へっぽこ鬼日記 第十四話(二)
第十四話 (二)
柔らかな笑みを浮かべて俺を見ている長髪の美形が目の前にいるが、俺はすぐに返事をすることができず彼の顔をじっと見つめたままだった。
そんな俺が警戒していると思ったのか、この美形のお兄さんは両手をヒラヒラとさせて自分に害がないことをアピールしてきた。
「警戒しなくても大丈夫よ。鈴風すずかぜの一員だから身元はご心配なく」
その一言を告げれば疑われないという顔をしながら、お兄さんはパチンとウインクしてくれたけど――あの、すずかぜって何でしょう?
えーっと、漢字にしてみるなら「鈴風」かな? ……何か可愛いな。いや、間違ってるかもしれないけどさ。
その言葉が何を指すのかすごく気になるが、実はこの辺りで超有名な店の名前だったり、一般常識の言葉だったりするかもしれない。
よ、よし、知ったかぶりの方向で進めようじゃないか。下手に質問なんてすれば恥をかく可能性もあるから聞き返すのは止めておこう。
言葉の響きから、可愛いらしい物が連想できるので女の子向けの品物を扱う店かな。このお兄さん、女の子受け良さそうな顔しているし。
甘味屋の女の子みたいに、店の呼び込み役かのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「なるほど、確かに鈴風がよく合う方ですので納得しました」
「あら、そんな事初めて言われたわ。鈴風の者なら最高の褒め言葉ね」
良かった、俺の考えは間違ってなかったみたいだ!
美形が呼び込みしてれば店も繁盛しているはず。鈴風さんの従業員達は仕事を誇りに思っているようだし、我ながら良い切り抜け方だった。
相手から良い反応があったことに調子づいた俺の口からは、褒めまくってこの場を乗りろうと賛辞が続けて飛び出す。
「一目見れば分かりますよ。ご自分のお仕事に誇りを持っていらっしゃるのだとも」
「――ふふ、私のお仕事……ね。確かに嫌いじゃないわ。ずっと続けてきた事だもの」
ふむふむ、鈴風で働き始めて長いのかな。もしくは、鈴風で生まれ育ったとか。
そんな風に俺が美形の兄さんの言葉に頷いていると、俺の前の席を見ながら最初の時と似たような言葉を口にした。
「今は休憩中なの。ご迷惑じゃなければ少し話し相手になって下さらない?」
「そうですね、連れが来るまでの間で宜しいのでしたら」
まぁ、俺も陽太が来るまで暇を持て余しているだけだ。
貴重な休憩時間を俺なんかと過ごして苦痛じゃないなら、特に断る理由もない。
それに、鈴風が本当に女の子向けの商品を扱う店なら、当初の目的通り流行り物について聞き出したいとも思う。
残念ながら、陽太が足を運んでいる呉服屋から小者屋を紹介してもらえると思うので、直接鈴風のお店を覗くことはないかもしれないけれど。
とにかく、今はお兄さんとの会話で自然な流れを意識し、話題をそちらの方向へもっていかなければならない。
正直に「流行りを教えてくれ」と頼むのもアリだが、そう簡単に答えを知っても嬉しくないというか何というか。
俺の了承を得たお兄さんは、俺の正面の席に座り店主が運んできたお茶を上機嫌で受け取った。
休憩と言ってもここで食べていくわけではないようで、店主に「いつものを持ち帰りで」と注文している。
俺に声をかけてきたのは、持ち帰りの商品が用意できるまでの時間潰しなのだろう。
そう判断した俺は、お茶を飲んで息を漏らすお兄さんに労いの言葉をかけた。もちろん、流行り物を聞き出すことに繋がる言葉も添えて。
「お仕事お疲れ様です。鈴風はいつもお忙しそうだと聞いていますよ」
「人数が多いからそう見えるだけじゃないかしら? 少なくとも、私にとっては暇だわ」
「そうなのですか?」
「ええ。だから、そろそろ辞め時だと思っているのよねぇ」
え、まさかの独立宣言? 早速俺の作戦が不発に終わりそうなんだけど。
お兄さんは相当不満が溜まっているのか、給料が安いだの人使いが荒いだのと文句を言っている。
一通り愚痴が終わったと思えば、次に就きたい職の理想条件を語り始めた。
当然、俺はその就職相談(?)に適当な相槌を打つことしかできない。だって俺、職業紹介所の職員とかじゃないからね。
ただ一つ気になる事もある。そりゃあ俺で力になれるなら話ぐらい聞くよ。でもこのお兄さんさぁ……
「次の勤め先の予定はあるのですか?」
「興味のある所なら一つ。でも、どうすれば良いのか分からないの。教えて下さらないかしら?」
さっきから超他力本願なんですけど。
良い勤め先を紹介して欲しいやら、お勧めは何処か意見が聞きたいやら。
どうも自分から行動を起こすより、機会が巡ってくるのをのんびり待つ気でいるようだ。
そんな気持ちじゃ上手くいくものもダメになってしまうと思った俺は、お兄さんに首を横に振って互いの考え方が違うのだと伝える。
「まずはご自分で色々と調べた方が宜しいのでは? 雇用契約を結ぶためには手順が必要だと思います」
会社……お店かもしれないけど、働きたい所のことを調べるのは最低ラインだと思う。
何も知らない状態で面接なんて展開になった時、志望動機をどう説明するつもりなのか。履歴書に志望動機を書く欄があるくらいだし、少しは就職希望先について会話が広がるよう準備しておいた方が良い。
この時代の就職率がどんなものなのかは分からないけど、俺が雇い主なら会社やお店の事に関心を持つ人を採用するに決まっている。
そんな俺の視線による真剣な訴えが通じたのか、お兄さんは更に笑みを深めた。
「調べても良い、ということね。うふふ、得意分野だから楽勝よ」
「前向きなのは良いことですが、油断は禁物ですよ」
「ご忠告どうも。そうね、他ならぬ貴方の言葉ですもの。油断は禁物……肝に銘じておくわ」
笑みは絶やさないが、妙に深刻そうな声色で復唱されてしまうと何とも言えない気持ちになる。
転職云々の話になっていたが、実は愚痴を言いたいだけで本当は冗談だったというオチも否定できないのに、真面目に返した俺のせいで空気を悪くしてしまったようだ。
これは責任を持って場の空気を変えなくては! と意気込んで、何かを思案しているようなお兄さんに声を掛けようとする。
しかしそこで、まだ互いに自己紹介をしていないことに気づいた。
たとえ転職の話が本当だったとしても、すぐに就職先が決まるわけではないので暫くはこの城下町で顔を合わせるかもしれない。
鈴風を辞めたからといって、流行りの情報に疎くなることもないだろう。仲良くなっておいて損はないと思った。
仲良くなるには、フレンドリーな自己紹介から!
それを強く意識して、口を開くタイミングを見計らいつつお兄さんをじっと見つめた。
――のだけど。
「あらやだ、時間切れみたい。急いで戻らなくちゃ」
そう言ってお兄さんは、俺の正面の席から立ち上がった。一人座ったままなのも失礼なので俺も同じように腰を浮かせた。
休憩時間は俺が思っていたよりも短かったようで、頻りに店の外を気にしている。
ちょうど持ち帰りの品も出来上がったらしく、店主が持ちやすいよう包装したそれをお兄さんに渡すために近づいてきた。
お兄さんはその品をお金と交換し、少し早口で俺に別れを告げる。
「ごめんなさいね、私から声を掛けたのに慌ただしくて……」
「いえ、此方こそあまりお相手できず申し訳ありません」
「やだ?、そんな事気にしないで下さいな。だって、またすぐにお会いできますもの」
「はい?」
「では、本日はこれで失礼いたします――……藤見様」
「――!?」
明るかった声色を、最後の部分だけ低くしたお兄さんに目を見開く。
俺は自分でお兄さんに自分の名を教えていない。実は最初から「藤見恭」の知り合いだったという事も否定し切れないが、声を掛けられた時……互いに初対面の空気が漂っていたはずだ。
藤見家は東鬼一族でそれなりに有名な家系だから、それに気づく人がゼロだとも断言できない。
いくら考えても答えは出てこないが、ただ一つ言えるのは――お兄さんが一般人ではないという事。
出会った時と全く同じ笑顔で手を振って、甘味屋の出入口から姿を消していた事に気づいたのは、息を切らせた陽太が甘味屋に現れてからだった。
東条の城下町には、転職思案中のおねぇ言葉の美形がいる。
それが城下町探索一日目に俺が認識したことだった――
そんな俺が警戒していると思ったのか、この美形のお兄さんは両手をヒラヒラとさせて自分に害がないことをアピールしてきた。
「警戒しなくても大丈夫よ。鈴風すずかぜの一員だから身元はご心配なく」
その一言を告げれば疑われないという顔をしながら、お兄さんはパチンとウインクしてくれたけど――あの、すずかぜって何でしょう?
えーっと、漢字にしてみるなら「鈴風」かな? ……何か可愛いな。いや、間違ってるかもしれないけどさ。
その言葉が何を指すのかすごく気になるが、実はこの辺りで超有名な店の名前だったり、一般常識の言葉だったりするかもしれない。
よ、よし、知ったかぶりの方向で進めようじゃないか。下手に質問なんてすれば恥をかく可能性もあるから聞き返すのは止めておこう。
言葉の響きから、可愛いらしい物が連想できるので女の子向けの品物を扱う店かな。このお兄さん、女の子受け良さそうな顔しているし。
甘味屋の女の子みたいに、店の呼び込み役かのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「なるほど、確かに鈴風がよく合う方ですので納得しました」
「あら、そんな事初めて言われたわ。鈴風の者なら最高の褒め言葉ね」
良かった、俺の考えは間違ってなかったみたいだ!
美形が呼び込みしてれば店も繁盛しているはず。鈴風さんの従業員達は仕事を誇りに思っているようだし、我ながら良い切り抜け方だった。
相手から良い反応があったことに調子づいた俺の口からは、褒めまくってこの場を乗りろうと賛辞が続けて飛び出す。
「一目見れば分かりますよ。ご自分のお仕事に誇りを持っていらっしゃるのだとも」
「――ふふ、私のお仕事……ね。確かに嫌いじゃないわ。ずっと続けてきた事だもの」
ふむふむ、鈴風で働き始めて長いのかな。もしくは、鈴風で生まれ育ったとか。
そんな風に俺が美形の兄さんの言葉に頷いていると、俺の前の席を見ながら最初の時と似たような言葉を口にした。
「今は休憩中なの。ご迷惑じゃなければ少し話し相手になって下さらない?」
「そうですね、連れが来るまでの間で宜しいのでしたら」
まぁ、俺も陽太が来るまで暇を持て余しているだけだ。
貴重な休憩時間を俺なんかと過ごして苦痛じゃないなら、特に断る理由もない。
それに、鈴風が本当に女の子向けの商品を扱う店なら、当初の目的通り流行り物について聞き出したいとも思う。
残念ながら、陽太が足を運んでいる呉服屋から小者屋を紹介してもらえると思うので、直接鈴風のお店を覗くことはないかもしれないけれど。
とにかく、今はお兄さんとの会話で自然な流れを意識し、話題をそちらの方向へもっていかなければならない。
正直に「流行りを教えてくれ」と頼むのもアリだが、そう簡単に答えを知っても嬉しくないというか何というか。
俺の了承を得たお兄さんは、俺の正面の席に座り店主が運んできたお茶を上機嫌で受け取った。
休憩と言ってもここで食べていくわけではないようで、店主に「いつものを持ち帰りで」と注文している。
俺に声をかけてきたのは、持ち帰りの商品が用意できるまでの時間潰しなのだろう。
そう判断した俺は、お茶を飲んで息を漏らすお兄さんに労いの言葉をかけた。もちろん、流行り物を聞き出すことに繋がる言葉も添えて。
「お仕事お疲れ様です。鈴風はいつもお忙しそうだと聞いていますよ」
「人数が多いからそう見えるだけじゃないかしら? 少なくとも、私にとっては暇だわ」
「そうなのですか?」
「ええ。だから、そろそろ辞め時だと思っているのよねぇ」
え、まさかの独立宣言? 早速俺の作戦が不発に終わりそうなんだけど。
お兄さんは相当不満が溜まっているのか、給料が安いだの人使いが荒いだのと文句を言っている。
一通り愚痴が終わったと思えば、次に就きたい職の理想条件を語り始めた。
当然、俺はその就職相談(?)に適当な相槌を打つことしかできない。だって俺、職業紹介所の職員とかじゃないからね。
ただ一つ気になる事もある。そりゃあ俺で力になれるなら話ぐらい聞くよ。でもこのお兄さんさぁ……
「次の勤め先の予定はあるのですか?」
「興味のある所なら一つ。でも、どうすれば良いのか分からないの。教えて下さらないかしら?」
さっきから超他力本願なんですけど。
良い勤め先を紹介して欲しいやら、お勧めは何処か意見が聞きたいやら。
どうも自分から行動を起こすより、機会が巡ってくるのをのんびり待つ気でいるようだ。
そんな気持ちじゃ上手くいくものもダメになってしまうと思った俺は、お兄さんに首を横に振って互いの考え方が違うのだと伝える。
「まずはご自分で色々と調べた方が宜しいのでは? 雇用契約を結ぶためには手順が必要だと思います」
会社……お店かもしれないけど、働きたい所のことを調べるのは最低ラインだと思う。
何も知らない状態で面接なんて展開になった時、志望動機をどう説明するつもりなのか。履歴書に志望動機を書く欄があるくらいだし、少しは就職希望先について会話が広がるよう準備しておいた方が良い。
この時代の就職率がどんなものなのかは分からないけど、俺が雇い主なら会社やお店の事に関心を持つ人を採用するに決まっている。
そんな俺の視線による真剣な訴えが通じたのか、お兄さんは更に笑みを深めた。
「調べても良い、ということね。うふふ、得意分野だから楽勝よ」
「前向きなのは良いことですが、油断は禁物ですよ」
「ご忠告どうも。そうね、他ならぬ貴方の言葉ですもの。油断は禁物……肝に銘じておくわ」
笑みは絶やさないが、妙に深刻そうな声色で復唱されてしまうと何とも言えない気持ちになる。
転職云々の話になっていたが、実は愚痴を言いたいだけで本当は冗談だったというオチも否定できないのに、真面目に返した俺のせいで空気を悪くしてしまったようだ。
これは責任を持って場の空気を変えなくては! と意気込んで、何かを思案しているようなお兄さんに声を掛けようとする。
しかしそこで、まだ互いに自己紹介をしていないことに気づいた。
たとえ転職の話が本当だったとしても、すぐに就職先が決まるわけではないので暫くはこの城下町で顔を合わせるかもしれない。
鈴風を辞めたからといって、流行りの情報に疎くなることもないだろう。仲良くなっておいて損はないと思った。
仲良くなるには、フレンドリーな自己紹介から!
それを強く意識して、口を開くタイミングを見計らいつつお兄さんをじっと見つめた。
――のだけど。
「あらやだ、時間切れみたい。急いで戻らなくちゃ」
そう言ってお兄さんは、俺の正面の席から立ち上がった。一人座ったままなのも失礼なので俺も同じように腰を浮かせた。
休憩時間は俺が思っていたよりも短かったようで、頻りに店の外を気にしている。
ちょうど持ち帰りの品も出来上がったらしく、店主が持ちやすいよう包装したそれをお兄さんに渡すために近づいてきた。
お兄さんはその品をお金と交換し、少し早口で俺に別れを告げる。
「ごめんなさいね、私から声を掛けたのに慌ただしくて……」
「いえ、此方こそあまりお相手できず申し訳ありません」
「やだ?、そんな事気にしないで下さいな。だって、またすぐにお会いできますもの」
「はい?」
「では、本日はこれで失礼いたします――……藤見様」
「――!?」
明るかった声色を、最後の部分だけ低くしたお兄さんに目を見開く。
俺は自分でお兄さんに自分の名を教えていない。実は最初から「藤見恭」の知り合いだったという事も否定し切れないが、声を掛けられた時……互いに初対面の空気が漂っていたはずだ。
藤見家は東鬼一族でそれなりに有名な家系だから、それに気づく人がゼロだとも断言できない。
いくら考えても答えは出てこないが、ただ一つ言えるのは――お兄さんが一般人ではないという事。
出会った時と全く同じ笑顔で手を振って、甘味屋の出入口から姿を消していた事に気づいたのは、息を切らせた陽太が甘味屋に現れてからだった。
東条の城下町には、転職思案中のおねぇ言葉の美形がいる。
それが城下町探索一日目に俺が認識したことだった――
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