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へっぽこ鬼日記 幕間八

幕間八 篠崎陽太視点
 ――陽太は傍仕えというより、親友だからなぁ。

 昨晩届いた花姫様の文で交わした約束通り、未の刻前に迎えに来た侍女と共に遠ざかる恭様を見送る。
 曲がり角の先に二人が消え、体から少しだけ力を抜くと、脳内に恭様の言葉が響いた。
 胸の奥で暖かく残るそれは自分の心を捕えるには十分すぎるほど甘美な物で、藤見家はどれだけ篠崎家を心酔させれば気が済むのだろうか、と頬が緩んでしまう。

 そう遠くない先に藤見の地を治めると決まっている兄上様方にも、自分の兄三名が仕えている。
 まるで数合わせのように自分達兄弟は主が居るが、藤見家の鬼一名に篠崎の鬼一名が付くという事は特段決まっているわけではない。
 現に、藤見家当主の義正様には篠崎家の当主である父とその弟の二名が仕えている。
 が、唯一の主に仕える事は至福であると現状に甘んじている自分は常に感じていた。
 恭様が藤見家にお生まれになった後に間を置いて数合わせで生を受けた自分だが、このように何気なく存在意義を口にして下さる事に喜びを感じずにはいられない。

 だからこそ、恭様には望む形で最高の幸せを手に入れて欲しい。
 上に立つ者の言動や表情、紡ぐ言葉がどんな印象を与えるかよく知っていてそれを上手く利用している方なのだとは知っている。
 口より先に体が動く藤見の鬼にしては、珍しく恭様は双方を兼ね備えている。
 しかし、やはり芯は藤見の血が勝るようで最終的には全ての真実を行動で語る。
 藤見の特性故に言葉が足らずに誤解を招く事が無いとは言わない。
 何でも出来て何でも持っている印象の強い大切な主は、心休める場所という意味で藤見と篠崎以外に何も持って無い不器用な方だから。


 そして、望む物を手に入れた恭様の傍らには忠臣の筆頭として自分が傍に居たいと切に願う。
 恭様が東鬼を統べる存在になった時、傍仕えの一人は確実に自分だ。
 深いお考えの底までを理解するのは容易ではないが、ある程度は恭様の意向を汲み取る事ができる。
 幼少の頃より長年お仕えしてきた中で得た経験は、他者には真似できない糧。
 離れていた五年の歳月で変わった部分も、すぐに時間が解決してくれる。五年の空白など簡単に埋める自信もある。


 見合いの席で姿を現した花姫様を見て、恭様が息を呑んだ事も直ぐに分かった。
 美女だという噂通り自然な美しさの中に若干の幼さを残す東の鬼姫、花姫様は自分が見ても『美しい』と簡単に肯定できる容姿の持ち主だった。

 花姫様を称美する他の婿候補達に脇目も振らず、ただ一点を見据えたままの恭様。
 その真剣すぎる視線は恋慕の情を含み、東条の姫ではなく女鬼として花姫様を見ていた。
 東条の長も花姫様を見る恭様に気付いて誘導尋問に似た言葉を投げてきたが、そんな陳腐な言葉に恭様が踊らされるはずがない。

 恭様は決して嘘を言わない方だ。
 友好的な態度は諂(へつら)う行為と同じようで全く違う、信頼を示すもの。
 花姫様に甘い言葉を囁きながらも突き離したのは、最終的に恭様無しでは生きていく事ができない程に溺れさせてしまうが故の所業。
 明らかに色恋沙汰に慣れていない花姫様だからこそ、それが最善だと判断しての事だろう。
 受け取り方によっては非道だが、恭様は一度懐に入れたモノは生涯大切にして下さる。
 これから先の未来を共に歩む伴侶であれば、それはより強く甘美な物のはずだ。
 未だ蕾でしかない花姫様を恭様が美しく咲き開かせる日は決して遠くない。

 その為に恭様は高い枝にある蕾を惹き寄せて、誰も気付かぬ内に枝を手折る。
 じわじわと侵食する罠には抗えない。どれだけ太い枝であっても内側から脆く壊されて行くのだから。
 伸ばした手にも、枝が折れる音も、折れた時の痛みも、気付いた時には全てが手遅れだ。
 花姫様を欲した恭様が動き出した今、もはや花姫様に逃げる術は残されていない。

 見合いの席で他の婿候補を圧倒的に蹴散らした恭様が、花姫様に対して今後どのように罠を仕掛けるか……不謹慎だが少しだけ楽しみだと思った。






 そしてやはり、恭様の仕掛ける罠を傍らで見るのは自分にとって至福の時間だった。
 恭様が優勢な状態で終結した顔合わせの後、我先にと花姫様への文を出すべく広間を退出した婿候補達など気にもせず、恭様は普段通りの落ちつきを払っていた。
 部屋に戻る道中も、文を書くと決めるまでも相変わらずの恭様。
 仕掛けた罠に対して東条側がどう動くのかを計るつもりなのだろう。
 藤見の地へ帰る事を会話に含ませているが、東条の選択肢は限られている。

 しかし予想に反して、東条側にも関わらず恭様を妨害しようとする輩も居た。
 それは花姫様付きの若い女忍だった。下手な変装で女中として恭様を探ろうとしていたので初日に追い払った女鬼――……名前は確か、千代。

 藤見の地に忍が居ないので詳しくはないが、基本的に忍は感情を殺した者だと認識していた。
 だが、この千代という女鬼は感情を殺すどころか剥き出しにして敵意を露わにしてきたのだ。
 
 正直、気性の強い女は嫌いではない。
 滑稽で愚者とも思える千代だが興味が無いと言えば嘘になる。
 興味本位の域を出ない程度の女鬼に手を出すほど飢えているわけでは無いが、東条の地に慣れるまで手駒として利用する価値はあると判断した。
 
 傀儡にして自分なりの方法で大切に扱ってやろう。
 加虐趣向の強い自分を見て恭様は良い顔をしない気もするが、時が満ちれば解放するつもりなので短期間の利用で済む。
 要は、東条の詳しい内情と忍が使うような隠された地理について知識が集まれば良いのだ。
 独自で調べる事もできるが、傀儡を得る事で時間が短縮できるなら、それに越した事はない。

 壊す気はない。壊れてしまったら仕方が無いけれど。
 もし途中で壊れたなら、せめて痛みを感じさせぬまま逝かせよう。 
 それに、役目を遂げても尚この興味が薄れぬようなら飼い慣らしてみるのも一興だ。
 歪んだ情なら幾らでも注げる自分が笑えて、クッ……と咽の奥を鳴らして千代に向けて口を開いた。

 売り言葉に買い言葉な会話で何度か千代を翻弄し、激情させ、己の存在を植え付ける。
 恭様から託された花姫様宛ての文を餌にして傀儡の術を施すために千代に直接触れれば、面白い程に動揺を露わにした。

 傀儡の術は施される者に直接触れ、意識を奪い、落ち切った後に主となる者の熱を流し込めば完成する簡単な術だ。
 と言っても、意識を奪うには幾つかの問題があって一般には使用されない部類に入る術。奪う事に慣れてしまえば簡単……という意味だ。
 手順を踏むなら血を舐めさせるのが一般的だが、場合によっては壊すかもしれない傀儡に己が傷を作る必要はない。
 息でも吹き込めば十分だと考えて、瞳に力を無くし始めた千代に顔を近づけた。
 飴色の瞳がゆらりと己を映した事に、何故か一瞬だけ胸が騒いだ。


 ……そんな雑念が過ったせいだろう。
 あと少しという所で、千代は沈んだ意識を取り戻してしまった。
 最後の詰めが甘くなるという、らしくない失策の反省は後にして即座に気を取り直す。
 このまま強引に落としてしまう事も出来るのだが、それでは呆気ないとも思えてきた。
 それに、強い警戒心を持つ千代を同じ方法で傀儡へ落とす事は面倒だ。
 未熟なりにも女忍であるなら、今回のように他者が近づくのを避けるはずだ。
 じわじわと理性を支配する術で千代を蝕む事にしようかと他の方法を考え始めた、その時。


「――!」

 他の術を施す体勢に入った状態の自分に、恭様の突き刺さるような視線が制止を掛けた。
 視線元を追って目を向けると、少し離れた一角で腕を組んで立つ主の眼が細められている事に小さく息を呑んだ。
『それ以上は止めておけ』、という恭様の声が聞こえた気がして至近距離で喧しげに声を上げる千代を適当に流しつつ、是の意を込めて恭様へ視線を送る。

 それを理解して下さった恭様は、若干呆れたように肩を一度だけ竦めて静かに足を進められた。
 千代との距離を離して恭様を迎えると、何事も無かったかのように振舞って下さる。
 更には、恭様と言葉を交わすたびに生じる千代の棘ある言動に殺気立つ自分を簡単に宥めて下さった。
 それでも喰ってかかる千代を促すように言い包め、最後には諭してしまう姿に溜息が洩れた。


 あぁ、本当に、どこまでも慈悲深い方だ。
 行き過ぎた自分の行動を叱る事もせず、無礼な女忍の態度を咎める様子もない。

 無能な権力者は強さを振りかざして命を奪う事が過去も現在も大差ない。
 だが恭様は高い身分を利用せずとも己が優位に立ち、権力ではない物で場を治める。
 身分の高い者が特権を振りかざすなら、それなりの責務を果たす必要があるという先人の教えを理解しているからだ。もちろん、責務が何か、それは時と場合により圧し掛かる物が違う事も。
 本当に力を持っている者は己で権力を振りかざして力説せずとも、気づけば周りが認めているものだ。
 そう、この醜くも矛盾を孕んだ美しい世界は、その中で胸を張って生きる主をより一層引き立てている。


 目を閉じれば、自分の一歩先に立つ恭様の後ろ姿が見える。
 振り返らない恭様の背中から感じるのは圧倒的な力と絶対的な信頼。
 泣きたくなる程の情と震えは、憧れと傍に仕える事を許された幸福からの物。

 どんなに努力しても、どんなに失敗しても、一歩分の距離は昔から少しも変わらない。
 そんな距離が当たり前だと感じている自分と同じように、恭様も当然だと認識して下さっている。
 汚れても、傷ついても、この場所だけはどうしても譲れない。

 やがて来る未来に、藤見家の名以外に東条の名を背負うかもしれない唯一無二の存在。
 そんな恭様が、ふと振り返った瞬間に一番に視界に映るのは自分以外は考えられない。
 これはある意味、願望の域を出た欲望に似た感情だ。

 揺るぎない声が耳に絡みつき、救いを与えられながら抜け出せない闇へ誘(いざな)われていく。
 堕ちた廃人のように縋り、全て曝け出して、この身をゆだねる。
 本能のまま仕え従う自分には綺麗事など必要なく、ただそこに溺れるだけだから。

 ――藤見の鬼には篠崎の鬼が居る。
 その言葉が違(たが)えない事を東条の地で、藤見の地から参じた我等が知らしめてやろう。

 暫く……否、かなりの時間を東条の地で足止めされる事に、十分すぎる時間があると感じる。
 藤見の地で生きた鬼が如何なる者か、その存在を彼らが胸に刻みつけた時。
 どのような顔をするのかを想像しながら、城下に出るために主が進んだ方向とは逆へ体を反転させた――。


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