私達を元気付けるように微笑んだ花姫様の切なく優しい笑顔が脳裏に浮かび上がる。

 あの日、あの時。
 幸せとは程遠い運命の旅路へ、小さな姫は足を進めてしまった――。




 胸に刻んだ記憶を思い出し、ギリッ……と奥歯を強く噛締めながら克彦様を見る。
 花姫様と見合いを行った婿候補の情報は必ず老臣達にも届く。
 今この瞬間も彼等は婿候補(エモノ)を狙って暗躍している可能性があるのだ。

「克彦様、その旨(むね)は如何(いかが)なさるのですか」
「藤見が婿の最有力候補だと知れば、近い内に行動を起こしてくる。求められるのは鬼の能力に限らず難題に対する機転や上に立つ者としての素質だ」
「老臣達の話を藤見様にする事はお避け下さいませ。東鬼の長という地位に関心のない藤見様には得策ではないと思います」
「それは当然だが策が無い。俺は早急に吾妻や他の家臣と老臣達への対策を考える。勝手な接触を謀(はか)られて、花を含めた東鬼全ての命運を背負った男を年寄りの意地や気紛れで潰されては堪らないからな。悪いが花の事は任せた。花の気持ちを優先して対応を考え促してやってくれるか」
「はい、もちろんでございます」

 一瞬だが、明日にでも藤見様が帰省してしまう不安が過(よぎ)ったが即座に掻き消えた。
 名家出身の者ならば去る前に挨拶をする礼儀は弁(わきま)えているはず。
 彼が帰省を申し出たとしても、何らかの理由を付けて引き留める事は簡単だ。

 老臣達の対策と藤見様への対応は克彦様に任せよう。
 男手に比べると、悔しいが女中の身でできる事は限られてしまう。

 今はとにかく、克彦様に命じられた任を遂行する事に意識を集中させる。
 花姫様の様子を伺って対策を考えなくてはならない。
 初めて想いをぶつけてきた相手に困惑し、そんな相手を逃(のが)してしまうかもしれない事態を招いた自分の行いを後悔しているはずだ。
 悲しそうに美しい顔(かんばせ)を歪めているであろう花姫様の姿を想像して、東条の忍頭である吾妻の元へ向かうという克彦様と別れ、花姫様の部屋へ急いだ。

 見合いの席ではあのような態度だった花姫様だが、本当のお姿は美しく優しいお方。
 鬼の姫という高い地位にも関わらず、私達使用人にも良くして下さる。
 その証拠に、花姫様の部屋への道中ですれ違う女中達も花姫様を心配している。


 部屋に入れば花姫様付きの侍女達がオロオロと室内を動き回っていた。
 規則性のない彼女達の動きだが、視線は全員同じ方向にあった。
 どうすれば良いか判断できない彼女達は御簾(みす)の向こうの花姫様を見ては声を掛ける事を躊躇するのみ。


「花姫様、小萩でございます」
「こ、小萩――……」

 静寂に支配された中、意を決して声を掛けると御簾の先に映っていた花姫様の影がピクンと揺れ小さな声が返される。
 その小さな震えた声は花姫様が深い戸惑いや恐怖に支配された時に漏らすモノだ。
 素早く断りの言葉を口にして御簾を上げれば、今にも涙が零れ落ちそうな程潤んだ瞳をした花姫様と視線が交差した。

 そこにあった花姫様の表情は、悲しみでも戸惑いでも恐怖でもなかった。
 苦しげに顰(ひそ)められた眉は不快など表わしていない。切なげに漏れる小さな吐息は熱を帯びている。

「小萩っ、わたし――……!」

 藤色の書筒を抱きしめて頬を薄紅色に染めている美しい姫の姿が、東鬼の為に恋を捨てた小さな姫に重なった。

 長い間待ち望んでいた光景に、胸が熱くなった。
 遅咲きの儚くも美しい鬼の姫は、恋を知って咲き乱れてしまえば良い。
 あぁ、決して遠くない未来に歳甲斐もなく心躍らせている事がわかる。
 小さな姫に全てを背負わせてしまったあの日から、幾度も夢に見た瞬間(とき)。

 抱いた夢の中には、若い男鬼に手を引かれ幸せそうに微笑む花姫様の姿。
 今まではその男鬼の姿が霞んで見る事はできなかった。
 何度見ても、何度望んでも霞の奥に消える男鬼。

 だが今ならハッキリと姿を見る事ができる。
 花姫様の手を引きながら、力強く東条の地を歩む姿が。
 藤の名を持つ、あの若い男鬼の姿が。

 そう、止まっていた小さな姫の時間は今、再び動き出したのだ――。

PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード