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へっぽこ鬼日記 幕間八(六)

幕間八 (六)
 花姫様を軽々と抱き上げて運ぶ恭様は、まるで絵巻物から出てきた物語の役者に見えた。
 銀色に輝く月と灯篭の火で光と影を成す姿は、息を呑むほど幻想的だ。

 時折、腕の中の花姫様を見て頬を緩める恭様から、優しい空気を感じる。
 視線だけで愛しいと語る恭様のそれは、恋という言葉で片付けるには不足している。
 花姫様が眠っていなければ、更なる進展を期待できただろう。
 だが、それも悪くないと思う自分が居た。


 あの後、芋虫娘状態のままだった千代が恭様と花姫様の様子に気づき、眠り落ちた花姫様が決め手となって月見酒は終了した。
 恭様に対して失礼な笑い声を上げる千代に腹が立ったので、膳を運ばせて恭様と花姫様の時間を延長させた。
 あれだけ悪人だ変態だと言われ、その期待に応えないオレではない。
 憎々しげに膳を持ち上げて恭様とオレに向けて暴言を吐く千代を見て、恭様は呆れに近い苦笑を浮かべられた。
 花姫様を宝物のように大切に扱いながら足を進める恭様の視線も、オレと千代を交互に見る事が少なくはない。
 が、起こった変化が何かは、敢えて深く追求されなかった。


 そして花姫様の部屋がある奥御殿へ足を踏み入れている今、オレは婿選びの件は既に多くの者に結果が見えていると感じていた。
 花姫様を抱き上げた恭様が姿を現した時の、姫付き侍女達の反応は揃って歓喜。

 今も、寝所に花姫様を運ぶ為に部屋へ入った恭様の様子を、チラチラと横目で探っている。
 小萩殿が居なければ、彼女達は我先に中の様子を覗こうと入口に張り付いていただろう。
 確かに、運ぶだけに要する時間を遥かに超えた滞在に何も想像するなという方が難しい。
 そんな期待を周りに抱かせた張本人である恭様は、先ほどまで身につけていた羽織を脱いだ姿で部屋から出て来られた。
 それを見た察しの良い……というより想像豊かな女中が数人、目をキラキラと輝かせた。
 何を想像したのかを聞く術はオレに無いが、恭様が退席した後の彼女達は大盛り上がりなのだと推測できる。

「小萩殿、花姫様はよく眠っていらっしゃいました」
「左様でございますか。藤見様、姫様をお連れ下さってありがとうございました」
「いえ、元はと言えば私が花姫様にお酒を勧めた事が原因ですので……」

 花姫様の様子を語る恭様の耳が、少しだけ赤い。
 月明りの下で交わした言葉や、共に過ごした甘美な時間を思い出しているのだろう。
 部屋の奥にある寝所に目を向け、姿見えぬ花姫様を想う恭様に色香を感じた。

「小萩殿、花姫様は音沁水を飲まれるのが初めてだと聞きました。他の酒類を飲まれて、翌朝ひどく体調を崩されたという経験は御有りですか?」
「まぁ、音沁水を飲まれたのですか?」

 口元を着物の袖で隠し、驚いたような声をあげる小萩殿。
 しかしその瞳は、何かを思案するような印象をオレに抱かせた。

「花姫様のご様子は、藤見様が直接確かめて下さいませ」
「それは見舞う必要がある、という事でしょうか」
「それもご自分の目で確かめて頂きたいと思います。明日、辰の刻に本日と同じ侍女を向かわせましょう。その者が花姫様の元へご案内致しますので、お姿をご確認下さいませ」

 音沁水を飲み交わした事に些か驚いた様子ではあったが、恭様と同じく次の手を打つ姿は気持ちが良い。
 翌日の訪問を何となく取りつけようとした恭様の意向を汲んで、時間の指定までする小萩殿の手口は鮮やかだ。
 初対面から思っていたが、小萩殿もなかなかのやり手だ。 
 己も従者を名乗るなら、このように嫌味の無い運びができるようになりたいと感心させられてしまう。
 千代も、身近に小萩殿のような方が居るのだから好きなだけ手本にできるだろう。

 小萩殿が目配せした方向に恭様を追うように視線を向けると、未の刻に現れた女中が頭を下げていた。
 顔見知り程度であるせいか、あの女中なら恭様と花姫様を素直に応援してくれると思った。
 何より、彼女は恭様と花姫様の様子を誰よりも興奮気味に伺っていた者だから。
 恐らく、今宵の侍女達の会合の中心は彼女だ。

 約束の時刻と迎えの侍女を確認できたので、恭様は場を後にする事をオレに告げる。
 返事をしながら気になっていた羽織の件を訪ねると、恭様は思い出したかのように小萩殿へ羽織を置いてきた経緯を説明された。



 しかし、そこで今まで口を開かなかった千代が、言葉を遮るようにして侍女の中から一歩前へ出た。
 変わらぬ敵意を抱いてはいるが、それは全てを妨害するモノではない気がする。
 問い方や行動は雑だが、意図の分からない羽織に対して疑問を抱いている様子だった。

 恭様は、易々と仕掛けた策を教えて下さる方ではない。
 策に対して相当の代価を払う事も計算して罠を仕掛けるからだ。
 羽織に仕掛けた罠も、千代の言葉に従えるほど安い想いで仕込んだわけではない。
 故に恭様は、周りが口を出せぬ状況を自分の言動で作り上げる。
 それは時に理論的な言葉であったり、感情に訴える言葉であったりと様々。
 今回は――、後者だ。

「千代殿、……どうか羽織は引き離さないで下さい」
「では、何故そんなにも羽織に拘るのかお答え頂きたいと思います」
「私にはあの羽織が花姫様の手に渡った一瞬、羽衣のように見えたのです」
「天女の羽衣、でございますか」
「はい」
「天女の羽衣は、天女に焦がれた男が奪い隠した物です。物を盗む事の愚かさと無理やり手に入れた愛の脆さを説いています」
「そうですね」
「くっ、花姫様を無理やり奪いに来るという警告でございますか!」
「そのような事をしてしまえば、最後には天女に逃げられてしまいます」

 眠る花姫様の手から、無理やり羽織を引き離す事は千代にとって味方を作り難い『状況』。
 羽織を天女の羽衣としたのは、物語が好きな侍女達の感情へ訴える材料の一つ。
 更なる仕上げは、周りを巻き込んで羽織の意図と想いを伝える事だ。

「私は、哀れな男の二の舞にはなりません。だから羽衣を奪わず、羽衣とは違ったもので天女を手に入れます」

 叶わない恋の結末に、何らかの想いを抱いた者は少なくない。

 もしあの時、こうしていれば。
 過ぎてしまった事はやり直せないけれど、後世にまで語られる彼等に幸せの一時があれば良かったのに。
 女鬼ならば、哀れな男と、そんな哀れな男に愛された天女の気持ちを考えた事が一度はあるだろう。

「男が天女を地上に引き留める為には、何が必要だと思いますか?」

 千代に注がれていた恭様の視線が、並び立った侍女達に向けられる。
 問い掛けられて、その答えを考えぬ者はこの場に居ない。
 侍女達も、自分たちの知る物語を想い浮かべながら恭様の言葉への回答を模索する。

 『もしあの時、こうしていれば』。
 その言葉が元となり、侍女たちの考えは各々が望んだ結末へ希望が繋がっていく。

「男と同じように、天女の目を盗んで羽衣を隠せば良いのでしょうか。男より残忍になり、天女の目の前で羽衣を焼いてしまえば良いのでしょうか。天女への想いに溺れ、人目に触れぬ場所に閉じ込め愛を囁けば良いのでしょうか」

 悲劇しか招かない恭様の言葉に、侍女たちは瞳を揺らして否定する。

 そんな事を、侍女達は天女に望まない。
 そんな仕打ちの先にある未来を、侍女達は天女に望まない。
 そんな物語が導き出す悲しい結末を、侍女たちは天女に――……花姫様に望まない。

 侍女達を過ぎ、行き着いた視線は小萩殿のもと。

「見合いの場でも申し上げましたが、私が欲しいのは花姫様の心です。羽衣という形ある物で縛り付けるのではなく、心という枷で繋ぎ留めたい」

 許しを請うのではなく、決意を告げる恭様の声はしっとりとした闇の中でも強く響いた。
 それが静まった廊下に響いたのか、小萩殿を含む侍女達の心に響いたのかは、定かではないが。
 折り返すように、小萩殿から外された恭様の視線が侍女達を通過する。
 己の意図を理解できたか、羽衣の意味が分かったか、と確認するように。

「私が羽衣を手に入れる事があるならば……それは天女が自らの手で羽衣を渡してきた時です」

 ゴクリ、と。
 侍女達の中から唾を飲む音が聞こえた。
 天女の手にある羽衣を奪う事など、できるはずがない。
 それを成そうものなら、この場に居る皆がそれを許さない。

「――……だから、羽衣は未だ天女の手にあるのですよ」

 その言葉を最後に、悔しそうに口を引き結んだ千代は侍女達の列に戻り、顔を俯かせた。
 きっとそれは、花姫様を奪おうとする恭様への対抗心ではなく、恭様の策に対する敗北感。
 以前のような憎悪の念や、幼稚な独占欲は感じられない。

 ここで恭様が千代を負かして下さって、良かったと思った。
 言葉で千代の認識を改める事を告げても、心で意味を解しているかが不安だったからだ。
 こうして心で真の敗北を理解した千代は、妨害を続けながらも不足していた実力を補い始めるだろう。

 それがどのような結果を生み出すのか。
 結果は見えるのは明日なのか、数日後なのか、それとも見える日は永遠に来ないのか。
 それさえも分からぬほど不確かな未来に、千代がどのような立場で過ごしているのか。

 現時点では何も見えず、先を想像する事も簡単ではない状態だが。
 守り仕えるべき唯一無二の主を持つ、同じ従者として……千代の行く末に、千代と花姫様が笑っている事を密かに願った。


 時が止まってしまえば良いと何度願っても、時はあざ笑うかのように流れ日常が繰り返される。
 幸せで幸せでどうしようもない時間も、辛くて辛くて泣きたくなる時間も、気が付けば過去になり日々の喧騒に容易く飲み込まれる。

 千代の認識が進歩したように、頑なな気持ちもやがては変わってしまうのかもしれない。
 千代の花姫様を守るという想いが増したように、気持ちは揺るがぬまま大きくなるのかもしれない。

 動き出した、東条の時は誰にも止められない。
 長年生きた藤見の地を離れ、期待と希望と少しの不安が混在する地で、恭様の背中を見ながら歩む未来は未だ鮮明な色を成さない状態だけど。

 恭様の背中さえ見失わなければ、必ず色鮮やかな美しい世界が見えてくるはずだと確信を持ちながら。
 今度こそ花姫様の部屋を後にする恭様と共に、夜風の吹き抜けた廊下を歩きつつ、オレは東条で生きる未来に様々な想いを馳せたのだった――。

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