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へっぽこ鬼日記 第十一話 (二)

第十一話 (二)
 あれから深刻な顔で部屋に戻った俺だが、当初の予定通り陽太が東条の地酒『音沁水(おとしみず)』を用意してくれた。
 陽太なりに俺を気遣ってくれたのだと思えば断る理由など消えてしまい、俺は促される ままに縁側へ移動した。

 表面が少しざらついた陶器の酒瓶が三本と、赤い杯(さかずき)が乗せられた膳が腰を下ろした俺の横に置かれている。
 ビール瓶より一回りほど大きくて黒っぽい酒瓶は、外観から中身を伺う事はできない。
 杯は鈍い光沢を放っており、俺の手で持つには丁度良い大きさをしていた。

 一番近くにあった酒瓶を手に取り、栓を抜けば『キュポンッ!』と独特の音がする。
 周りの空気に溶け込むように香った甘い匂いに誘われて、音沁水を杯へ注ぐと一層その香りは強まった。
 透明の液体が杯の中で、早く飲めとばかりに揺れる。ゴクリと生唾を一度飲み込んでから、俺は一気に杯を煽った。

 少しだけ乾いていた喉に染み込む甘い味。
 酒というよりは果実系の天然水のようで、女性受けが良さそうだと感じた。
 ほのかにアルコールを摂取した時の感覚が残るが、これなら楽に飲み続ける事ができる。

 もう一度酒を注いで、同じように勢い良く杯を煽る。
 視界に飛び込んできた銀色の月に、気分も上向きになっていった。
 杯に注いでは飲み干し、また注ぐ。注いでは飲み干し、飲み干しては注ぎ、一本目の酒瓶が空になって転がった。
 そして同じ行為を何度も繰り返し、あっという間に二本目、三本目の酒瓶も同じ末路を辿る。

 酒は好きだが、自分が酒豪だという記憶はない。
 普段であればビール瓶を一本飲み切った時点で体が熱くなるはずだ。
 それが、この音沁水では三本目の酒瓶を空け切ったあたりで少し熱を感じる程度。
 アルコール濃度が低い酒なので仕方無いとは思うが、正直に言えば物足りない。
 そう思いながら、だらりと両足を投げ出している俺の脇で、陽太が転がった酒瓶を拾っていた。
 何気なくその様子を見ていると、俺の視線に気づいた陽太が小首を傾げて問いかけてくる。

「恭様、まだ音沁水を飲まれますか?」
「んー……あと十本ぐらい持ってきてくれないか」
「飲み過ぎです」

 ピシャリ、と陽太によって切り捨てられた俺の言葉。
 珍しく否定的な陽太に不満顔で膨れてみせると、盛大な溜息を吐かれた。
 これはまさに、オモチャ売り場で駄々を捏ねる子供とウンザリして溜息を漏らす母親の図だ。

 陽太のケチ!と思いながら反論の言葉を口にしようとしたが、それより早く陽太が膳を持って部屋を出て行ってしまった。
 呆れてしまったのかとも思ったが、それは俺の中で簡単に否定される。
 物足りなさそうにしている俺に気付いてくれたのだ。十本は無理だが、先ほどと同じ数の酒瓶を用意してくれるはずだ、と疑いなく思った。




 しん、と静まり返った世界に音を生み出すため、大袈裟にゴロリと寝転んで月明かりが差し込む部屋を見る。
 殺風景な部屋は大きめの箪笥が置かれているだけで、飾り気も何もない。
 行燈(あんどん)や机といった中小器具もあるが、やはり目が行くのは箪笥になってしまう。

 暇だと思いながら箪笥を見て居た俺だが、ある事を閃いて体を起こした。
 床に転がっていたせいで着崩れが酷い状態だが、先に目的の場所へ移動する。
 部屋の中を覗かれないよう、出入口である襖を閉めて箪笥の前で俺は仁王立ちした。

 そう、俺の目的はこの箪笥だ。前々からこの箪笥には疑問を持っていた。
 俺の予想では例の白いポケットと同じで四次元な空間に繋がっているはず。
 陽太が居れば、俺の行動を怪しんでしまうから、陽太が席を外している今が絶好のチャンスなのだ。

 急げ急げ、と心臓が駆け足並の速度で脈を打つ。
 一度だけ深呼吸をして、わくわくと胸を高鳴らせながら箪笥の引き出しを開けようとした。
 ――……その瞬間。




 スパーン! と襖が開かれ、三本の酒瓶を乗せた膳を片手で持った陽太が入ってきた。

 おええぉぉああぁ!? びびび、びっくりしたー!!
 ちょ、おまっ、このタイミングで帰ってきちゃいますぅ!?
 それに襖は静かに開けてくれないかな陽太くん、俺の心臓止まっちゃうからねっ!

 バクバクと破裂寸前の心臓を押さえながら、俺は半泣きで陽太を睨んだ。
 そんな俺の睨みに気付く様子が微塵もない陽太は、箪笥の前に居る俺を見ていつもの笑顔を浮かべた。

「あぁ、良かった。やはり恭様も気付かれたのですね。急ぎましょう、さすがにその姿では刺激が強いかもしれません」

 テキパキと俺に指示を出しながら陽太は、一度縁側に出る。
 先程まで俺が座っていた場所に膳を置いたと思ったら、即座に俺の隣に来て箪笥の引き出しを開けていた。
 陽太の言葉の前半は意味不明だが、後半は分かる。
 今の俺、半裸状態です。胸元完全にパックリです。帯も緩々です。

「確かこの段に色の合う肩袖の長羽織が……。すぐに用意しますので、恭様は肌蹴た胸元を正してお待ち下さい」

 箪笥の中を漁る陽太を横目で見ながら、俺は言われた通り着物を直す事にした。
 最初は着物なんか一人で着れるはずがない! と思っていたが、何度か手伝って貰っている内に何となく着方もわかってきた。

 肌蹴ていた胸元を正し、緩んだ帯を締め直しているところで羽織を手にした陽太が俺の脇に立った。
 俺の周りを忙しなく動いた後、丁度締め終わった帯の結び位置を少しだけ直して背後に回る。
 布擦れの音で、手にしていた羽織を広げた事が伝わったので俺も無理に動くのは止めた。
 包むようにして俺に被せてきた羽織は、袖の長さが肩口までの白に近いモノだった。
 それに自ら袖を通す事で、緩みきっていた気持ちも引き締まる。

 再び背後から正面に回ってきた陽太が、三歩ほど離れた場所から俺を見た。
 何かの審査員のような目に竦んでしまいそうになるが、何とか踏み止まって胸を張った。
すると、陽太も何度か頷いていつもと同じ賛辞を寄越す。

「さすが、恭様ですね」

 満足だ、と顔一面で表現してくれる陽太は本当に有難い存在だ。
 着物に『着られている』意識が強い俺には最高の賛辞で、一種の暗示でもある。
 似合っているかは別にして、とりあえず見れる状態だという事に一安心するのだ。
 今回も同じようにホッと一息つき、再び酒を飲む為に部屋を出た。

 ……あれ?
 そう言えば何で身だしなみを整える必要があるのだろう。

 座る体勢へ入る前に足を止めて、頭を捻る。
 考えても分からない事で悩んでも時間の無駄なので、早々に俺は陽太へ質問する事を選んだ。
 しかし俺の質問は言葉となる前に喉の奥へ戻る事になった。
 隣に並び立った陽太が、俺より遠方を見据えて口を開いたからだ。

「恭様、いらっしゃいました」

 何が? と聞く間もなく無意識の内に、夜の闇に程良く慣れた目がそれに惹き付けられる。
 薄闇の中にふわりと浮きあがるように見えるその姿はとても美しい。




 花姫様だ。
 薄い紅色を含んだクリーム色に多種の華が咲く上品な着物に身を包んだ、俺の好きな人。

「――藤見様……」

 ゆっくりと言葉を紡いだだけなのに、なんて綺麗なのかと不謹慎にも見惚れてしまう。
 囁くように名前を呼ばれると、甘い想いで心が掻き乱される。
 もはやこれは夢ではないのかという錯覚にさえ陥りそうだ。空気の優しさに酔っ払ってしまいそうになる。
 とくとくと静かに鳴る音は自分の鼓動か、それとも彼女のものか。
 その音は低く身体に響き、俺に心地よい振動を与えてくれている。


「ゴホンッ!」
「っ!」

 完全に自分の世界に浸りきってしまった俺を、誰かの大きな咳が現実へ引き戻してくれた。
 チリッ、と俺を焼こうとする視線元には、昨日と同じく水色の着物姿の千代さん。
 花姫様から一歩分後ろに立っていたのに、花姫様しか見えていなかった自分を笑いそうになった。

 俺も懲りない男だ。この訪問に、特別な意味などあるはずがないのに。
 そう思い直す事で、急激に冷静になった自分が表に現れる。
 約束していた昼間に会えなかった事で想いは募るばかりなのに。
 感情に流されないように、体面を考えて一般的な言葉を口にするしかない関係性が切ない。

 気を取り直して紡いだ言葉に動揺はなく、何とか普段通り話すことができそうだ。

「こんな時間に女性が出歩くなど、感心できませんね」

 広間で会った時とは違い、弱々しい眼で俺を見上げる花姫様。
 その姿は無防備な上に、大人に成りきっていない少女の艶やかさを演出していた。
 瞬き一つでさえ甘く香ってくる様が、男(おれ)を煽る。

「っ……お、遅くに申し訳ありません。藤見様に一言謝りたくて、了承も得ずに訪ねてしまいました」
「私に謝罪を?」
「はい、未の刻に藤見様と約束をしていたのに……」
「わざわざお越し頂かなくとも、文や人伝で十分でございますが」

 麻呂様から婿候補達の妨害を聞いたので、花姫様に落度が無い事は既に分かっている。
 それに、理由を聞く前でも自棄酒で憂さを晴らし、明日から別の方法で花姫様にアピールを開始する予定だったのだ。
 得策があるのかと聞かれれば答えは否だが、広間での見合い直後のように簡単に諦めるという気持ちは無い。
 それよりも、こうして出歩く事で良からぬ噂を立てられる可能性を危惧すべきなのだ。
 俺がどう思われようと構わないが、花姫様の世評が低くなる事は心配だ。

 話があると言われれば、走ってでも花姫様の元へ向かうだろう。
 会いたくて堪らない、と焦がれるばかりなのに……断る理由など何もない。
 だから、遅くに男の部屋を訪ねてくるという危険まで伴う事は不必要だ。
 しかし、こうして過ぎた事に文句を言っても後の祭り。
 花姫様が帰る時にも同じ懸念事項が発生するので、そちらを気にする方が先だ。


「い、いいえっ、直接謝らなくては意味が無いのです」

 すると、俺の考えを遮るようにして花姫様が一歩分の距離を詰めた。
 何となく寂しそうな声に不思議になりながら花姫様を見ると、表情に少し動揺が見えた気がした。

「ずっと、ずっと藤見様の事を考えておりました。ほ、本当に、藤見様との約束を違えるつもりなど無かったのですっ……」

 どうやら俺が怒っていると誤解しているようで、小さく震えながら必死に俺への言葉を口にする花姫様の瞳は、今にも零れ落ちそうなほど潤み切っていた。

 どうしようかな、と頭の片隅で少しだけ思う。
 俺に対する恐怖心を取り除く事が花姫様にとって最善のはずだ。
 それに、恐ろしい男だと思われたままではアプローチを開始する俺も困る。

 反応を返さないまま花姫様を見つめていると、その表情が更に曇ってきた。
 原因が答えを発していない自分のせいだと気づき、俺は慌てて指を一本立てる。
 取り繕ったような行動で、一般論しか諭せないが何も言わないよりはマシだろう。


「ごめん」

 急に謝罪の言葉を口にした俺へ、花姫様の困惑した目が注がれる。
 それに答える事はせず、俺は続けて二本目の指を立てて再度口を開いた。

「ありがとう」

 指を立てる度に何かを口にする俺の意図に気付いたようで、俺が三本目を立てると指と口元へ交互に視線が移った。
 先程までの困惑した目とは違い、不思議そうな眼の花姫様を見る事ができたので一安心して息を吐く。
 なかなか三つめの言葉を口にしない俺を気にして、花姫様の視線は俺の眼へ向けられたまま。
 喰い付きも上々なので、恐怖心を取り除く事ができると確信した上で俺は三つめの言葉を口にした。

「愛しています」

 花姫様の眼が大きく見開かれるが、俺は視線を逸らさない。
 俺への恐怖心を取り除くためには信頼に近い感情を俺に抱いてもらう必要がある。
 視線を逸らさず、誠実である事を証明する以外に方法は思いつかないけれど。
 少しでも花姫様の気持ちが俺へ傾いてくれるなら、恥をかいても良いと思った。

「この三つの言葉を伝えられるのは、素晴らしい事なのですよ」

 三本の指を立てた方の手を軽く揺らす事で、三つの言葉が否応なしに脳内で反響する。
 一般常識でしかない俺の話を、花姫様が肯定的に捉えてくれる事を祈って指を畳んで上げていた手を下した。

「花姫様は私の事を考え、ここまで来て下さった。それだけで、貴女の謝罪の気持ちが私にはよく伝わります」

 安心感を押し付ける気は無いが、もう一重輪をかける事は許容範囲だと思って最後に笑いかけておく。
 それによって、硬直していた花姫様の体から力が抜けてきて安堵したような吐息を漏らした事がわかった。
 念のため、優しく囁くように確認を取ればすぐに嬉しそうな顔で花姫様は頷いてくれた。

「私が怒っていない事は、ご理解頂けましたか?」
「はい」

 浮かんだ笑顔は、俺が何度も思い描いたモノに限りなく近い。
 その笑顔に吸い寄せられるよう、俺は一歩、二歩と花姫様との距離を縮めた。
 元から着かず離れずの距離だったので、それだけの歩数で俺達の距離はぐっと近くなる。

 グラリと視界が歪む感覚に襲われ、これが幸せ酔いか……と内心で呟いた。




 そんな風に俺が幸せに酔いしれていると、花姫様と千代さんが小さな声で話をし始めた。
 声を顰めるくらいなので俺に聞かれるとマズイ話なのだろう。
 そう思った俺は、名残惜しいと感じながら花姫様との距離を元に戻した。

 改めて元の位置に戻ってみると、置かれたままの膳に気付いて体の向きを変える。
 中身が入っている事を確認すべく酒瓶を一本持ち上げると、程良い重みが感じられた。
 酒瓶には栓がされているので、音沁水の甘い香りを嗅ぐ事はできない。

 まぁ、そんな小さな事はどうでも良い。
 今の俺は花姫様と和やかに会話できた事で心躍っている状態だ。
 この膳の酒は水のように俺の口に入るわけだが、今からは月見酒兼、祝い酒にする事を決めた。
 肴(さかな)はもちろん、念願叶って脳裏に焼き付けた花姫様の笑顔だ。

 傍から見れば酒瓶片手にニヤニヤする俺。
 普通なら声を掛ける事も躊躇する状態なのに、花姫様は特に気にしていない様子で再び俺との距離を詰めてきた。
 渋い顔をする千代さんが見えたので、話を中断して俺に声を掛けてくれたのだろうか、と淡い期待を抱く。

「藤見様は、今からお酒を飲まれるのですか?」
「えぇ、月見酒も風情があると思いましたので」
「あの、ご迷惑でなければお酌をさせて頂けますか?」

 上目使いで俺に訪ねてくる花姫様だが、その後ろで千代さんが俺を睨んでいた。
 憎悪の念を隠そうともしていない形相は、般若を連想させる。

 怖ぇー、千代さん怖ぇー……。
 俺に向かって、思いっきり両手で『×マーク』作ってるよ。
 花姫様からは見えない位置だけど、俺を警戒して猛反対してますね。

 確かに千代さんの気持ちも分かる。
 花姫様の申し出は、即座に頷いてしまいたくなるほど魅力的だ。
 だが、年頃の男女が男の部屋前で酒を飲むなど非健全な想像を掻き立てるには十分な材料だ。
 それに加え、両想いではないが、俺と花姫様には『見合いをした』という事実がある。
 いくら当人達が否定しようとも、心無い者は良からぬ噂を大袈裟に話すだろう。

 だから俺は、この話を断らなくてはならない。
 これから先、確実に花姫様との距離を縮めるために誠実さを売りに出していく予定なのだから。

「有難いお話ですが、男の部屋の前で酌をするなど……在らぬ誤解を招きますよ?」
「誤解ですか? それは一体どのような……~~っ!」

 初めはキョトンとしていた花姫様だが、言葉の意味を理解すると一瞬で頬を赤く染め上げた。
 この変態! と妄想しまくりの俺に激怒すると思ったが、怒声は浴びせられなかった。
 それどころか、花姫様はもじもじと照れているような可愛らしい仕草で俺を見上げてくる。

 何この可愛い子。赤くなる瞬間に、ポンッ! て音が聞こえたよ。
 幸せの国に片足を突っ込んでる俺の幻聴だと思うけど。
 それに、そんなに可愛いと妄想が激しすぎる俺に連れ去られちゃうよ?
 理性は強い方だと思うけど、確実に線が焼き切れようとしているからね?
 さすがに好きな子と二人っきりの時に、我慢できるほど大人じゃないから。

 あーぁ……やっぱり本当に残念だ。
 好きな人に酌してもらえるなんて、滅多に恵まれない機会なのに。
 今回はダメみたいだけど、今度こっそり花姫様にお願いしようかな。
 いや、バレたら千代さんにクナイで心臓刺されそうだから止めておくけどさ。
 あと小萩さんにも城から追い出されそうだから、よく考えてから行動しよう。

 心を鬼にして花姫様に帰るよう進言する事を決めた俺だが、本音とは真逆の言葉を口にする事は難しい。
 早く断れ! とばかりに睨みを強くする千代さんに無言で脅されながら、仕方なく言葉を出すために息を吸った。
 が、その息は言葉と共に吐き出される事なく単体で吐き出された。
 何故なら、俺の後ろで静かに控えたままだった陽太が隣に並んで声を響かせたからだ。

「恭様、場所を移されてはどうでしょう。本殿の中庭には、庭茶会用に整えられた場所があったと記憶しています」
「従者殿! そのような事を許せるはずが、」
「我等もご一緒すれば問題ありませんよね、女中殿」
「なっ……」
「俺がご案内致しますので、恭様は花姫様の手をお引き下さい」

 一切の反論は受け付けない、と言わんばかりの態度で陽太は膳を軽々と持ち上げた。
 噛み付きそうな剣幕で喰ってかかった千代さんだが、明らかに出遅れている。
 この勝負、陽太へ軍配が上がった。

 よぉぉぉぉっし、ナイスだ陽太!
 さすが俺の親友っ、後で頭を撫で回してやるからな!
 ちなみに、膝から崩れ落ちて床を叩きまくっている千代さんは見なかった事にします。

 五歩ほど歩いて俺達を振り返る陽太に、俺は口パクで感謝の言葉を伝えた。
 照れたように笑い、一度肩を動かした陽太は再び俺達の先を歩き出す。
 その姿を追うために、俺は隣に立つ花姫様に向き直って視線を絡めた。


「では花姫様、お手をどうぞ」

 お決まりのセリフを芝居口調で述べ、俺は花姫様に手を差し出す。
 一瞬驚いた顔をした花姫様だが、直ぐにふんわりと笑って俺の手を取ってくれる。
 初めて繋いだ花姫様の手は白く滑らかで、仄かな暖かみを持つ美しい手だった。
 少しでも強く握れば折れてしまいそうなそれを大切に握り、陽太の歩いた道程を進む。

 そして、ほんの少し先の思い出に期待を寄せる。
 眩しい程に輝く月の下、好きな人の酌で飲む酒は忘れられない味になりそうだ――と。


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