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へっぽこ鬼日記 第十一話 (三)

第十一話 (三)
 中庭に出た俺は、花姫様と特に深い会話もせず注がれる音沁水を水のように煽っていた。
 ちょうど良い温度や澄んだ空気が俺達を包み、風が揺らす草木の音に耳を傾ける。
 夜露に濡れた草花が静かに眠る庭は、月明かりを受けて幻想的な世界を思わせた。

 庭茶会という聞き慣れない言葉に疑問を持っていたが、中庭に足を運んで納得できた。
 屋根の無い六畳ほどの座敷がポツンと広い庭の中に佇んでいる、光景。
 晴れた日にココで茶を飲めば、さぞ気持ち良いのだろうと感じた。そして同時に、雨の日はどうなるのだろうとも……。

 微かに湿っていた地面や、水滴の付いた華がある事から水分が存在するという事は分かる。
 だが不思議な事に、この晒し状態の座敷は濡れた様子が無いのだ。
 座って酒を仰ぎ続ける今だからこそ、分析できた事なのだが。

「藤見様?」

 はっ、と周囲に配っていた意識を身近に戻すと、杯は小さな波紋に揺れ映っていた俺の表情を消す。
 俺の名を呼んだ花姫様を不自然でないよう、流れ動作で見れば当惑する花姫様の瞳と視線が交差した。
 水のように音沁水を飲み干していく俺が、手を止めた事に疑問を抱いたのだろう。

 ただ空気に浸っていただけなので、俺は無難な答えを返して花姫様との会話を続けた。
 言葉を交わす度に花姫様の声が耳に馴染むようになり、それに幸せを感じる。

「美味い酒なので味に浸っておりました」
「とても美味しそうに飲まれるのですね」
「実際、美味しいですから。地酒と聞きましたが、花姫様は飲まれた事が御有りですか?」
「お、音沁水をですか? 果実酒なら宴の席で少しだけ口にしますが、音沁水はありません」

 ふるふると首を横に振った花姫様と音沁水の香りが合わさって、俺にとってのみ効果を発揮する強力な媚薬となる。

 ふむ。どうやら鬼一族の飲酒は花姫様の年齢でも大丈夫らしい。
 でも花姫様の口振りから導き出すに、音沁水は果実酒とは別の分類と取れる。
 女の子が好んで飲みそうな味なのに飲んでいない事はすごく意外。

 そこで俺は、「そうだ」と心の中で呟いて杯を煽った。
 一口強で飲み干した音沁水の香りが空の銀色と互いに作用し合って、俺の気分を向上させる。

「花姫様もいかがですか?」
「えっ……」

 空になっている杯を花姫様に渡し、花姫様が手にし易い位置にあった酒瓶から音沁水を注ぐ。
 一杯分丁度で空になった酒瓶を脇に置き花姫様を見るが、その顔には戸惑いの色が見えた。
 杯を見つめる花姫様の様子が困っているように見えたので理由を考る。

 ……あぁ、これって間接キスになるよね。
 あまり考え込まずに出た答えだが、困惑するのは当然だ。
 少し強引だったな、と反省して撤回するつもりで杯を返してもらおうと手を伸ばした。

 しかし、それより先に意気込んだ花姫様が杯に口付けて飲み始めてしまった。
 くーっ……と徐々に上を向きながら杯を傾け、小さく喉を鳴らす花姫様。
 良い飲みっぷりだが、飲み終わった後の花姫様を見て酷く後悔した。

 音沁水によって潤った唇からウットリと甘い吐息を吐く姿が、妖艶過ぎたのだ。
 美しく可愛らしい人だとは思っていたが、この艶やかさはヤバイ。
 酒による熱ではないモノが沸き上がるのを必死に抑えながら、俺は今度こそ杯を取り上げる為に手を伸ばした。

 すると花姫様は物言いたげに俺を見つめ、半ば奪い取る形になっているオレの手に杯を返してくれた。
 その動作に何故か嬉しそうに笑う花姫様だが、微笑みの理由が俺には思い浮かばなかった。
 わざわざ理由を聞くのも野暮な気がしたので、その場は曖昧な笑いを返す事で誤魔化したが、いくら考えても理由は謎のままだった――。





 杯を交わした仲、という事で最初とは雲泥の差で花姫様と会話できるようになっていた。
 先ほどの教訓もあるので、音沁水を飲むのは俺だけだが二人の間に香りだけは充満している。
 互いの口から漏れる言葉も滑らかで壁もない。

「藤見様は、よくお酒を飲まれるのですか?」
「そうですね、どちらかと言えば飲む方です。特に今夜のように月の美しい夜は飲みたくなります」
「えぇ、ここ数日は銀月ですもの」
「そういえば、花姫様はウサギがお好きだと伺いました。こうして月を見てウサギに思いを馳せる事はあるのですか?」
「幼い頃は、本当に月に兎が住んでいるのだと思っておりました。ですが今は……そのように、夢のある話へ繋がる事が楽しいのだと思います」


 月を見上げている花姫様の目が、優しく細められる。
 途切れなく会話が続く事が、花姫様との心の距離を小さくしてくれているような気がした。

 そう感じる理由は、こうして花姫様から俺の事を聞いたり自分の事を話してくれるからだ。
 くるくると表情を変えながら俺の話に耳を傾けてくれる花姫様が、愛しくてたまらなくなる。
 俺の隣に、花姫様が居る。他の男の傍ではなく、俺の傍に。
 その事実を噛みしめれば、それだけで俺の口元は緩やかな弧を描いた。

「藤見様は、何がお好きなのですか?」
「ウサギも可愛らしいので好きですよ。ですが今は、恥ずかしい事にうちのユキに夢中なのです」

 可愛い子猫です、と俺が発言した刹那、ピシィッ! と和やかな空気に亀裂が入った気がした。
 周囲の気温が一気に下がっていくのを感じながら周りを確認すると、クナイを持った千代さんを陽太が押えつけている姿が目に入った。

 大きく抵抗する千代さんを涼しい顔で拘束する陽太と、目が合う。
 俺に対して小さく首を横に振り、掌を返して俺の脇を差す陽太。
 その行動の意味が分からず、指し示した先を見れば涙目の花姫様が視界いっぱいに広がった。

 こめかみから浮き出た汗が流れて首を伝う。
 情けない事に、動揺しすぎて呼吸がうまくできず、思考がまとまらない。
 その間にも、俺の視界に映る花姫様は唇を小さく震わせながら俺の袖裾を掴んできた。
 暖かいと感じたはずの手は、血の気を無くしたように酷く冷たい。

「ど、どのようなっ、ご関係なのですか?」

 ヤ、ヤバイ、花姫様が泣きそうになってるんですけど。
 何コレ、もしかして俺のせい?もしかしなくても俺のせい?
 原因は何だ。どこで地雷を踏んだんだ。何をした俺。思い出せ俺!

「藤見様のお心は、ゆき殿のモノなのでございますか……?」

 掴まれた袖がギュッと強く握られた瞬間、花姫様の目から大粒の涙が零れ落ち始めた。
 小さく震える体を全力で抱きしめたくなるが、それが有効なのかは分からない。

 わわわわっ、な、泣き出しちゃったよ花姫様!
 ちょ、意味わからん。俺が泣きたいくらいだ。花姫様は何で泣いてんの!?
 確か好きな動物の話をしてたよね?
 ウサギも可愛いけど猫のユキちゃんの方が可愛いって答えただけだよね?
 キリンさんが好きです、でもゾウさんの方がもーっと好きです!って言うべきだった?

 イヤイヤイヤ、そんな馬鹿な、落ち付け俺。
 何かユキちゃんの事を言ってるけど、それが原因?
 とりあえず、ユキちゃんだ。ユキちゃんは何処だ、ユキちゃんカモン!
 少しで良いから姿を見せて、俺のフォローに回って下さい!!


 俺が焦って心の中でユキちゃんを呼びまくれば、直ぐにユキちゃんが姿を現した。
 どこから現れたのかは不明だが、善は急げとばかりにユキちゃんを抱き上げて花姫様に見せる。


「この子がユキです。花姫様は猫が苦手だったのですね。その、まさか泣くほどお嫌いだとは思いませんでした」
「……ね、猫?」

 掌にお腹を押し付ける形だから、手足が宙に揺れて厭そうにユキちゃんは暴れた。
 イタタタ、と思いながら地面に下ろすと、ユキちゃんは逃げるようにして俺の影に飛び込み姿を消した。
 本当に影に住んでいるんだなぁ、と感心しながら花姫様を見ると頬に涙の跡を残したまま俺の影を見つめていた。



 暫くすると、力を無くしたように俺の袖を掴んでいた花姫様の手が離れる。
 その手は花姫様の目元へ移動し、未だ溢れ続ける涙を止めるために動いた。
 俯いて目をこする花姫様の手を、俺は慌てて片手で握りしめる。
 顔を上げた花姫様の赤くなった目の縁下に、そっと余った方の手の指先で触れた。

 目元が紅い。
 濡れた瞳と頬が流した涙の多さを語っている。
 涙を流して縋った先が俺であったという事に、胸が熱くなった。

 濡れた頬に唇を寄せたくなるのを我慢して指先で優しくなぞる。
 涙の跡を追えば顎に指がかかり、花姫様の顔を更に上に向かせた。
 潤んだ花姫様の瞳に、真剣な自分の顔が映っている。

 一方的に握っている手の力を抜き、包みこむように繋ぎ直すと微かに返される動き。
 握り合う状態のまま親指で花姫様の手の甲を撫で、間を置いて力を入れる。
 今度は優しく、しかし意思を持って握り返してくる花姫様の手に胸がトクンと脈打った。

 繋がった手に向けていた意識をもう一度花姫様の瞳へ戻せば、馬鹿みたいに緩んだ男の顔が映り込んでいた。
 顎にかけていた手で耳元から長く艶やかな黒い髪を梳き頬に触れる、という動きを何度か繰り返す。
 そうする事で、薄く開いた花姫様の唇からは仄かな熱を伴った吐息が漏れた。



 ――落ちついたかな?
 そう思いながら髪を梳いていた手を頬の位置で止めれば、止めないで欲しいとばかりに擦り寄る花姫様。
 カーッと体温が急上昇するのを必死に抑え、誤魔化すために口を開く事にした。

「花姫様は泣き虫でいらっしゃいますね」
「このような者は、お嫌でございますか?」
「……私の前でのみ、涙なさるのでしたら構いませんよ」

 こんなにも可愛らしい顔を他の男が見たら無事で済むはずがない。
 理性が強い方だと思っている俺でもグラグラと熱に頭が揺れているというのに。
 少し意地悪をするつもりで問いかけた言葉への返事は、俺の理性を揺らす強烈なモノだった。
 甘えるような、誘うような声で聞かれると、試されているようにしか思えない。

 ゆっくりと閉じられる瞼に誘われるように、自分の唇を花姫様の耳元へ寄せた。
 頬を薄紅色に染めたまま抵抗を見せない花姫様が、俺を受け入れてくれているのだと錯覚する。
 花姫様の甘い香りが胸いっぱいに広がるのを感じて、もう少しだけ、と花姫様に自分の身を寄せた。
 繋いでいた手はいつの間にか互いの指を絡め合い、離れる事を拒む。

 全てを預けるかのように、花姫様は俺にしな垂れかかってくる。
 幸せなのだが、今にも切れてしまいそうな理性の糸が何とか俺を抑圧している。
 だがそれも時間の問題なので、過ちをおかす前に離れようと俺は身を動かした。
 しかし繋いでいない方の花姫様の手が俺の胸元に添えられた事で、残り少ない理性が最後の警告を告げた。

「っ……これ以上愛らしい事をされては、私の身がもちません」






 が、そこまで言って先ほどから相槌を打たなくなっている花姫様に気付いた。

「花姫様?」

 名を呼んでも応えはなく、俯いているその様子をそっと覗きこめば穏やかな呼吸が聞こえてくる。
 伏せた瞼はきつく閉ざされ、絡め合っていた指を無理やり解いても無反応だった。
 つまり、この状態は――……。

「……は?」

 ちょ、え、えええええ!? 何、もしかして寝ちゃったの?
 寝ちゃったと言うか、既に寝ちゃってた的な感じ?
 超良い雰囲気だったけど、もしかして寝ぼけてた可能性もあるの?

 そりゃないよー! と脱力する俺に、小悪魔な花姫様は変わらずの寝息を返すだけ。
 今までの行為が急に恥ずかしくなってきた俺は、深い溜息を吐いて空を仰ぎ見た。




 そんな風に気落ちする俺に、第三者が外部から声を上げた。

「詰めが甘ぅございますね、藤見様!」

 フハハハ! と勝ち誇ったような声が耳に付いたので、声の方向へ目を向けると陽太と千代さんの姿が確認できた。
 笑い出しそうな顔をしている千代さんだが、何故か手足を縛られた状態で床に転がっている。
 隣で縄を弄んでいる陽太の仕業だと分かるが、色々とツッコミを入れたくなった。


「花姫様が音沁水に免疫が無かったのは誤算でしたね、恭様」

 残念そうに笑う陽太には、俺も苦笑を返す事しかできない。
 誤算も何も、今日の事は予測不可能だったから終始動揺していた。
 お茶会がボツになった時点で番狂わせなシナリオが進み始めたのだけど、加速気味だった。
 花姫様に毛嫌いされていない事が分かったので十分な収穫を得たが、欲張った感も否めない。
 あのまま事が運んでしまえば、感情のまま花姫様に迫っていただろう。
 誠実さを売りにする、と決めておきながらこの所業。意志の弱さに反省すべきだ。

「いや、逆にこの方が良かったよ。事が急速に進んでも不審に思われてしまう」
「確かに、礎(いしずえ)は築かれたので十分だと思います」

 色々残念な部分もあったが、花姫様に近付けた事に満足している。
 振り出しの状態から踏み出した一歩目にしては上々だと思った。




「では、姫様もご就寝ですし本日はお開きに致しましょう! 藤見様、姫様は私が部屋まで運びますので手を放して頂けますか?」

 もぞもぞと床で縄に悪戦苦闘していた千代さんだが、何とか縄を抜けると早口で捲し立てた。
 汚い手で触ってんじゃねーぞ! と遠回しに言われている気がして、苦笑するしかない。
 女の子同士の友情も可愛いな、と思いながら俺に寄り添っている花姫様を見た。
 この温もりが消えてしまう事は残念でならないが、潮時だと俺の頭は理解している。

 だが、ここでも陽太が千代さんの言葉へ異論を唱える。
 俺の事を第一に考えての行動だと理解しているが、ここまで徹底していると嫌がらせだとしか思えない。
 もしくは、捩じ曲がりまくった愛情表現か。……何それ嫌すぎる。

「花姫様は我が主が部屋までお運び致しますので、女中殿は膳の片付けをお願いします」
「はぁ!? 何故私が……、従者殿が片付ければ良いでしょう!」
「おや、善人でない私に片付けさせて良いのですか? 密かに花姫様へ想いを寄せる者へ、この杯を高額で売り飛ばすかもしれませんよ。手に入れた者は花姫様が口付けた杯を恍惚とした表情で眺め、至福の時を得ようと……」

 オイオイ陽太、そりゃただの変態じゃねーか。
 放課後、誰も居ない教室で好きな子のリコーダーを吹く行為と同類だぞ。
 それにその杯は俺が主に使ってたモノだからね。花姫様要素は低いからね。

 こんな子供騙しの挑発に乗るはずが無いだろう、と呆れ半分で俺は二人を見ていた。
 が、何故か今回の戦いも陽太に軍配が上がる結果となってしまった。

「くっ…、これだから男という下種(ゲス)な生き物は嫌いなのです!」

 乗っちゃったよ千代さん。
 吐き捨てるように言って、酒瓶と杯の乗った膳をひったくっちゃったよ。
 でも何で俺を見てゲス発言するのか聞いて良いかな。
 言っておくけど俺は変態じゃないからね? ゲスじゃないからね?
 それに、俺って結構繊細だから小さな悪口や態度で簡単に傷つくよ?
 男から文句言われても平気だけど、女の子から言われたら心壊れちゃうよ?


 怒りを隠そうとしない千代さんの言葉にショックを受けた俺だが、花姫様を運ぶために崩していた体勢を直した。
 次に花姫様の背と膝裏に腕を回し、大きな振動を与えないよう注意して抱き上げる。
 意識の無い人は重くなると言うが、その言葉を否定したくなるほど花姫様は軽かった。

 更に言えば、酌をして貰っている時も思っていたのだが、花姫様からは良い香りがする。
 こうして抱き上げる事で殊更(ことさら)に強く香りを感じてしまうので恥ずかしくなった。

「花姫様の部屋へ向かいますが、くれぐれも慎重にお運び下さいませ」

 ツンとした態度で歩き出す千代さんの後を追い、俺と陽太は中庭を出た。
 先行して千代さんが歩き、次に慎重な足取りで花姫様を運ぶ俺、その半歩後ろに陽太という並び順だ。
 花姫様の部屋は俺が寝泊まりする建物より奥にあるので、少し距離がある事を陽太が後ろから小声で教えてくれた。
 詳しく聞こうと思って歩む速度を緩めると、千代さんが振り返って声を上げる。

「遅れずにお願いします、藤見様! 花姫様をご自分の部屋へ連れ込もうなど、不埒な行いはさせません!!」
「はは、同意も得ずにそんな事はしませんよ」

 自分が全く信用されていない事を千代さんの言葉から感じ取り、前途多難だと思った。
 否定はしておくが、恐らくこの言葉は怒り心頭の千代さんには届いていないのだろう。

 花姫様と両想いになるためには、千代さんの信頼を勝ち取る事も課題だな、と確実に苦戦する未来に俺は苦悩したのだった――。


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