へっぽこ鬼日記 幕間九
幕間九 松倉信孝視点
所詮、女鬼である東の鬼姫は、権力争いの道具でしかない――。
それは麻呂が広間に通され、東鬼の名立たる家の年若い男鬼を見た時に抱いた感想でおじゃる。
麻呂の名は松倉信孝、東条の地より東北に位置する領土を治める松倉家の長子でおじゃ。
麻呂達を招集した目的が東条の姫の婿選びだと気付いたのは広間に足を踏み入れてからじゃが、麻呂は集まりがあると聞いた時点で違和感を感じておった。
麻呂が松倉家の書庫で書筒に埋もれながら読み物に耽っておった際に、傍付きの爺(じい)に松倉家当主の父上殿が呼んでおると言われたのが始まりじゃった。
仕方なく書筒をその場に置き、書筒の山を見て溜息を吐いておる爺に片付けは不要と言い残して父上殿の居るであろう場所へ向かったのじゃ。
他の者が触れてしまっては、必要な時に何が何処にあるのか分らなんからのぉ。
そして父上殿の元を訪ねると、矢継ぎ早に東条の地で次世代の各家を担う者達の集まりがあると言われたのじゃが。
尤もらしい理由が父上殿の口から出てくるが、既に麻呂は違和感を感じておった。
その後、畳み掛けるようにして爺と共に屋敷を追い出されたので、当主命令と割り切って従う事にしたでおじゃ。
疑いを持つ点は父上殿に限らず、複数おじゃった。
特に呆けてしもぅたのは、先代当主の東条明彦様が門番に扮しておった事じゃ。
何か理由があるのじゃろうが、先代様を無視して素通りなどできぬので、麻呂は立ち止まって頭を下げた。
そんな様子を見て、後に来た者達も倣って頭を下げておったが、先代様に気付いた者は僅かのようじゃった。
通された広間でも、不自然だと感じる点は皆無ではなかった。
集まった顔ぶれを見れば、東鬼の生きる地に領土を持つ家の子息達。
既にこの時点で招集の目的が何か、麻呂の中では答えが出ておった。が、暇潰しに観察を続ける事にしたのじゃ。
広間で思い思いの行動を取る者の中でも、目立った男は数名。
東条から東南寄りの地に商業の盛んな領土を持つ、豪商の戸館(とだて)家。
周りには交流のある商業系を主な仕事とする家の子息達が集まっておった。
どの者も恰幅の良い姿から裕福な暮らしが窺えるが、麻呂に言わせればただの贅沢太りじゃ。
変わって、東条から西北寄りの地に領土を持ち武士気質で剣術に長けている者が多い、郷田(ごうだ)家。
大柄な体型と無駄に大きな声は暑苦しいとしか思えず、特に夏は決して近づきたくないと思ぅたわ。
戸館の者同様、郷田の者も仲間内で集まっており、どの者も似たり寄ったりな容姿じゃった。
この二家の他にも家の名だけは誉れ高い者が多く集っておったが、家名が独り歩きしておるような、頼り無いような、未熟者のような……。そんな印象を麻呂に抱かせた。
戸館家と郷田家の者が家名に見合っておるというわけではないが、他に比べれば幾分か良いという感じじゃな。
少なくとも、堂々として輪の中心に存在できるだけの一面は持っておる。
そんな風に麻呂は、集まった者達の観察を続けたのじゃ。
麻呂が東条の城に到着した夕刻から時間も経ち、次第に人口密度は増え始めた。
そして、招集の制限として定められた刻限に近づいた頃。
その者――、藤見恭は刻限直前だというのに焦った様子など微塵もなく、静かに現れおった。
正直、初めは何処の家の者か不明じゃった。
それは麻呂だけではなく、広間に居った者達も藤見殿を見て奇怪そうにしておる。
知り合いでも居れば声を掛けると思ぅて傍観しても、藤見殿は飄々とした態度で適当な場所に腰を下ろすのみ。
顔見知りが居らぬという事は、ここに居る者と交流が持てぬ低身分の者か、慣れ合いをせぬ家の者か、他の理由か。
ともあれ、ここに集まった者達と大差ない人物であろうと結論付けて、その時は興味を無くしたのじゃった。
しかし女中頭の小萩という女鬼が現れた後の展開で、その考えが間違いじゃと気付かされたのじゃ。
ただの使用人を東鬼の長だと勘違いし、威厳ある女中頭に対して抜刀手前まで逆上した輩を、鼻で笑ったその者に。
突如攻撃を仕掛けてきた忍に慌てる事無く応戦し、刀の鞘で強烈な一撃を出して下がらせてしまう、その強者に。
そして一連の騒ぎを治めるようにして現れた東鬼の長の言葉に、我が耳に幻聴が入ったのかと暫し疑ってしもぉた。
――『藤見』、確かに長はそう口にされたはずじゃ。
藤見の四男であれば、顔見知りが居らぬのも納得できる。
麻呂の記憶が正しければ、外交を担当する兄達が居るので四男は人前に姿を現さぬ。
風の噂で長期間放浪の旅に出ていると聞いた事がおじゃったが、まさかこの場に居ようとは。
藤見家の者であれば、他家に声を掛けなかったのも当然じゃ。
必要最小限の言動で最善の判断をする名家の者が、下らぬ談笑の輪に加わるはずがない。
それに、麻呂達は藤見殿を知らぬ状態じゃったが、藤見殿は麻呂達を知っておったかもしれぬ。
もし過去に藤見家の四男と面識ある者でも、放浪の期間……五年という長い歳月が少年を青年に変えているのじゃから、気付けなくとも無理はない。
そこまで考え、麻呂は己の中で沸々とわきあがる、興味という名の感情に気付いた。
最初は微かな認識じゃったそれは、藤見殿の言動を目の当たりにする度に増していきおった。
東条の姫と顔を合わせた席でも、欲を隠しもせず醜い腹の内を晒す戸館殿や郷田殿や、便乗して婿候補から外れる隙を見る麻呂とも違う存在。
何一つ迷いなく想いを告げる誠実さと、心根から純粋に愛情を知っておる瞳が東条の姫を一瞬で虜にし、まるで部外者であるような感覚を麻呂達に植え付けた、藤の地から参じた鬼。
もはや勝負はついた。
顔合わせの席で解散が告げられた直後、焦りで足早に退場した他二名の候補者と同じ行動を取りながら、そう思ぅた。
去り際に何度も藤見殿を振り返る東条の姫には、もはや他の婿候補など関係ないのじゃろう。
しかし、それを黙って見過ごせるほど潔い感覚を持ち合わせておらぬのが、欲深い者の特徴。
特に、東条の姫に逢瀬の承諾を得た頃を見計らって、麻呂の元を訪ねて来おった婿候補の二名はその典型的な輩じゃった。
品の無い足音と、無駄に大きな足音の主は確認するまでもない。
一度溜息を吐いて麻呂に用意された客間を出ると、戸館殿と郷田殿が従者を連れた姿で現れおった。
「松倉殿に話があるのだが」
部屋に入れろ、と謙虚さの欠片もない態度で麻呂を見る贅沢太りの男――、戸館兼成(とだてかねなり)は胸を張った。
戸館家の次男で物品を見極める才能は天才的だと聞いた事がおじゃるが、幼き頃から何不自由なく育てられたため、全て己の思う通りに事が運ぶ環境に慣れておるという困った者じゃ。
財政面が充実しておるが故、何でも金の力で解決しようとし、本人もそう解決できると思いこんでおるので、上に立つ器でない事は明らかじゃった。
そして、その戸館殿の一歩後方で同じく胸を張っている体格の良い男――、郷田清十郎(ごうだせいじゅうろう)も見たままじゃった。
位の高い武士を多く出してきた郷田家の長男の彼は、良く言えば素直だが悪く言えば単純な思考の持ち主。
武士である事に誇りを持っておるが、どうしても立場に拘る一面があり低い身分の者を『弱者』と位置づける傾向が否めぬ。
地位による権力を支配や管理するための線引きだと認識している状態では、器量の程度が知れておった。
地位や権力に固執した考えを持つままでは、守るべきモノを見失う。
それを武士の生活で培ってきた経験で補い切れるという思い込みは、危険を招く要因の一つじゃ。
双方にとって、東鬼の長とは何か。
恐らく、両者には『長の役目』という面は未だ見えておらぬ。
戸館殿は絶対的な権力に目が眩んでおり、郷田殿は己の力を過信しすぎておる。
そのような二名を内心で分析し、東条の長には微塵も興味の無い麻呂も然り。
よくぞここまで、役に立たぬ者共が揃いおったわ。
声を上げて笑い出したいのを抑え、麻呂は待たせたままじゃった両者を室内に招き入れた。
爺(じい)に茶を用意させ麻呂がそれを口にしようとした時、戸館殿は身を乗り出すようにして口を開いた。
湯気の立つ茶には一切触れず、己以外には関心がない風じゃった。
「あの女中頭が申したように、松倉殿も姫に文を送ったのであろう? 返事が来るまで暫しの間があったのだが、私は巳の刻に姫と逢う事になりましてな」
「某(それがし)は午の刻でございまする」
「……麻呂の予定を聞いて如何するのでおじゃりますかな?」
何を探りたいのかは安易に想像がついたが、それを知って如何するつもりなのか。
麻呂ならば、とあらゆる策を考えるが目の前の男達が同じような策を練れるとは思わなんだ。
そんな麻呂の様子を都合よく解釈したようで、戸館殿は丸い顔の中にある口を下弦の月と同じ形にした。
「松倉殿は未の刻でございましょう? どうやら一刻の制限で逢瀬が許されておるようですので」
「きっと藤見殿は申の刻に、との返事がされていると某は思いまする!」
「……残念じゃが麻呂は辰の刻に、と返事が来たでおじゃる」
はて、と麻呂が首を傾げて返すと驚き顔で何度か瞬きをし、顔を見合わせた二名。
文の返事が来るだけ機があると思うべきなのじゃが、察しが付いておらぬ様子。
辰の刻から一刻ずつ、という限られた逢瀬は確かに短い。
また、未の刻に藤見殿が姫と逢瀬の約束を交わしておるのであれば、それ以降の時間は藤見殿の自由となる。
麻呂達は制限のある逢瀬を余儀なくされるが、藤見殿だけは縛りがない状態じゃ。
仮に夕餉までという制限を設けられたとしても、未の刻から姫と約束をしておるのであれば、麻呂達より長時間の逢瀬が可能なのは明らかじゃった。
しかしそれは当然の事じゃと麻呂は認識しておった。
むしろ、顔合わせの席であれだけ東条の姫の心を掴んだ者と、同じ扱いになると思ぅておった戸館殿達に麻呂の方が驚いたわ。
己が劣勢であると自覚しておるなら、取るべき行動が自然と浮かぶものじゃ。
東条の姫が何を求めて藤見殿に心を奪われたのか、東条の長に相応しいとされる人物像が何か。
今の確認は、傷の舐め合いとしか受け取れぬ。
不安を感じておるから保身のために同じ状況の者を探し、違う者を嫌悪する。
……そして、そのように情けない思考しか浮かばぬ愚か者どもが次に起こす事も簡単に想定できるという物じゃ。
「くっ、我等を蔑ろにしてあの男を有力候補だと扱うつもりか……。しかし黙っては見過ごす事はできぬ。あの者が姫に逢えぬよう邪魔をしてやろうではないか!」
「おおお、某も加担させて頂こう!」
「うむ、郷田殿も同じ気持ちであったのだな」
「劣勢を覆すには協力も必要になりましょうぞ。某は戸館殿の指示に従う事に致しますが、松倉殿は如何様に?」
「……随分と自信があるようじゃが、戸館殿には何か有効な策が御有りかのぉ?」
「当然ではないか! 今回は数に物を言わせた協同戦を用いるつもりだ。我等に時間の制限を設けて逢おうという考えを、後悔して頂く意味も込めて」
「さすが戸館殿。某には真似できぬお考えでございますな! ――して、戸館殿の考えた策とは一体どのような物でござろうか?」
呆けておった顔に必要以上の血を巡らせ、怒りに拳を戦慄(わなな)かせる姿は思い違いも甚だしい。
仮に己が優勢だった場合、他の候補者がこのような行動を取れば怒り狂うであろう者が悪態を付くなど見苦しい事この上ない。
早々に麻呂の部屋から退室願いたい所じゃが、目の前の二名が仕掛けた策の矛先が藤見殿に向いている事が、麻呂を止めておった。
東条の姫に反意を抱いてはおらぬが、戸館殿の策とやらに興味が無いわけではない。
むしろ、戸館殿の策を通して藤見殿の反応が見たいという事が麻呂の正直な思いじゃ。
様子見として今回の件に加担して、然るべき時に練る麻呂の策の糧を集めておくのも良いじゃろう。
その判断を己の中で下した麻呂は、策の内容を訪ねた郷田殿へ顔を寄せた戸館殿の話に耳を貸すべく不本意ながら身を寄せてやった。
「――と、いう風にお主等には動いてもらろう」
「なるほど。ふむ、某はその時に先ほど仰ったように動くのですな」
「……それで上手く行くかのぉ?」
「はっはっは、なぁに心配されずとも私の策は成功するに決まっておるわ!」
「松倉殿、腹を合わせれば必ず成功致しましょうぞ!」
「………………承知したでおじゃ」
自信に満ちた表情で策を一通り話し終えた戸館殿。
その隣には、今しがた耳にした策での己の役割を呟きながら確認している郷田殿。
両者の目には策の成功と、成功後に優勢な立場となる事への期待が溢れておった。
しかし麻呂は、その策への嫌悪感を顔に出さぬよう抑える事に必死じゃった。
出来る事ならば、愚かな二名に蔑んだ眼を向けて告げてしまいたい。
――それを策と呼ぶつもりか、と。
戸館殿の策は、口にするのも躊躇うほど幼稚な策じゃった。
しかも失敗するのが目に見えておる物で、どこで成功すると確信が持てるのか聞きたいくらいじゃ。
郷田殿は郷田殿で、戸館殿の策を信じて己の役割に専念する事だけを考えておる。
失策となれば、それはそれで麻呂も婿候補から更に一歩遠ざかる事が出来るので損はせぬ。
麻呂は東条の姫の目に適うより、藤見殿との接点が増える方が有難いのでおじゃる。
失策は失策で、藤見殿へ話を持ちかける題材のひとつと数える事も可能。
真実を見極める目を持つであろう藤見殿は、この先の麻呂の行動を見て他の愚かな婿候補と同列の扱いをせぬという確信も、麻呂自身が物事をそう運ぶ自信もある。
一計を案じてこの程度の者達と、一蓮托生など冗談でないわ。
それからおよそ半刻の時間をかけ、戸館殿から詳細を指示された後に麻呂達は解散となったでおじゃ。
明日の準備があると言いながら退席して行く二名を見送り、麻呂も加担すると決めた戸館殿の策に必要な物を用意すべく爺を呼ぶ。
藤見殿へ害が及ぶ前に消えてしまいそうな策を思い返し、麻呂は深く溜息を吐いてしもぉたが……。
その夜――、幼き頃の夢を見た。
書物に埋もれ、知識を増やす日々を送っておった麻呂の隣には、当時の松倉家当主であった麻呂の祖父上。
『信孝よ……お主はわしや父のようになってはならんぞ』
『? 父上殿も祖父上殿も、立派な方おじゃると思うておりまする』
『それは間違いじゃよ。松倉の知を燻らせておる愚か者を見誤るでない』
『知を燻らせるなど、松倉は栄えて……』
『おぬしも松倉の男鬼ならば、いずれ気づくじゃろう。松倉の知を何に使うべきなのかを――』
『祖父上殿……?』
それだけを告げ、幼き麻呂の頭を一度だけ去った祖父上。
麻呂の答えに首を振り、瞳の奥に悲しみを情を浮かべた祖父上に手を伸ばそうとしても、視界がぼやけて叶わぬようになる。
ゆるゆると瞳を上げ、己が眠っていたことに気づいたのは庭先で鳴く鳥の声を聴いたからでおじゃった。
今では、祖父上が何を求めておるのか理解しておる。――頭でのみ。
祖父上が松倉の男鬼に求めたであろうものを、麻呂が手に入れられるか。
それは未だ、心でそれを理解できぬ限り無理そうでおじゃった――。
それは麻呂が広間に通され、東鬼の名立たる家の年若い男鬼を見た時に抱いた感想でおじゃる。
麻呂の名は松倉信孝、東条の地より東北に位置する領土を治める松倉家の長子でおじゃ。
麻呂達を招集した目的が東条の姫の婿選びだと気付いたのは広間に足を踏み入れてからじゃが、麻呂は集まりがあると聞いた時点で違和感を感じておった。
麻呂が松倉家の書庫で書筒に埋もれながら読み物に耽っておった際に、傍付きの爺(じい)に松倉家当主の父上殿が呼んでおると言われたのが始まりじゃった。
仕方なく書筒をその場に置き、書筒の山を見て溜息を吐いておる爺に片付けは不要と言い残して父上殿の居るであろう場所へ向かったのじゃ。
他の者が触れてしまっては、必要な時に何が何処にあるのか分らなんからのぉ。
そして父上殿の元を訪ねると、矢継ぎ早に東条の地で次世代の各家を担う者達の集まりがあると言われたのじゃが。
尤もらしい理由が父上殿の口から出てくるが、既に麻呂は違和感を感じておった。
その後、畳み掛けるようにして爺と共に屋敷を追い出されたので、当主命令と割り切って従う事にしたでおじゃ。
疑いを持つ点は父上殿に限らず、複数おじゃった。
特に呆けてしもぅたのは、先代当主の東条明彦様が門番に扮しておった事じゃ。
何か理由があるのじゃろうが、先代様を無視して素通りなどできぬので、麻呂は立ち止まって頭を下げた。
そんな様子を見て、後に来た者達も倣って頭を下げておったが、先代様に気付いた者は僅かのようじゃった。
通された広間でも、不自然だと感じる点は皆無ではなかった。
集まった顔ぶれを見れば、東鬼の生きる地に領土を持つ家の子息達。
既にこの時点で招集の目的が何か、麻呂の中では答えが出ておった。が、暇潰しに観察を続ける事にしたのじゃ。
広間で思い思いの行動を取る者の中でも、目立った男は数名。
東条から東南寄りの地に商業の盛んな領土を持つ、豪商の戸館(とだて)家。
周りには交流のある商業系を主な仕事とする家の子息達が集まっておった。
どの者も恰幅の良い姿から裕福な暮らしが窺えるが、麻呂に言わせればただの贅沢太りじゃ。
変わって、東条から西北寄りの地に領土を持ち武士気質で剣術に長けている者が多い、郷田(ごうだ)家。
大柄な体型と無駄に大きな声は暑苦しいとしか思えず、特に夏は決して近づきたくないと思ぅたわ。
戸館の者同様、郷田の者も仲間内で集まっており、どの者も似たり寄ったりな容姿じゃった。
この二家の他にも家の名だけは誉れ高い者が多く集っておったが、家名が独り歩きしておるような、頼り無いような、未熟者のような……。そんな印象を麻呂に抱かせた。
戸館家と郷田家の者が家名に見合っておるというわけではないが、他に比べれば幾分か良いという感じじゃな。
少なくとも、堂々として輪の中心に存在できるだけの一面は持っておる。
そんな風に麻呂は、集まった者達の観察を続けたのじゃ。
麻呂が東条の城に到着した夕刻から時間も経ち、次第に人口密度は増え始めた。
そして、招集の制限として定められた刻限に近づいた頃。
その者――、藤見恭は刻限直前だというのに焦った様子など微塵もなく、静かに現れおった。
正直、初めは何処の家の者か不明じゃった。
それは麻呂だけではなく、広間に居った者達も藤見殿を見て奇怪そうにしておる。
知り合いでも居れば声を掛けると思ぅて傍観しても、藤見殿は飄々とした態度で適当な場所に腰を下ろすのみ。
顔見知りが居らぬという事は、ここに居る者と交流が持てぬ低身分の者か、慣れ合いをせぬ家の者か、他の理由か。
ともあれ、ここに集まった者達と大差ない人物であろうと結論付けて、その時は興味を無くしたのじゃった。
しかし女中頭の小萩という女鬼が現れた後の展開で、その考えが間違いじゃと気付かされたのじゃ。
ただの使用人を東鬼の長だと勘違いし、威厳ある女中頭に対して抜刀手前まで逆上した輩を、鼻で笑ったその者に。
突如攻撃を仕掛けてきた忍に慌てる事無く応戦し、刀の鞘で強烈な一撃を出して下がらせてしまう、その強者に。
そして一連の騒ぎを治めるようにして現れた東鬼の長の言葉に、我が耳に幻聴が入ったのかと暫し疑ってしもぉた。
――『藤見』、確かに長はそう口にされたはずじゃ。
藤見の四男であれば、顔見知りが居らぬのも納得できる。
麻呂の記憶が正しければ、外交を担当する兄達が居るので四男は人前に姿を現さぬ。
風の噂で長期間放浪の旅に出ていると聞いた事がおじゃったが、まさかこの場に居ようとは。
藤見家の者であれば、他家に声を掛けなかったのも当然じゃ。
必要最小限の言動で最善の判断をする名家の者が、下らぬ談笑の輪に加わるはずがない。
それに、麻呂達は藤見殿を知らぬ状態じゃったが、藤見殿は麻呂達を知っておったかもしれぬ。
もし過去に藤見家の四男と面識ある者でも、放浪の期間……五年という長い歳月が少年を青年に変えているのじゃから、気付けなくとも無理はない。
そこまで考え、麻呂は己の中で沸々とわきあがる、興味という名の感情に気付いた。
最初は微かな認識じゃったそれは、藤見殿の言動を目の当たりにする度に増していきおった。
東条の姫と顔を合わせた席でも、欲を隠しもせず醜い腹の内を晒す戸館殿や郷田殿や、便乗して婿候補から外れる隙を見る麻呂とも違う存在。
何一つ迷いなく想いを告げる誠実さと、心根から純粋に愛情を知っておる瞳が東条の姫を一瞬で虜にし、まるで部外者であるような感覚を麻呂達に植え付けた、藤の地から参じた鬼。
もはや勝負はついた。
顔合わせの席で解散が告げられた直後、焦りで足早に退場した他二名の候補者と同じ行動を取りながら、そう思ぅた。
去り際に何度も藤見殿を振り返る東条の姫には、もはや他の婿候補など関係ないのじゃろう。
しかし、それを黙って見過ごせるほど潔い感覚を持ち合わせておらぬのが、欲深い者の特徴。
特に、東条の姫に逢瀬の承諾を得た頃を見計らって、麻呂の元を訪ねて来おった婿候補の二名はその典型的な輩じゃった。
品の無い足音と、無駄に大きな足音の主は確認するまでもない。
一度溜息を吐いて麻呂に用意された客間を出ると、戸館殿と郷田殿が従者を連れた姿で現れおった。
「松倉殿に話があるのだが」
部屋に入れろ、と謙虚さの欠片もない態度で麻呂を見る贅沢太りの男――、戸館兼成(とだてかねなり)は胸を張った。
戸館家の次男で物品を見極める才能は天才的だと聞いた事がおじゃるが、幼き頃から何不自由なく育てられたため、全て己の思う通りに事が運ぶ環境に慣れておるという困った者じゃ。
財政面が充実しておるが故、何でも金の力で解決しようとし、本人もそう解決できると思いこんでおるので、上に立つ器でない事は明らかじゃった。
そして、その戸館殿の一歩後方で同じく胸を張っている体格の良い男――、郷田清十郎(ごうだせいじゅうろう)も見たままじゃった。
位の高い武士を多く出してきた郷田家の長男の彼は、良く言えば素直だが悪く言えば単純な思考の持ち主。
武士である事に誇りを持っておるが、どうしても立場に拘る一面があり低い身分の者を『弱者』と位置づける傾向が否めぬ。
地位による権力を支配や管理するための線引きだと認識している状態では、器量の程度が知れておった。
地位や権力に固執した考えを持つままでは、守るべきモノを見失う。
それを武士の生活で培ってきた経験で補い切れるという思い込みは、危険を招く要因の一つじゃ。
双方にとって、東鬼の長とは何か。
恐らく、両者には『長の役目』という面は未だ見えておらぬ。
戸館殿は絶対的な権力に目が眩んでおり、郷田殿は己の力を過信しすぎておる。
そのような二名を内心で分析し、東条の長には微塵も興味の無い麻呂も然り。
よくぞここまで、役に立たぬ者共が揃いおったわ。
声を上げて笑い出したいのを抑え、麻呂は待たせたままじゃった両者を室内に招き入れた。
爺(じい)に茶を用意させ麻呂がそれを口にしようとした時、戸館殿は身を乗り出すようにして口を開いた。
湯気の立つ茶には一切触れず、己以外には関心がない風じゃった。
「あの女中頭が申したように、松倉殿も姫に文を送ったのであろう? 返事が来るまで暫しの間があったのだが、私は巳の刻に姫と逢う事になりましてな」
「某(それがし)は午の刻でございまする」
「……麻呂の予定を聞いて如何するのでおじゃりますかな?」
何を探りたいのかは安易に想像がついたが、それを知って如何するつもりなのか。
麻呂ならば、とあらゆる策を考えるが目の前の男達が同じような策を練れるとは思わなんだ。
そんな麻呂の様子を都合よく解釈したようで、戸館殿は丸い顔の中にある口を下弦の月と同じ形にした。
「松倉殿は未の刻でございましょう? どうやら一刻の制限で逢瀬が許されておるようですので」
「きっと藤見殿は申の刻に、との返事がされていると某は思いまする!」
「……残念じゃが麻呂は辰の刻に、と返事が来たでおじゃる」
はて、と麻呂が首を傾げて返すと驚き顔で何度か瞬きをし、顔を見合わせた二名。
文の返事が来るだけ機があると思うべきなのじゃが、察しが付いておらぬ様子。
辰の刻から一刻ずつ、という限られた逢瀬は確かに短い。
また、未の刻に藤見殿が姫と逢瀬の約束を交わしておるのであれば、それ以降の時間は藤見殿の自由となる。
麻呂達は制限のある逢瀬を余儀なくされるが、藤見殿だけは縛りがない状態じゃ。
仮に夕餉までという制限を設けられたとしても、未の刻から姫と約束をしておるのであれば、麻呂達より長時間の逢瀬が可能なのは明らかじゃった。
しかしそれは当然の事じゃと麻呂は認識しておった。
むしろ、顔合わせの席であれだけ東条の姫の心を掴んだ者と、同じ扱いになると思ぅておった戸館殿達に麻呂の方が驚いたわ。
己が劣勢であると自覚しておるなら、取るべき行動が自然と浮かぶものじゃ。
東条の姫が何を求めて藤見殿に心を奪われたのか、東条の長に相応しいとされる人物像が何か。
今の確認は、傷の舐め合いとしか受け取れぬ。
不安を感じておるから保身のために同じ状況の者を探し、違う者を嫌悪する。
……そして、そのように情けない思考しか浮かばぬ愚か者どもが次に起こす事も簡単に想定できるという物じゃ。
「くっ、我等を蔑ろにしてあの男を有力候補だと扱うつもりか……。しかし黙っては見過ごす事はできぬ。あの者が姫に逢えぬよう邪魔をしてやろうではないか!」
「おおお、某も加担させて頂こう!」
「うむ、郷田殿も同じ気持ちであったのだな」
「劣勢を覆すには協力も必要になりましょうぞ。某は戸館殿の指示に従う事に致しますが、松倉殿は如何様に?」
「……随分と自信があるようじゃが、戸館殿には何か有効な策が御有りかのぉ?」
「当然ではないか! 今回は数に物を言わせた協同戦を用いるつもりだ。我等に時間の制限を設けて逢おうという考えを、後悔して頂く意味も込めて」
「さすが戸館殿。某には真似できぬお考えでございますな! ――して、戸館殿の考えた策とは一体どのような物でござろうか?」
呆けておった顔に必要以上の血を巡らせ、怒りに拳を戦慄(わなな)かせる姿は思い違いも甚だしい。
仮に己が優勢だった場合、他の候補者がこのような行動を取れば怒り狂うであろう者が悪態を付くなど見苦しい事この上ない。
早々に麻呂の部屋から退室願いたい所じゃが、目の前の二名が仕掛けた策の矛先が藤見殿に向いている事が、麻呂を止めておった。
東条の姫に反意を抱いてはおらぬが、戸館殿の策とやらに興味が無いわけではない。
むしろ、戸館殿の策を通して藤見殿の反応が見たいという事が麻呂の正直な思いじゃ。
様子見として今回の件に加担して、然るべき時に練る麻呂の策の糧を集めておくのも良いじゃろう。
その判断を己の中で下した麻呂は、策の内容を訪ねた郷田殿へ顔を寄せた戸館殿の話に耳を貸すべく不本意ながら身を寄せてやった。
「――と、いう風にお主等には動いてもらろう」
「なるほど。ふむ、某はその時に先ほど仰ったように動くのですな」
「……それで上手く行くかのぉ?」
「はっはっは、なぁに心配されずとも私の策は成功するに決まっておるわ!」
「松倉殿、腹を合わせれば必ず成功致しましょうぞ!」
「………………承知したでおじゃ」
自信に満ちた表情で策を一通り話し終えた戸館殿。
その隣には、今しがた耳にした策での己の役割を呟きながら確認している郷田殿。
両者の目には策の成功と、成功後に優勢な立場となる事への期待が溢れておった。
しかし麻呂は、その策への嫌悪感を顔に出さぬよう抑える事に必死じゃった。
出来る事ならば、愚かな二名に蔑んだ眼を向けて告げてしまいたい。
――それを策と呼ぶつもりか、と。
戸館殿の策は、口にするのも躊躇うほど幼稚な策じゃった。
しかも失敗するのが目に見えておる物で、どこで成功すると確信が持てるのか聞きたいくらいじゃ。
郷田殿は郷田殿で、戸館殿の策を信じて己の役割に専念する事だけを考えておる。
失策となれば、それはそれで麻呂も婿候補から更に一歩遠ざかる事が出来るので損はせぬ。
麻呂は東条の姫の目に適うより、藤見殿との接点が増える方が有難いのでおじゃる。
失策は失策で、藤見殿へ話を持ちかける題材のひとつと数える事も可能。
真実を見極める目を持つであろう藤見殿は、この先の麻呂の行動を見て他の愚かな婿候補と同列の扱いをせぬという確信も、麻呂自身が物事をそう運ぶ自信もある。
一計を案じてこの程度の者達と、一蓮托生など冗談でないわ。
それからおよそ半刻の時間をかけ、戸館殿から詳細を指示された後に麻呂達は解散となったでおじゃ。
明日の準備があると言いながら退席して行く二名を見送り、麻呂も加担すると決めた戸館殿の策に必要な物を用意すべく爺を呼ぶ。
藤見殿へ害が及ぶ前に消えてしまいそうな策を思い返し、麻呂は深く溜息を吐いてしもぉたが……。
その夜――、幼き頃の夢を見た。
書物に埋もれ、知識を増やす日々を送っておった麻呂の隣には、当時の松倉家当主であった麻呂の祖父上。
『信孝よ……お主はわしや父のようになってはならんぞ』
『? 父上殿も祖父上殿も、立派な方おじゃると思うておりまする』
『それは間違いじゃよ。松倉の知を燻らせておる愚か者を見誤るでない』
『知を燻らせるなど、松倉は栄えて……』
『おぬしも松倉の男鬼ならば、いずれ気づくじゃろう。松倉の知を何に使うべきなのかを――』
『祖父上殿……?』
それだけを告げ、幼き麻呂の頭を一度だけ去った祖父上。
麻呂の答えに首を振り、瞳の奥に悲しみを情を浮かべた祖父上に手を伸ばそうとしても、視界がぼやけて叶わぬようになる。
ゆるゆると瞳を上げ、己が眠っていたことに気づいたのは庭先で鳴く鳥の声を聴いたからでおじゃった。
今では、祖父上が何を求めておるのか理解しておる。――頭でのみ。
祖父上が松倉の男鬼に求めたであろうものを、麻呂が手に入れられるか。
それは未だ、心でそれを理解できぬ限り無理そうでおじゃった――。
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