ジュディハピ! ダイジェスト①
ダイジェスト(デジャヴ〜エンディング?)
「今日から高校二年生だね!」
その事実に気付いたのは、校門で会った親友の一言だった。
高校二年生の春休みが終わり、受験や就職を控えた最終学年の初日だと思って登校した私――平田加奈子ひらたかなこ――へ告げられた何気ない一言。
普段の私なら軽い冗談だと思って聞き流すのだけど、それはできなかった。
何故なら、私はこのやり取りに覚えがあるからだ。
そう思った瞬間、脳裏に『一年前』の記憶がいくつもフラッシュバックしてくる。その感覚に混乱する頭で必死に考えた。浮かんでくる何回分もの記憶は時間やシチュエーションに若干の誤差があっても、すべて同じ結果を導き出していく。
私は『高校二年生の初日』を知っている――……
新しいクラス表を見に行く親友の後ろ姿にも見覚えがあり、私はすでに自分や彼女が何組になるのかを知っていた。
そう、私は今日に限らず『高校二年生の一年間』を知っているのだ。
その事実に気付いた瞬間から、私の学生生活が大きく狂い始めた――……。
そんな校門での一件の後、私は何度目かになる二年生初日の教室に居た。私にとっては見慣れてしまっている光景だが、周りは新鮮だと言わんばかりの空気を溢れさせている。
チャイムと同時に教室に入って来た担任を見て、女子が嬉しそうな声を上げるのもすでに知っていた。学園で一、二を争うほど人気のある教師、六井湍むついはやせ先生がブランドもののスーツに身を包んで登場したからだ。
『湍』と書いて『ハヤセ』と読む、その珍しい名前を本人は気に入っていると専らの噂だ。しかし、特定の人にしか呼ぶ事を許さないと聞いたことがある。
それでも、繰り返した記憶の中には、数多くの女子生徒や女教師が六井先生の名前を呼ぼうと意気込んでいた。
もちろん、誰もがことごとく却下されて、先生の機嫌を著しく損ねていたっけ。
その中で一つの例外があったのは――
「おい平田。二年の初日から随分な態度だな」
「っ……!」
「まさか俺の話を聞いていなかった、なんて言わねえよなぁ?」
突然、頭の上から降ってきた声に慌てて顔を上げると、目の前には六井先生がいた。真新しい出席簿を持って自分の肩を叩いている先生は、初日から問題児を見つけて面倒だというような目をしていた。記憶を辿ることに集中していたせいで、話を聞いていないと誤解されたようだ。
これはマズイと焦った私は、急いで席から立ち上がる。そして、先生と視線が交わらないように俯いた。
それでも、ぐるぐると頭の中で考えるのは『以前』の情景。先生の話を聞かずに注意されるのはいつも男子生徒だったのに、今回は何故か私になっている。
私にターゲットが移ったということは、『以前』と別の行動することで何らかの変化が生じるのではないだろうか。
「話を聞いていたなら、さっき俺が何を言ったのか答えてみろ」
「あの、き、『今日は講堂での集会だけなので早く移動するように』と、えっと、『生徒会と風紀の発表があるが、騒がしくするな』と『生徒会顧問である俺への拍手は盛大に』です」
「……なんだ、聞いていたのか。もしかして具合でも悪いのか?」
「よ、よくボンヤリしていると言われるので」
「なるほど。だが、変な誤解されないよう今後は気を付けろ」
何度も過去で耳にした言葉を思い出しながら答えた私の頭を、先生は手にしていた出席簿でパコっと軽く叩いた。
そして、これ以上私に用はない、とばかりに教卓へ戻っていく先生の背中を眺めながら、小さく息を吐く。これから先の未来を思うと憂鬱で仕方なかった。
そうして私は、情報収集に徹底すると決めてからの一年の記録を、私は一冊のノートに日記として残した。
結論から言ってしまうと、高校二年生の一年間は再びやってきた。
ループしている一年間はほぼ私の記憶通りで、情報を集めるためにある程度の行動を起こしても大差はなかった。
何か利点を上げるなら、繰り返す事で高校二年生の授業では困らなくなった事だろうか。テスト範囲も出題される問題も同じなので律儀に勉強した私の知識が必然的に深まっただけ。
でも、一年を過ごし終えて日記を書いたはずの私は、何故か中に何を書いたのか内容をよく思い出せない。
そのことを不思議に思いながら、私は日記のページをゆっくりと捲った。
◆◆◆
日記にはとある生徒のことが中心的に書かれているようだった。
その人物は、四月末という中途半端な時期に私と同じクラスに転入してくる――姫川愛華ひめかわあいか――のこと。
学園の人気者達から次々とアプローチをかけられお姫様のような扱いを受ける美少女だったはず。
……あいまいな事しか言えないのは、どう頑張っても日記に何を書いたのか思い出せないからだ。
更に不可解なのが、そんな風に目立つ存在である姫川さんについて単なる『転校生』としか言えないこと。
同じクラスで、しかも学園の人気者達から好意を寄せられていた姫川さんが大きな学園行事等でどんな風に過ごしていたか等、少しくらい知っていても可笑しくないと思う。
しかし、どれだけ記憶を遡さかのぼろうとも該当するものは存在しなかった。
日記を読み返すことに少し不安を覚えながら、それでも私は覚悟を決めて内容を確かめることにした。
▼日記を読み返して?
【四月】の日記には、姫川さんの転校を機に学園中が一気に騒がしくなった事が綴られていた。
私と同じ二年二組の一員となった姫川さんはその名の通り容姿端麗で本当にお姫様のような人だった。
だが、どうやら性格に少し癖のある人物らしい。それに、彼女を取り巻く環境は学園の日常と大きく違っていたのだ。
特別という存在を作らず、生徒に公平な態度を取っていた担任の六井先生は姫川さんを気に入り、互いを名前で呼ぶようになっていた。
姫川さんの可憐な容姿に口元を綻ばす男子には『俺の愛華に手を出すんじゃねーぞ』と、頭が桃色になっているとしか思えない発言をした。
女子の嫉妬に燃える視線も気にせず、自己紹介の時間をイチャイチャするだけで過ごした二人を見て、私は心の中で「そういうことはホテルでやれ」とドン引いた。
学園に不慣れな姫川さんの世話役として学級委員長が指名されたのを聞きながら、この時は未だ自分の平穏が大きく崩れるとは夢にも思っていなかった……
姫川さんはその生い立ちからして特別な人のようで、理事長の親戚という立場により転校初日に案内役を務めた生徒会の副会長とも親しくなっていた。
だが教室で六井先生と空気を読めないイチャつきぶりを発揮したように、副会長にも恋の花を咲かせてしまったようだ。
噂では、初対面の副会長に『その社交辞令の笑顔……とても気持ち悪いので止めてください』と言ったことで好意を寄せられるという。
どう考えてもときめくポイントではないのだけど、何故か副会長は満面の笑みで姫川さんを抱きしめたらしい。私の中で副会長がM属性だと確定された瞬間だ。
友人の絵理が『嘘の笑顔だとハッキリ言う人が嬉しかったんじゃない?』と言っていたが違うと思う。
きっとMの副会長は姫川さんの隠されたS属性に気付いたんだ。私にはよくわからん喜びだが、おめでとう副会長。
もちろん、そんな風に人気のある男性達と姫川さんが親しくすることに、女子達は良い顔をしなかった。
数人で姫川さんを囲んで文句を言ったり、睨むような目で姫川さんを見たりしている事も少なくない。
その都度、学級委員長の『転校したてで学園のルールを知らないだけだから、ね?』というフォローをし、女子達の怒りをおさめていた。
が、『わたしと玲先輩は友達だもん!』という姫川さんのKY発言により必死のフォローも水の泡。
とりあえず、姫川さんは人の言葉が伝わらない宇宙人で超ウザイ存在だと思った。
【五月】の日記には、姫川さんが副会長以外の生徒会メンバーと遭遇した事で新たに起こった問題について書かれていた。
姫川さんにメロメロキュンな副会長が満面の笑みで『愛華!』と姫川さんに駆け寄り、姫川さんも笑顔で『玲あきら先輩!』と副会長に抱きついたものだから……学食内はブーイングの嵐でした。誰か耳栓ください。
更に副会長が姫川さんの頬にキッスするもんだから困った困った。とりあえずココは日本だから挨拶はコンニチハで済ましておけよ。
他にも、会長サマが姫川さんの容姿を見て『気に入った、俺様の女になれ』と危うく味噌汁噴き出してしまいそうになる俺様発言をしたり、そんな扱いに怒った姫川さんが会長サマにビンタして一瞬食堂内が静まり返ったんだけど、『ますます気に入った』と会長がM発言。
次に『愛華ちゃんって面白いからお友達になりたいな!』と言う双子に『私達はもうお友達でしょう?』と姫川さん。どうやら姫川さんと言葉を交わせば強制的に友達のようだ。気を付けよう。
その次には『オレ達生徒会は多くの生徒ファンに公平でなくちゃならないから友達が少ないんだよ』という会計に姫川さんが『そんなのおかしいわ!ファンなんて、必要ないじゃない!』とKYスキル発動。
色々と収拾のつかなくなった場は風紀が現れた事で何とか落ち着いたけれど、この日も私はドン引きでした。
それからというもの、生徒会と風紀のいった見目と家柄の良い男性陣と着々と仲良くなっていく姫川さん。
彼等の好意を一身に受けながらも、いつのまにか親友に昇格させられている学級委員長を巻き込んで楽しい日々を過ごしていた。
とりあえず親友に昇格した委員長にならって、姫川さんをKYからSUKYに昇格させておこう。SUKYとはスーパーウルトラ空気読めないの略であーる。なんちゃって。
――そんな風に遠巻きに姫川さん達を眺めていた私に、事件が起こった。
五月末に実施された中間テストにて、七十位前後だった順位を三十一位まで上げてしまった私に、カンニングの疑惑が掛けられたのだ。
カンニングだと判断された理由は簡単だった。私の名字は平田。ハ行の二番目の『ヒ』。そして学年三位という輝かしい成績の姫川さんもハ行の二番目の『ヒ』。名前の順に席につくと私は姫川さんの真後ろの席になる。
もちろん私は否定したけれど、『こんな奴の近くに座った愛華が可哀想だ』とか『今後のテストで対策を考える必要があるな』と零した風紀顧問の十倉とくら先生と担任の六井先生の二人に対して怒りで目の前が真っ赤に染まった。
二人とも個性的だが、生徒のことを大切にする良い先生だと思っていた。それが、たった一人の女のせいでこのザマだ。
ぼやけた視界の先に存在する二人の教師を、慕っていた自分が馬鹿らしくなった。声にしても伝わらないことを、これ以上どうすれば良いというのか。
悔しくてたまらなくなって、私は自分の答案用紙と反省文用の原稿用紙を引っ掴んで生徒指導室を飛び出した。私を追うようにして聞こえてきた声は届いていないフリをして――
この日、私は自分が終わらない一年を繰り返していることを心の底から嫌になって廊下を全力で駆けながら声もなく泣いた。
▲=====
そこまで読んだ所で、日記のページを捲くっていた手を止め、姫川さんが四月と五月に起こした問題を考えてみる。
すると不思議なことに、日記を読む前には何も思い当たらなかった出来事が簡単に頭の中に浮かんでくるではないか。
「そうだ、こんな事があったんだ。……でも、何で今まで思い出せなかったのかな?」
しかし逆に、日記を未だ読んでいない六月以降のことを思い出そうとしても、姫川さんが関連する事が何も思い浮かばない。
疑問と、何故か逸る気持ちを感じながら私は日記の続きを読むことにした――
▼日記を読み返して?
【六月】の六という字は嫌いだ。何故なら口に出すのも腹立たしいホスト教師の名字の一部だから。
とりあえずあの先生と十の字がつく先生は湿気でジメジメしている廊下で転べばいいと思う。むしろ転べ。三回転ぐらいしてしまえ。
カンニングの件についてだが、『私は無実だ』という言葉を反省文用の原稿用紙二十枚にビッシリと書いて提出しておいた。しかも二人分。つまり四十枚だ。
最初は書き直せと突っ掛かってきた二人だが、私が冷めた眼で三度ほど同じことを繰り返すと何も言ってこなくなった。ついでに言うと私は二人に挨拶すらしなくなった。目線も合わせない。存在ごと丸っと無視だ。
雨ばかり降っているので忘れがちだが、実は今月は体育祭がある。
うちの学園は体育祭は二日にわたって行われる。一日目は学園に慣れ始めた一年と他の学年が交流を深めるために何か催しを行う『交流会』。そして二日目が世間一般でいうところの体育祭だ。
交流会の内容は『校内鬼ごっこ』で、一年全員が逃げる側で他が鬼役だそうだ。逃げ切った人や一定の数を捕まえた人には賞品が出るようだが面倒なので適当にサボろうと思う。
変わって体育祭の方だけど、私は借り物競走の補欠という事実上競技不参加の地位を勝ち取った。ジャンケンでチョキばかり出し続けていたら王者に君臨していた。チョキすげぇ。
ちなみに姫川さんは私が補欠になった借り物競走に出場するようだ。何だか嫌な予感がする。
その嫌な予感は見事に的中し、姫川さんは『生徒会専属チアガール』に任命された。異議を申し立てた風紀により『生徒会と風紀の専属チアガール』に再任命された姫川さんが競技不参加となったので、私は繰り上げで借り物競走に参加することとなってしまった。
ついでに姫川さんは、交流会では一年と同じで逃げる側のようだ。もちろん、姫川さんを捕まえるのは生徒会の権利だとか何とか、意味不明な校内放送も流された。
それ以外は特に変更なく、予定通り体育祭は実施された。
一日目交流会は風紀に見つからない絶好スポットでサボリ、二日目の体育祭は借り物競走でまずまずの成績を残して終わった。
姫川さんについて? 確か交流会では生徒会長に捕まって、体育祭の方では借り物競走の当たりのお題『好きな人』を引いた生徒会の双子の片割れ(どちらかは不明)と風紀委員の不良っぽい見た目の人に取り合いされていたような…。
まぁ、他にも色々ウザイ競技があったけど、私には直接関係なかったので特に書くことはない。
【七月】の日記の最初に行われる期末テストでは、通常通りの順位に戻すことを目標とした。
カンニング疑惑の件は腹立たしいが、ヤケになって良い成績を取るのも変に目立つことへ繋がるので回避する道を選んだ。
返却された答案に記された点数はほぼ予定通り。この様子なら元の七十位付近に戻れるだろう。
と思って余裕をかましていたら、中間テストに続き今回も生徒指導室に呼び出された。話を聞いてみると二人は私の点の取り方が気に入らなかったようだ。
まぁ、何となく言いたい事は分かる。何故なら私は中間テストでの疑いを晴らすために『正しい解答』しかテストに記入していないからだ。
だからと言って私が満点を取ったわけではない。――つまり、私はある一定の点数が取れる問題にしか解答を記入しなかったのだ。残りはすべて未記入のまま。問題に手をつけた形跡すらない。子供でも気付く不自然な点。それが二人の癪に障っているらしい。
だから私は『姫川さんの答案をカンニングしたんです』と自分が出来る最高のニッコリ笑顔で二人に告げてやった。
テストの結果も発表され、あとは夏休みを待つだけになった某日。前々から恐れていたことが起こった。
どうやら生徒会+風紀委員のファンのイジメが夏休み開始直前に復活したらしい。
原因は恐らく、数日前に例のメンバーが教室にやって来て姫川さんの夏休みの予定を聞いていたことに関連しているだろう。
各自が所有する別荘に誘って来る中、『私一人だけなんて、無理だよぉ』と頬を染めながら言う姫川さんは果てしなくウザかった。
最終的に生徒会長の別荘に全員で遊びにいく事になったらしいが、それが再びイジメの火種を大きくしたようだ。そしてそれは、巻き込まれた学級委員長にも飛び火する形になると思う。
だが実際、下駄箱や机に生ゴミを入れられたのは姫川さんではなく学級委員長だった。
朝早く登校する委員長は姫川さんが登校する前に全部片付けてしまうので、姫川さんは気付いていないようだったけど。
アレだ。本人へのイジメが無理なら周りに害を与える、巻き込まれ型だ。
相変わらずの美貌で幸せそうに笑う姫川さんの傍らで、嫌がらせの辛さに耐えて苦笑しか零さない委員長をみて私の方が溜息を吐きたくなった。
そんな二学期への心配ごとが発生した状態で、夏休みが始まった――
ところで全く関係のない話だが、これだけは記さずにはいられない。
アイスのアイドル、ガリガリちゃんを連日で何本も食べていたらお腹を壊した。ガリガリちゃん、侮あなどるべからず。
【八月】のとある日、都合のつく生徒は明日学園に集まるようにという緊急連絡が入った。
特に予定もなかったので指定された時間に講堂へ行くと、私達生徒を出迎えたのは何故かコスプレ?をしている生徒会と風紀、そして本来ならばその場に立つ事を許されていない一般生徒の姫川さんだった。
マイクを手にした姫川さんの説明によると、今回の集会は期末テストの日程と重なってしまった七夕をやり直すというものだった。
なるほど、織姫と彦星の姿なのか……ってオイこら彦星何人いるんだ。
『恋って本当に素敵なことだと思うの。みんなは恋してる?』と姫川さんが電波なことを言えば彦星達は『俺様の気持ちをしっていて、そんな事を言うなんて……お仕置きして欲しいのか』とか『僕の心は織姫のモノですよ』とか返している。
そこで相変わらずKYスキルを発動させる姫川さんが『私もみんなの事が大好きだよ?』と笑顔で言い、彦星達は苦笑いをした。
たぶん姫川さんにメロメロな男達は姫川さんが自分に寄せられる好意に鈍いと思っているのだろう。絶対演技だろうけど。
周りの生徒達を余所に、舞台上でイチャつき出した彼等に痺れを切らせた私は、隣に座っていた絵理に帰ることを告げて講堂を後にした。
一人で帰るのは目立つが、実は私のような生徒は少なくなかった。制服のスカートが乱れるのも気にせず早足で帰っていく多くの女子生徒達。
辺りを見回すと、何故か不思議なことに男子生徒の姿が全く無いことに気付いた。
たまたまタイミングが合わなかっただけかもしれないけれど、何だか妙な印象を受けた。嫌な予感がする……
降水確率百パーセント。私の嫌な予感的中率も百パーセント。
おかしなことに、私の周りで夏休み終盤に入って破局するカップルが急増した。私の周りで、というより男側が学園に通う者であるという嫌な共通点があった。
別れる時に、みんな決まって『好きな子ができた。彼女以外を愛せない』と告げるらしい。更に妙なのが、恋人がいない男子生徒も決まって同じことを周りに告げている点だ。
夏休み最終日に『俺、姫川さんの事が好きみたいなんだ』と絵理に片恋相手から告げられた最悪な一言が、私をも最悪な世界に突き落としてくれた。
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「――これ絶対におかし……、痛っ!」
八月の日記を読み終わった瞬間、酷い頭痛がして私は自分の頭を両手で必死に押さえた。
ぎゅっと瞑った目の奥で、目まぐるしく流れる「ループする一年間」。姫川さんを取り囲むキラキラとした世界がある裏に、多くの女子生徒が泣いている姿が見えた。
だけど、それは白い絵の具をぶちまけられたかのように急に真っ白になり、記憶が上から描き直されていく。
きっと、これが記憶を思い出せなかった理由。知らないけれど知っていて、知っているけれど知らなかった過去だ。
覚えていると思っていた私の記憶がおかしくて、日記を読んで浮かんできたものこそが本物なのだ。そう、混濁とした頭の中で思った。
たった一巡前の記憶すら、日記を読み返さないと取り戻せないほど協力な「何か」が邪魔をする。
その奥に、誰かの後ろ姿が霞んで見えた――
「早く、日記を読んで全部思い出さなきゃ……!」
その人物が誰かを確かめるため、ズキズキと痛みが増すのを我慢して捲った日記の次のページ。
そこに記された日付は九月のものだった。
▼日記を読み返して?
【九月】になり、二学期開始の日。さっそく姫川さんと生徒会はやってくれた。
講堂で行われる始業式にて『姫川愛華を生徒会補佐に任命する』と会長が宣言したのだ。
ザワつく講堂を見回してみたところ、私は二つ疑問点に気付いた。
まず一つ目は、生徒会顧問のホスト教師が姫川さんの生徒会入りに、私達と同じように驚いていたことだ。
次に二つ目だが、一学期には生徒会の行動に顔をしかめていた男子生徒達が『姫川さんなら』と納得の表情を浮かべていること。
――いよいよ本格的に学園の歪んだ部分が見えてきた気がした。
疑問の多く残る始業式の翌日、朝からホスト教師にバッタリ会ったので挨拶したら超驚かれた。なぜ。
今日も昨日に引き続きマスクをしているという事は風邪が完治していないようだ。感染したくないので近寄らないでほしい。
でも姫川さんの取り巻き化している人物に個人単位で接触できる機会は滅多にないので少し観察させてもらうことにした。
『こんなに早くからお仕事ですか?』と会話のキャッチボールを試みた私の問い掛けに、ホスト教師はぎこちなく『生徒会の仕事だ』と答えた。
ああ。だから朝早くから一生懸命仕事をしているのか、と冷めた気持ちになった。
それが後押ししてしまったようで『朝から姫川さんに会えるなんて良かったですね』なんて嫌味を込めて言ってみると『馬鹿言うな。姫川は綺麗なだけの女で何の魅力もないだろ』と真顔で返された。
あれ? 先生って姫川さんのこと名前で呼んでなかったっけ?
それに姫川さんのことを気に入って、尻を追いかけまわしてたんじゃ?
『じゃぁな』と短く別れを告げられて去っていくホスト教師の後ろ姿は、一学期のモノとは違っているように思えた。
更にその疑問を追及すべく行動を起こした。
しかし、実力テスト終了と共に風邪も完治した様子のホスト教師に問題の質問を装って姫川さんの情報を聞き出そうとしたら、態度が百八十度変わっていた。
先日は姫川さんのことを否定していたのに、今日のホスト教師は姫川さんのこと名前で呼んで惚気話も絶好調。早く姫川さんの居る生徒会室へ向かいたいと愚痴を零しつつソワソワしていた。爆発しろ、ホスト教師。
どうやらホスト教師が正気?に戻ったのは風邪を引いている間だけだったようだ。
うーん。これって結構重要な手掛かりじゃないかな。引き続き調査を続行しようと思う。
こんな風に、二学期になってから姫川さんによって起こる問題が一気に増え始めた。
夏休み前に心配していた、学級委員長への嫌がらせも再開された。姫川さん本人をイジメない理由は生徒会や風紀の他に、姫川さんに好意を寄せる男子の目が常に光っている状態だからだ。
そして徐々に嫌がらせの内容はエスカレートしていき、ついにはモップを洗った後の汚れた水を頭から浴びせられる、という事態にまで変化した。
しかし、そんな委員長を見てイケメン達と教室でイチャついていた姫川さんは『ヤダ、詩織ったら転んだの?』とトンチンカンな発言をするだけ。
『愛華が汚れる』と言って委員長を遠ざけようとする面々に、姫川さんは『親友の詩織に酷いことを言わないで』と美しい顔を悲しげに歪ませた。だがすぐに『みんな心配してくれてありがとう!』と言って満面の笑みをイケメン達に向けたのだ。
呆れを通り越して、悪寒がした。本当に親友なら委員長がずぶ濡れで現れた瞬間に駆け寄るはずだ。周りの男共なんか蹴散らして、何があったのかと理由を聞くはずだ。
姫川さんにとって委員長は親友なんかじゃない。自分をより良く魅せるために『踏み台』だ。
だから姫川さんは、自分の荷物を掻き抱いて教室から逃げ去った委員長を追いかけもしなかったんだ。
ついでに言うと、それから三日間風邪で学園を休んだ委員長が登校してきた日、姫川さんは心配した様子もなく連絡をして来なかったことに激怒していた。
一方的に謝罪を述べさせた姫川さんが、『今日のお茶はダージリンがいいな』と副会長の腕に手を絡ませているのを見て、私の目には心を持った人間に映らなかった。
生徒会や風紀が仕事を放棄しているという噂も流れはじめ、実際に噂を確かめるべく調査してみると確かに生徒会と風紀は姫川さんを囲って日々お茶会だ何だと遊び呆けて執務放棄をしていた。
九月や十月は目立った行事が無いので今のところ大きな混乱は生じていないけれど、十一月には『創立祭』と呼ばれる世間一般では文化祭に該当する盛大な行事がある。
例年通りなら、そろそろ文化委員が集まって詳細を詰めているはずなのだが……準備は各委員会の委員長または代理である女子生徒達が行っているらしい。男子?そんな性別ありましたっけ?
学園をまとめるのは生徒会と風紀の二大勢力だが、体育・文化・図書・美化・保健といった各委員会の委員長もそれなりの権限を所有している。特に今回の『創立祭』で生徒会と一緒に中心になる文化委員会の長である先輩は学園女子生徒の代表と言っても過言ではない人だ。
もし、その先輩が各委員会と姫川さんを除く学園中の女子生徒と結託して対抗したとすれば……?
――なんて、最悪のシナリオを考えた私は徐々に迫りつつある『創立祭』が少しだけ怖くなってしまった。
【十月】になり、創立祭の準備は女子の手で進んでいた。
クラスの催し物を決める時も、姫川さんは生徒会の方で忙しいという理由から不参加らしく、同じく生徒会に関わりのあるホスト教師の隣に座ってファッション雑誌を一緒にみながらイチャイチャしていた。ウゼェ。
男子は嫉妬心丸出しの目で二人を見ていたが、もはや彼らに無関心になりつつある女子は総じて無視。ある意味KYの二人のおかげで催し物が『休憩所』に即決した。やる気が無さすぎる、二年二組の女子達。
あ、職務放棄真っ最中の生徒会と風紀だけど、彼等は合同で劇をするようだ。仕事はしないくせに創立祭への申請だけは行っていることに、溜息しか出てこない。
そんなある日。
姫川さんの言いなりだった学級委員長が初めて姫川さんに逆らうという事件を起こした。
だが勇気を振り絞ったはずの行動にもかかわらず、場所とタイミングが悪かったせいで自分の首を絞める結果に終わってしまった。
罵倒する男子生徒や呆れる女子生徒の気持ちが混在する中、結局は暴行の現行犯ということで風紀に謹慎処罰を受けた委員長。
しかし彼等いわく天使のように優しい心を持つ姫川さんの申し出で、三日以内に反省文を提出するという罰に軽減された。
委員長のことはとても気の毒だと思うが、姫川さんが男子達にとって、いかに重要な存在なのか思い知らされたような気がした。
そんな出来ごとがあったせいか、学級委員長への嫌がらせが無くなった。
理由は他にも、生徒会や風紀の彼等の成績がガタ落ちしたと同時に女子達からの信頼が無くなったことも含まれると思う。
上位三十名の氏名が貼り出される結果表に毎回名を連ねていた彼等は誰ひとりとして載っておらず、女子達の失意を煽ったのだろう。
『あんな女に夢中になっていたら当然よ』と誰かが小さく呟いた声に、私は心の中で強く同意した。
【十一月】になり、創立祭の準備にも熱が入っている。
が、私のクラスだけでなく何処のクラスも出店準備に追われているのは女子生徒だけで、何も手伝わない男子生徒達は口を開けば姫川さんの話題だ。
まるで魅了の魔法にでもかかったような様子は正常とはほど遠く、学園外でもこの様子なのだろうかと少し気になった。
そして、創立祭の当日となった。
校内放送で文化委員長の綺麗な声で開会が告げられ、学園内のあちらこちらで楽しそうな声が聞こえてくる。文化委員会と他の委員会が協力して進行する創立祭は盛況のようだ。
だが問題は、午後からだった。
『生徒会劇が始まるので、是非お越し下さいねっ!』という語尾にハートマークが付きそうなテンションと声で姫川さんが校内放送を流すと、男子生徒と一般客の男性達が一斉に講堂へ移動し始めたのだ。
的中率百パーセントの嫌な予感を感じながら、情報収集のため避けては通れない道だと腹をくくった。
劇の演目は定番の『ロミオとジュリエット』。いや正確には『ロミオとジュリエットとマキューシオとティボルト』だった。ちょ、おま、何で二人も増えてんだ。
ロミオとジュリエットはわかる。でもマキューシオはロミオの友達でチョイ役だよね。ティボルトは確かジュリエットの従兄弟で色々あってマキューシオを殺しちゃう人だよね。まぁ、そのティボルトも逆上したロミオに殺されちゃうんだけど。
開演前から展開が読めた! という私の予感通り、ジュリエットに一目惚れした男達が告白大会を繰り返し時には決闘、時には他者の妨害をするために結託、そして最終的には全員の愛を受け入れたジュリエットが対立していた両家を涙ながらに説得してハッピーエンドで終わる、という意味不明な内容だった。
配役を決める時に相当ゴネたのか、ロミオBマキューシオBとかティボルトBとか、本来は一人のはずの人物が二人存在していたりした。何じゃこりゃあああ!と叫ばなかった私を誰かに褒めて欲しい。
更に信じられない事に、『男』に分類される者は皆姫川さんへ心の籠った拍手を送っていた。その傍らでは男性陣を信じられない者を見るような目で見ていた多くの女性達。
講堂の一番後ろではビデオカメラを片手にしている『文化委員』の腕章をした女子生徒が数名。彼女達の冷たい視線に、私は自分の背筋を冷たい何かが落ちていくのを感じた。
――後に聞いた話だけれども、今年の四季ヶ丘学園創立祭は過去に例を見ないほど男女の感想が分かれた回だったらしい。
来年に受験を控えている女子中学生の志望校が著しく変化する事だけは確かだと思った。
学園の評判を著しく下げた創立祭から数日後。ついに女子生徒達が望んだ革命の日がやってきた!
学食の一般席を占領してキャッキャウフフと桃色の空気を出しながら騒ぐ姫川さん達に、背中までの栗色のストレートの髪にコバルトブルーの瞳を持つ綺麗な女性――文化委員長が声を掛けたのだ。
手にしていた書類の束を食堂のテーブルの上にバサッ、と音を立てて広がった書類は姫川さんを含む生徒会と風紀の面々の表情を変化させた。
この人はだぁれ?』と尋ねた姫川さんに、。代表として副会長が『三年の四宮樹里しのみやじゅりだよ』と答えと今度は姫川さんの表情も変化した。
四宮樹里先輩は目を細めただけで、すぐに『仕事もせずに遊び呆けて、貴方達は自分の役職を忘れているの?』と言いながら苦い表情のイケメン達に視線を移した。
そんな四宮先輩の無関心な反応に気を悪くした姫川さんは取り巻きの彼等を庇うような言葉を口にしながら先輩の眼を再び自分に向けさせた。しかし、それでも四宮先輩の関心は姫川さんに向かわなかった。
逆に愚行を淡々と指摘され、反論を許さない鋭い切り込みに姫川さんの顔は真っ赤に染まる。口籠る姫川さんを庇おうとイケメン達も席を立つけれど、四宮先輩の言葉は止まらなかった。
執務放棄していた彼等の行動を咎め、姫川さんの授業免除申請を証拠不十分として棄却した姿は女子生徒達の希望に見えた。
文化委員会委員長――否、生徒会監査として自分が動き出したことを告げた四宮先輩が去ったあと、姫川さんの悔しがる声を耳にしながらも私達女子生徒の心は歓喜に震えていた。
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「っ、そうだ、文化委員長の……生徒会監査の四宮樹里先輩だ!」
その瞬間、頭の奥にあった霧が晴れて、綺麗な栗色の髪を揺らす女性が私の方を振り返った。
そう、私が思い出さなくてはならなかったのは、四宮樹里先輩のことだったのだ。
一年生で生徒会、二年生で風紀、そして三年生で生徒会入りを断って文化委員会の委員長になった、女子生徒で唯一の「数持ち」。
生徒会監査をしていたといは知らなかったけれど、四宮先輩が私を筆頭に女子生徒達の希望となったことだけは間違いない。
姫川さんに骨抜きにされた情けない男子達に一切頼らず、女子のみの力で創立祭を成功させた手腕の持ち主。そして、生徒会や風紀に次ぐ力を持つ文化委員会を束ねる絶対的存在に、私の心が感動で震えた。
四宮先輩が姫川さんの前に立ち、生徒会監査として動き出すことで、学園が本来あるべき姿に戻っていくのでは……と期待を込めて、私ははやる気持ちで次月の日記を読んだ。
霧が晴れた先にいる四宮先輩のコバルトブルーの綺麗な瞳が、私を見つめたまま悲しげに揺れていることには気付かずに――
▼日記を読み返して?
【十二月】から、生徒会と風紀が仕事を再開するようになった。生徒会監査の四宮樹里先輩と、文化委員副委員長二名がサポートしながらだが、学園にとって良い方向に向かっている。
それに伴い、多忙になった彼等は姫川さんと共有する時間が少なくなっていった。姫川さんも四宮先輩により、補佐の地位から下ろされて単なる一般生徒に逆戻りだ。
それでも彼等は姫川さんの傍に居たいという気持ちは変わらないようで、当番制にして姫川さんと過ごす時間を作るように務めていた。
その気持ちは分からなくはないけれど、他の男子に囲まれている姫川さんが受け止めてくれているとは思えなかった。
取り巻き達と少し距離の空いた姫川さんが、時折一人で行動しているのを目にするようになった。
何度かその現場に居合わせようと思い、尾行を試みたが失敗に終わってしまった。どうやら私は探偵には向いていないようだ。
高校生探偵とか少し憧れていたのだが、残念。
前回のテストで大きく順位を落とした彼等も今回は本気を出したようだ。
特に三年生の結果は、全教科満点で会長と副会長と風紀委員長、そして四宮樹里先輩が同率一位だった。すごい!
他の役員達も元の順位に戻ったようで、ガタ落ちした成績と女子生徒達からの信頼を少しずつ取り戻し始めている。
しかし、不可解な事が一つ。何故か二年の学年トップが姫川さんだったのだ。この時期に首席になった思惑が分からない。……けれど、すごく嫌な予感がした。
どうか、この予感が当たりませんように――という私の願いは、神様へ届くだろうか?
接触してしまった。誰に? それは……。
懲りずに西校舎を一人で歩く姫川さんを尾行していたのだけど、痛恨のミスで姫川さんを見失った瞬間に風紀委員長と風紀副委員長に前後の方向から挟まれるという最悪な事態に陥ってしまった。
西校舎の廊下は長いので、周りを確認しながら進んでくる二人には気付かれていない。が、人気のない西校舎を徘徊している私が目に付くのも時間の問題だろう。
そんな絶対絶命の私を助けてくれたのは――生徒会監査の、四宮樹里先輩だった。
四宮先輩の手により、風紀委員に気づかれることなく『西校舎の隠し教室』という不思議な場所に避難させてもらった私は、そこで信じられない話を耳にすることとなった。
「貴女も、姫川愛華を中心とした一年が繰り返されている事に気付いたのでしょう?」
――と。
姫川さんと正面衝突しまった四宮先輩は、これを機に姫川さんと完全に対立することを決めたようだ。
偶然ではあるけれど、私も同じくループに気付いた者として陰ながら四宮先輩をお手伝いすると約束をした。
一人で困惑しながら迷走していた私が、世界で一番心強い味方を手に入れた瞬間だった。
――……思えばこの時が、私の最高潮だったのかもしれない。
【一月】になり、冬休みが終わると学園に新たな変化が訪れた。悪い方向に、だ。
何故か姫川さんへの嫌がらせが始まり、その日は男子生徒達が犯人探しに躍起になり授業にも仕事にもならなかった。
生徒会や風紀の彼等への信頼が少し回復したので、女子生徒達が再び動き出したのだろうかとも考えられるが、そうとは思わなかった。
そして――姫川さんへの嫌がらせの犯人は、女子生徒達にとって最悪の形で捕まった。
何と実行犯だった一年生の女子が、主犯は四宮樹里先輩だと口にしたのだ。それにより、学園は再び混乱に陥ってしまった。
四宮先輩と文化副委員長達の否定に耳を傾けない、姫川さんの叔父である理事長。
四宮先輩がそんな事をする人じゃないと誰よりも知っているはずの、かつての仲間である生徒会と風紀の彼等により最低で最悪の裏切り。
女子生徒達の怒りが頂点に達したことで、裏切った彼等をその地位から落とすための活動が始まった。
程なくして、姫川さんを守ろうとした愚かな男子生徒達により対立する形の活動も。
【二月】に入っても、女子と男子の対立は激化するだけで終わりが見えなくなっていた。
『四宮』を裏切ったことで「数持ち」の家の絆にも亀裂が入り、四宮先輩はもちろんのこと生徒会や風紀の彼等も社会的処罰を与えられる事となった。
そんな様子を見ても尚、姫川さんは微笑んでいる。
そして結局、この混乱に終止符を打つ提案をしてくるのも姫川さんだった。
生徒会や風紀の彼等を四宮先輩が裏切らないと知って出してきた条件を――四宮先輩が呑み、姫川さんの思惑通りになった。
「四宮先輩がどう足掻いても私には勝てませんよ? だって、私は愛される存在だから。愛されて当然の存在、姫川愛華だから」
笑顔でそう告げる、姫川さんの笑い声が耳から離れない。
文化委員達を集め、姫川さんに敗北したことと同意義の言葉を伝える先輩の声は震えて掠れていた。
「先輩への裏切りを許すのですか!?」
「本当にごめんなさい。でもね、彼等が私を裏切っても、――私は彼等を絶対に裏切ったりはしないわ」
四宮先輩が静かに涙を流し、文化委員達も悔しさのあまり次々と泣き出す。
こうして、多くの女子生徒の悲しみの上に姫川さんの勝利が決定し、私たちは負けを認めた。
【三月】の卒業式。別れとは別の多くの悲しみに包まれながら、式は執り行われた。
冷め切った女子達の空気が痛々しかったが、式は特に混乱もなく無事に終わり、四宮先輩はたくさんの女子生徒達に囲まれて近づける状態ではなかった。
もちろん、そんなことは先輩も私も予想済みなので、先輩とは春休みに入った数日後に学園で会う約束をしている。
そこでふと、姫川さんと取り巻きの彼等はどうするとかと思い、辺りを見回してみた。
が、どこにも彼等の姿は見当たらなかった。
……きっと、愛すべきお姫様を囲った幸せな世界で過ごしているのだろう。四宮家を裏切ったことで多くのものを失った彼等には、もう姫川さんしか残っていないのだから……。
春休みに入ったので、約束通り隠し教室で四宮先輩と会った。
とりあえず卒業式の日に言えなかった「卒業おめでとうございます」を告げると、先輩はニッコリ笑ってくれた。
心臓がズキュンと打ち抜かれた気がした。こ、これは恋?
なんて、そんな和やかな時間もほどほどに、本題に入った。
今日この隠し教室に集まったのは、四月から再び巡ると思われる次の一年について話し合うためだ。
以前先輩に聞いた話なのだが、姫川さんは一年の終わりには必ず誰かと恋人となって幸せに一年を終えていたそうだ。
それが、何故か今回に限って最初から複数の男を侍らせ、自分は多くの者に愛される存在なのだと狂った思考を持ったまま行動し始めたのだ。
――このことで、四宮先輩は姫川さんから友人達を取り戻す決心がついたらしい。
姫川さんが転校してくる四月の下旬までに対抗する準備を整え、次の一年こそループを終えるために尽くすのだと。
もちろん、私も四宮先輩に協力して姫川さんに立ち向かうことを決意した。
そんな私を、『相棒パートナー』と呼んでくれる先輩の役に立とうと、強く拳を握った。
これまで何の役にも立てなかった私が、先輩に必要とされているのだ。
この恐ろしいループの世界を抜け出して、先輩と一緒に平和な学園生活を取り戻すためなら、私は何だってできる。
「姫川愛華は自分で言っていたわ。愛されて当然の存在なのだと。じゃあ私達は彼女に自分が愛される存在でないことを、分からせてあげる必要がありそうね?」
と、少し意地の悪い笑みを浮かべた先輩に、私はただ「はい!」と気合十分の返事をした。
再び巡るだろう一年に向けて、四宮先輩と共に頑張ることを決意した――
▲=====
「うわっ!」
その最後の一文を読み終えるとパチンと頭の奥で何かが弾けて、今度こそ日記に書いてある記憶が完全な形で蘇った。
ズキズキと頭が痛む。呼吸をするのが苦しくなって、浅い域を何度も何度も繰り返す。
くるくると変わる情景の中には、笑い合う姫川さんと生徒会や風紀の彼等の顔がある。しかし、それは急に降り始めた雨で黒ずんだ色に変色し、吹き荒れた風により空白に戻された。
パラパラと捲れる記憶のアルバムの中には、文化委員達と一緒に涙を流す四宮先輩。バサバサと上から降ってくる記憶の写真の中には、机に拳を叩きつけて唇を強く噛み締める私。
ガラガラと崩れた偽りの中から出てきたのは、悲しさと悔しさに溢れた私の記憶。
それを認識した瞬間、再びパチンと音が弾けて、頭の中が一気にクリアになった。
頭の痛みや息苦しさも、嘘のように消え去っている。
「――っ、全部、ちゃんと思い出しましたよ。四宮先輩……!」
いつの間にか、日記は私の手元から消え去っていた。
ループを抜け出すために相棒パートナーとなった私達。その戦いの全ては「二年目」に持ち越されたのだ。
頭の奥で悲しげに瞳を揺らしていた先輩が、少しだけ笑ったような気がした――
◆◆◆
ねぇ、神様って信じてる? 私? 私は信じてあげても良いって思っているわ。
だって私にこんな素敵な世界をくれた彼女が、自分を女神様だって言っているから。
本当に最高なの。お姫様の私が望めば王子様達はなぁんでも叶えてくれるし、愛してくれる。
魅了の魔法のおかげで最初から私のことが大好きだから、私も誰を選ぼうか悩んじゃうのよね。
でも一年の中盤には、恋人になる人の個別ルートのシナリオを進めなきゃならないの。だから今までは順番に各王子様の好感度を高くしてルートに入れるよう調整してきたわ。
だけどね、これ以降は違うの。だって生徒会も風紀も、みんな私が攻略しちゃったんだもの。お気に入りのルートは何度か攻略したけれど、結果を知っているから飽きちゃった。
だから、新しい攻略キャラが現れるまで好き勝手やろうって決めたの。最終的な目標は全キャラ攻略後の逆ハーレムエンドだけどね! うふふ、楽しみだわぁ。
女神様も色んなエンディングを迎えることで新しい道が開けるって教えてくれたし、まだまだ楽しめる部分は多いはずよ。
だから今回の周では新しい攻略キャラを出すために、女神様が与えてくれたヒント通り生徒会と風紀を壊してしまうことにしたの。逆ハーレムエンドのために、お姫様の私に利用されることも王子様達にとっては幸せの一つでしょう?
私の求める新キャラのために、王子様達が何度か犠牲になるのは当然よね。
「愛華、何だか機嫌が良さそうですね」
優しい声の方向に目を向けると、童話の中から出てきたような容姿をしている玲先輩の微笑み。
玲先輩は王子様達の中でも特に優しくて、一番私を可愛がってくれて、一番私をお姫様扱いしてくれる王子様。――そして、誰よりも私の愛を求めて私に依存し続けているカワイソウナヒト。
他の王子様達もそう。結局はみんなカワイソウな人なのよ。それでいて、どうしようもなく子供。本当の自分を見てほしくて、抱える闇に気付いて欲しいと心で叫んで、でもプライドが許さずに泥沼に沈んでいってしまう、愛に飢えた人達。
私の肩に手をかけてニッコリと笑う玲先輩に、私も同じくニッコリと笑ってみせた。
それを見て蓮先輩が少しだけ不機嫌な顔をして、玲先輩から私を引き離す。
「その話はここから移動してからにしようぜ」
「そうですね、面倒な卒業式も終わったのですから場所を変えてゆっくり……」
軽く身をよじることで二人から距離を取り、後ろに並ぶ王子様達に私は振り返った。
もうそろそろ、本音を暴露しちゃってもいいわよね?
「あははっ、冗談じゃないわ。いくら顔や家柄が良いからって、後継ぎでも何でもないアンタ達と一緒にいるはずないじゃない」
「…………愛華?」
「ど、どうしたの、愛華ちゃん」
硬直した状態で何とか私の名前を読んだのは風紀委員の正臣先輩。
それを追い掛けるようにして、声を震えさせているのは生徒会書記の伊織くん。
他のみんなも、声には出さないけど驚きを隠せないでいる。ふふ、そんな顔もダイスキよ?
「ねぇ、蓮先輩。お祖父様に言われたのでしょう? 『お前のような奴に跡を継がせたりはせん!』って。ねぇ、玲先輩。義母様に言われたのでしょう? 『愛人の子である貴方と同じ場所に住みたくない』って。ねぇ、ねぇ、ねぇ、みんな一番言われたくないことを大事な家族に言われちゃったのでしょう? もう家族じゃないって言われちゃったのでしょう? あははっ、必要ないって言われたのでしょう?」
くるり、くるりと回りながら一歩ずつ王子様達との距離をとる。
私の口から飛び出た言葉が信じられないようで、己の耳を疑っている王子様達は動けない。
その間に私はすぐには捕まえられない程度の距離を保って、王子様達が慕ってくれた笑顔と声でこの物語の終止符を私自身が打つ。幕を上げたのは私だから、幕を下ろすのも私の役目だもの。
「そんな何の利用価値もない人間は、私だって必要ないわ。知っている? 愛は心を満たしてくれるけど、お腹や欲を満たしてくれないの。知らなかった? "今回の"アナタ達は、私に一瞬たりとも愛されていなかった事を」
パリーン! と、グラスの割れるような音がして私と王子様達の間に見えない亀裂が入った。
私の方を泣きそうな顔で見ながら何かを叫んでいる王子様達の声は、亀裂によって遮断された先に居る私には聞こえない。
ガクン、と膝から崩れ落ちたのは玲先輩と伊織くん。先に進めない亀裂に走り寄って拳を叩きつけているのは蓮先輩と正臣先輩。呆然としたまま私を見ているだけなのは他の王子様達。まだ理解できていないようね。
亀裂の先で、ぐにゃりと歪む世界を目の当たりにして私は確信した。これが女神様の言っていた『崩壊エンド』ってモノなのね、と。
制服のポケットから携帯を取り出して、王子様達の好感度確認画面を見れば急降下していく好感度のゲージ。
攻略対象キャラの簡易プロフィールを確認できる画面に移動すれば、名前とシルエットがブランクの状態のキャラ枠が一つ増えていた。
「ふふっ、これで隠しキャラが登場するのね!」
堪え切れず笑いだせば、タイミングを見計らったかのようにメールの着信を告げる携帯。
壊れて行く世界を尻目に、届いたばかりのメールを見れば差し出し人の欄には『女神様』の名前。
『崩壊をスキップして、新しい物語を始めますか? YES or NO』
画面に映し出された文字を読んで、カチカチと急いでカーソルを目的の文字に合わせる。
ガラガラと崩れ始めた世界には、未だ私の名前を呼んでいる王子様達が見えたけど、消えてしまう彼等に与える愛なんてこれっぽっちも残っていない。
「そんなの、イエスに決まっているじゃない女神様!」
ポチッとボタンを押した瞬間、歪みながら崩れていた世界は一瞬にして白い光に包まれた。
そして光が全てを包み終わって出来あがった新たな白い空間に、私はひとりで存在していた。
そう、これがいつもと同じ『始まりの場所』――。
真っ白で何もない空間で、再び女神様の声を聞いて新しい物語への扉を開くの。
さぁ、もう何周目か自分でも覚えていない私だけの愛の楽園が、また再び始まるわ……!!
(さようなら私の王子様達。次の世界でも私の愛を求めて、頑張って私にアプローチをかけてね!)
――彼女の携帯のエンディング一覧ページに、新たなエンディングが一つ追加された――。
その事実に気付いたのは、校門で会った親友の一言だった。
高校二年生の春休みが終わり、受験や就職を控えた最終学年の初日だと思って登校した私――平田加奈子ひらたかなこ――へ告げられた何気ない一言。
普段の私なら軽い冗談だと思って聞き流すのだけど、それはできなかった。
何故なら、私はこのやり取りに覚えがあるからだ。
そう思った瞬間、脳裏に『一年前』の記憶がいくつもフラッシュバックしてくる。その感覚に混乱する頭で必死に考えた。浮かんでくる何回分もの記憶は時間やシチュエーションに若干の誤差があっても、すべて同じ結果を導き出していく。
私は『高校二年生の初日』を知っている――……
新しいクラス表を見に行く親友の後ろ姿にも見覚えがあり、私はすでに自分や彼女が何組になるのかを知っていた。
そう、私は今日に限らず『高校二年生の一年間』を知っているのだ。
その事実に気付いた瞬間から、私の学生生活が大きく狂い始めた――……。
そんな校門での一件の後、私は何度目かになる二年生初日の教室に居た。私にとっては見慣れてしまっている光景だが、周りは新鮮だと言わんばかりの空気を溢れさせている。
チャイムと同時に教室に入って来た担任を見て、女子が嬉しそうな声を上げるのもすでに知っていた。学園で一、二を争うほど人気のある教師、六井湍むついはやせ先生がブランドもののスーツに身を包んで登場したからだ。
『湍』と書いて『ハヤセ』と読む、その珍しい名前を本人は気に入っていると専らの噂だ。しかし、特定の人にしか呼ぶ事を許さないと聞いたことがある。
それでも、繰り返した記憶の中には、数多くの女子生徒や女教師が六井先生の名前を呼ぼうと意気込んでいた。
もちろん、誰もがことごとく却下されて、先生の機嫌を著しく損ねていたっけ。
その中で一つの例外があったのは――
「おい平田。二年の初日から随分な態度だな」
「っ……!」
「まさか俺の話を聞いていなかった、なんて言わねえよなぁ?」
突然、頭の上から降ってきた声に慌てて顔を上げると、目の前には六井先生がいた。真新しい出席簿を持って自分の肩を叩いている先生は、初日から問題児を見つけて面倒だというような目をしていた。記憶を辿ることに集中していたせいで、話を聞いていないと誤解されたようだ。
これはマズイと焦った私は、急いで席から立ち上がる。そして、先生と視線が交わらないように俯いた。
それでも、ぐるぐると頭の中で考えるのは『以前』の情景。先生の話を聞かずに注意されるのはいつも男子生徒だったのに、今回は何故か私になっている。
私にターゲットが移ったということは、『以前』と別の行動することで何らかの変化が生じるのではないだろうか。
「話を聞いていたなら、さっき俺が何を言ったのか答えてみろ」
「あの、き、『今日は講堂での集会だけなので早く移動するように』と、えっと、『生徒会と風紀の発表があるが、騒がしくするな』と『生徒会顧問である俺への拍手は盛大に』です」
「……なんだ、聞いていたのか。もしかして具合でも悪いのか?」
「よ、よくボンヤリしていると言われるので」
「なるほど。だが、変な誤解されないよう今後は気を付けろ」
何度も過去で耳にした言葉を思い出しながら答えた私の頭を、先生は手にしていた出席簿でパコっと軽く叩いた。
そして、これ以上私に用はない、とばかりに教卓へ戻っていく先生の背中を眺めながら、小さく息を吐く。これから先の未来を思うと憂鬱で仕方なかった。
そうして私は、情報収集に徹底すると決めてからの一年の記録を、私は一冊のノートに日記として残した。
結論から言ってしまうと、高校二年生の一年間は再びやってきた。
ループしている一年間はほぼ私の記憶通りで、情報を集めるためにある程度の行動を起こしても大差はなかった。
何か利点を上げるなら、繰り返す事で高校二年生の授業では困らなくなった事だろうか。テスト範囲も出題される問題も同じなので律儀に勉強した私の知識が必然的に深まっただけ。
でも、一年を過ごし終えて日記を書いたはずの私は、何故か中に何を書いたのか内容をよく思い出せない。
そのことを不思議に思いながら、私は日記のページをゆっくりと捲った。
◆◆◆
日記にはとある生徒のことが中心的に書かれているようだった。
その人物は、四月末という中途半端な時期に私と同じクラスに転入してくる――姫川愛華ひめかわあいか――のこと。
学園の人気者達から次々とアプローチをかけられお姫様のような扱いを受ける美少女だったはず。
……あいまいな事しか言えないのは、どう頑張っても日記に何を書いたのか思い出せないからだ。
更に不可解なのが、そんな風に目立つ存在である姫川さんについて単なる『転校生』としか言えないこと。
同じクラスで、しかも学園の人気者達から好意を寄せられていた姫川さんが大きな学園行事等でどんな風に過ごしていたか等、少しくらい知っていても可笑しくないと思う。
しかし、どれだけ記憶を遡さかのぼろうとも該当するものは存在しなかった。
日記を読み返すことに少し不安を覚えながら、それでも私は覚悟を決めて内容を確かめることにした。
▼日記を読み返して?
【四月】の日記には、姫川さんの転校を機に学園中が一気に騒がしくなった事が綴られていた。
私と同じ二年二組の一員となった姫川さんはその名の通り容姿端麗で本当にお姫様のような人だった。
だが、どうやら性格に少し癖のある人物らしい。それに、彼女を取り巻く環境は学園の日常と大きく違っていたのだ。
特別という存在を作らず、生徒に公平な態度を取っていた担任の六井先生は姫川さんを気に入り、互いを名前で呼ぶようになっていた。
姫川さんの可憐な容姿に口元を綻ばす男子には『俺の愛華に手を出すんじゃねーぞ』と、頭が桃色になっているとしか思えない発言をした。
女子の嫉妬に燃える視線も気にせず、自己紹介の時間をイチャイチャするだけで過ごした二人を見て、私は心の中で「そういうことはホテルでやれ」とドン引いた。
学園に不慣れな姫川さんの世話役として学級委員長が指名されたのを聞きながら、この時は未だ自分の平穏が大きく崩れるとは夢にも思っていなかった……
姫川さんはその生い立ちからして特別な人のようで、理事長の親戚という立場により転校初日に案内役を務めた生徒会の副会長とも親しくなっていた。
だが教室で六井先生と空気を読めないイチャつきぶりを発揮したように、副会長にも恋の花を咲かせてしまったようだ。
噂では、初対面の副会長に『その社交辞令の笑顔……とても気持ち悪いので止めてください』と言ったことで好意を寄せられるという。
どう考えてもときめくポイントではないのだけど、何故か副会長は満面の笑みで姫川さんを抱きしめたらしい。私の中で副会長がM属性だと確定された瞬間だ。
友人の絵理が『嘘の笑顔だとハッキリ言う人が嬉しかったんじゃない?』と言っていたが違うと思う。
きっとMの副会長は姫川さんの隠されたS属性に気付いたんだ。私にはよくわからん喜びだが、おめでとう副会長。
もちろん、そんな風に人気のある男性達と姫川さんが親しくすることに、女子達は良い顔をしなかった。
数人で姫川さんを囲んで文句を言ったり、睨むような目で姫川さんを見たりしている事も少なくない。
その都度、学級委員長の『転校したてで学園のルールを知らないだけだから、ね?』というフォローをし、女子達の怒りをおさめていた。
が、『わたしと玲先輩は友達だもん!』という姫川さんのKY発言により必死のフォローも水の泡。
とりあえず、姫川さんは人の言葉が伝わらない宇宙人で超ウザイ存在だと思った。
【五月】の日記には、姫川さんが副会長以外の生徒会メンバーと遭遇した事で新たに起こった問題について書かれていた。
姫川さんにメロメロキュンな副会長が満面の笑みで『愛華!』と姫川さんに駆け寄り、姫川さんも笑顔で『玲あきら先輩!』と副会長に抱きついたものだから……学食内はブーイングの嵐でした。誰か耳栓ください。
更に副会長が姫川さんの頬にキッスするもんだから困った困った。とりあえずココは日本だから挨拶はコンニチハで済ましておけよ。
他にも、会長サマが姫川さんの容姿を見て『気に入った、俺様の女になれ』と危うく味噌汁噴き出してしまいそうになる俺様発言をしたり、そんな扱いに怒った姫川さんが会長サマにビンタして一瞬食堂内が静まり返ったんだけど、『ますます気に入った』と会長がM発言。
次に『愛華ちゃんって面白いからお友達になりたいな!』と言う双子に『私達はもうお友達でしょう?』と姫川さん。どうやら姫川さんと言葉を交わせば強制的に友達のようだ。気を付けよう。
その次には『オレ達生徒会は多くの生徒ファンに公平でなくちゃならないから友達が少ないんだよ』という会計に姫川さんが『そんなのおかしいわ!ファンなんて、必要ないじゃない!』とKYスキル発動。
色々と収拾のつかなくなった場は風紀が現れた事で何とか落ち着いたけれど、この日も私はドン引きでした。
それからというもの、生徒会と風紀のいった見目と家柄の良い男性陣と着々と仲良くなっていく姫川さん。
彼等の好意を一身に受けながらも、いつのまにか親友に昇格させられている学級委員長を巻き込んで楽しい日々を過ごしていた。
とりあえず親友に昇格した委員長にならって、姫川さんをKYからSUKYに昇格させておこう。SUKYとはスーパーウルトラ空気読めないの略であーる。なんちゃって。
――そんな風に遠巻きに姫川さん達を眺めていた私に、事件が起こった。
五月末に実施された中間テストにて、七十位前後だった順位を三十一位まで上げてしまった私に、カンニングの疑惑が掛けられたのだ。
カンニングだと判断された理由は簡単だった。私の名字は平田。ハ行の二番目の『ヒ』。そして学年三位という輝かしい成績の姫川さんもハ行の二番目の『ヒ』。名前の順に席につくと私は姫川さんの真後ろの席になる。
もちろん私は否定したけれど、『こんな奴の近くに座った愛華が可哀想だ』とか『今後のテストで対策を考える必要があるな』と零した風紀顧問の十倉とくら先生と担任の六井先生の二人に対して怒りで目の前が真っ赤に染まった。
二人とも個性的だが、生徒のことを大切にする良い先生だと思っていた。それが、たった一人の女のせいでこのザマだ。
ぼやけた視界の先に存在する二人の教師を、慕っていた自分が馬鹿らしくなった。声にしても伝わらないことを、これ以上どうすれば良いというのか。
悔しくてたまらなくなって、私は自分の答案用紙と反省文用の原稿用紙を引っ掴んで生徒指導室を飛び出した。私を追うようにして聞こえてきた声は届いていないフリをして――
この日、私は自分が終わらない一年を繰り返していることを心の底から嫌になって廊下を全力で駆けながら声もなく泣いた。
▲=====
そこまで読んだ所で、日記のページを捲くっていた手を止め、姫川さんが四月と五月に起こした問題を考えてみる。
すると不思議なことに、日記を読む前には何も思い当たらなかった出来事が簡単に頭の中に浮かんでくるではないか。
「そうだ、こんな事があったんだ。……でも、何で今まで思い出せなかったのかな?」
しかし逆に、日記を未だ読んでいない六月以降のことを思い出そうとしても、姫川さんが関連する事が何も思い浮かばない。
疑問と、何故か逸る気持ちを感じながら私は日記の続きを読むことにした――
▼日記を読み返して?
【六月】の六という字は嫌いだ。何故なら口に出すのも腹立たしいホスト教師の名字の一部だから。
とりあえずあの先生と十の字がつく先生は湿気でジメジメしている廊下で転べばいいと思う。むしろ転べ。三回転ぐらいしてしまえ。
カンニングの件についてだが、『私は無実だ』という言葉を反省文用の原稿用紙二十枚にビッシリと書いて提出しておいた。しかも二人分。つまり四十枚だ。
最初は書き直せと突っ掛かってきた二人だが、私が冷めた眼で三度ほど同じことを繰り返すと何も言ってこなくなった。ついでに言うと私は二人に挨拶すらしなくなった。目線も合わせない。存在ごと丸っと無視だ。
雨ばかり降っているので忘れがちだが、実は今月は体育祭がある。
うちの学園は体育祭は二日にわたって行われる。一日目は学園に慣れ始めた一年と他の学年が交流を深めるために何か催しを行う『交流会』。そして二日目が世間一般でいうところの体育祭だ。
交流会の内容は『校内鬼ごっこ』で、一年全員が逃げる側で他が鬼役だそうだ。逃げ切った人や一定の数を捕まえた人には賞品が出るようだが面倒なので適当にサボろうと思う。
変わって体育祭の方だけど、私は借り物競走の補欠という事実上競技不参加の地位を勝ち取った。ジャンケンでチョキばかり出し続けていたら王者に君臨していた。チョキすげぇ。
ちなみに姫川さんは私が補欠になった借り物競走に出場するようだ。何だか嫌な予感がする。
その嫌な予感は見事に的中し、姫川さんは『生徒会専属チアガール』に任命された。異議を申し立てた風紀により『生徒会と風紀の専属チアガール』に再任命された姫川さんが競技不参加となったので、私は繰り上げで借り物競走に参加することとなってしまった。
ついでに姫川さんは、交流会では一年と同じで逃げる側のようだ。もちろん、姫川さんを捕まえるのは生徒会の権利だとか何とか、意味不明な校内放送も流された。
それ以外は特に変更なく、予定通り体育祭は実施された。
一日目交流会は風紀に見つからない絶好スポットでサボリ、二日目の体育祭は借り物競走でまずまずの成績を残して終わった。
姫川さんについて? 確か交流会では生徒会長に捕まって、体育祭の方では借り物競走の当たりのお題『好きな人』を引いた生徒会の双子の片割れ(どちらかは不明)と風紀委員の不良っぽい見た目の人に取り合いされていたような…。
まぁ、他にも色々ウザイ競技があったけど、私には直接関係なかったので特に書くことはない。
【七月】の日記の最初に行われる期末テストでは、通常通りの順位に戻すことを目標とした。
カンニング疑惑の件は腹立たしいが、ヤケになって良い成績を取るのも変に目立つことへ繋がるので回避する道を選んだ。
返却された答案に記された点数はほぼ予定通り。この様子なら元の七十位付近に戻れるだろう。
と思って余裕をかましていたら、中間テストに続き今回も生徒指導室に呼び出された。話を聞いてみると二人は私の点の取り方が気に入らなかったようだ。
まぁ、何となく言いたい事は分かる。何故なら私は中間テストでの疑いを晴らすために『正しい解答』しかテストに記入していないからだ。
だからと言って私が満点を取ったわけではない。――つまり、私はある一定の点数が取れる問題にしか解答を記入しなかったのだ。残りはすべて未記入のまま。問題に手をつけた形跡すらない。子供でも気付く不自然な点。それが二人の癪に障っているらしい。
だから私は『姫川さんの答案をカンニングしたんです』と自分が出来る最高のニッコリ笑顔で二人に告げてやった。
テストの結果も発表され、あとは夏休みを待つだけになった某日。前々から恐れていたことが起こった。
どうやら生徒会+風紀委員のファンのイジメが夏休み開始直前に復活したらしい。
原因は恐らく、数日前に例のメンバーが教室にやって来て姫川さんの夏休みの予定を聞いていたことに関連しているだろう。
各自が所有する別荘に誘って来る中、『私一人だけなんて、無理だよぉ』と頬を染めながら言う姫川さんは果てしなくウザかった。
最終的に生徒会長の別荘に全員で遊びにいく事になったらしいが、それが再びイジメの火種を大きくしたようだ。そしてそれは、巻き込まれた学級委員長にも飛び火する形になると思う。
だが実際、下駄箱や机に生ゴミを入れられたのは姫川さんではなく学級委員長だった。
朝早く登校する委員長は姫川さんが登校する前に全部片付けてしまうので、姫川さんは気付いていないようだったけど。
アレだ。本人へのイジメが無理なら周りに害を与える、巻き込まれ型だ。
相変わらずの美貌で幸せそうに笑う姫川さんの傍らで、嫌がらせの辛さに耐えて苦笑しか零さない委員長をみて私の方が溜息を吐きたくなった。
そんな二学期への心配ごとが発生した状態で、夏休みが始まった――
ところで全く関係のない話だが、これだけは記さずにはいられない。
アイスのアイドル、ガリガリちゃんを連日で何本も食べていたらお腹を壊した。ガリガリちゃん、侮あなどるべからず。
【八月】のとある日、都合のつく生徒は明日学園に集まるようにという緊急連絡が入った。
特に予定もなかったので指定された時間に講堂へ行くと、私達生徒を出迎えたのは何故かコスプレ?をしている生徒会と風紀、そして本来ならばその場に立つ事を許されていない一般生徒の姫川さんだった。
マイクを手にした姫川さんの説明によると、今回の集会は期末テストの日程と重なってしまった七夕をやり直すというものだった。
なるほど、織姫と彦星の姿なのか……ってオイこら彦星何人いるんだ。
『恋って本当に素敵なことだと思うの。みんなは恋してる?』と姫川さんが電波なことを言えば彦星達は『俺様の気持ちをしっていて、そんな事を言うなんて……お仕置きして欲しいのか』とか『僕の心は織姫のモノですよ』とか返している。
そこで相変わらずKYスキルを発動させる姫川さんが『私もみんなの事が大好きだよ?』と笑顔で言い、彦星達は苦笑いをした。
たぶん姫川さんにメロメロな男達は姫川さんが自分に寄せられる好意に鈍いと思っているのだろう。絶対演技だろうけど。
周りの生徒達を余所に、舞台上でイチャつき出した彼等に痺れを切らせた私は、隣に座っていた絵理に帰ることを告げて講堂を後にした。
一人で帰るのは目立つが、実は私のような生徒は少なくなかった。制服のスカートが乱れるのも気にせず早足で帰っていく多くの女子生徒達。
辺りを見回すと、何故か不思議なことに男子生徒の姿が全く無いことに気付いた。
たまたまタイミングが合わなかっただけかもしれないけれど、何だか妙な印象を受けた。嫌な予感がする……
降水確率百パーセント。私の嫌な予感的中率も百パーセント。
おかしなことに、私の周りで夏休み終盤に入って破局するカップルが急増した。私の周りで、というより男側が学園に通う者であるという嫌な共通点があった。
別れる時に、みんな決まって『好きな子ができた。彼女以外を愛せない』と告げるらしい。更に妙なのが、恋人がいない男子生徒も決まって同じことを周りに告げている点だ。
夏休み最終日に『俺、姫川さんの事が好きみたいなんだ』と絵理に片恋相手から告げられた最悪な一言が、私をも最悪な世界に突き落としてくれた。
▲=====
「――これ絶対におかし……、痛っ!」
八月の日記を読み終わった瞬間、酷い頭痛がして私は自分の頭を両手で必死に押さえた。
ぎゅっと瞑った目の奥で、目まぐるしく流れる「ループする一年間」。姫川さんを取り囲むキラキラとした世界がある裏に、多くの女子生徒が泣いている姿が見えた。
だけど、それは白い絵の具をぶちまけられたかのように急に真っ白になり、記憶が上から描き直されていく。
きっと、これが記憶を思い出せなかった理由。知らないけれど知っていて、知っているけれど知らなかった過去だ。
覚えていると思っていた私の記憶がおかしくて、日記を読んで浮かんできたものこそが本物なのだ。そう、混濁とした頭の中で思った。
たった一巡前の記憶すら、日記を読み返さないと取り戻せないほど協力な「何か」が邪魔をする。
その奥に、誰かの後ろ姿が霞んで見えた――
「早く、日記を読んで全部思い出さなきゃ……!」
その人物が誰かを確かめるため、ズキズキと痛みが増すのを我慢して捲った日記の次のページ。
そこに記された日付は九月のものだった。
▼日記を読み返して?
【九月】になり、二学期開始の日。さっそく姫川さんと生徒会はやってくれた。
講堂で行われる始業式にて『姫川愛華を生徒会補佐に任命する』と会長が宣言したのだ。
ザワつく講堂を見回してみたところ、私は二つ疑問点に気付いた。
まず一つ目は、生徒会顧問のホスト教師が姫川さんの生徒会入りに、私達と同じように驚いていたことだ。
次に二つ目だが、一学期には生徒会の行動に顔をしかめていた男子生徒達が『姫川さんなら』と納得の表情を浮かべていること。
――いよいよ本格的に学園の歪んだ部分が見えてきた気がした。
疑問の多く残る始業式の翌日、朝からホスト教師にバッタリ会ったので挨拶したら超驚かれた。なぜ。
今日も昨日に引き続きマスクをしているという事は風邪が完治していないようだ。感染したくないので近寄らないでほしい。
でも姫川さんの取り巻き化している人物に個人単位で接触できる機会は滅多にないので少し観察させてもらうことにした。
『こんなに早くからお仕事ですか?』と会話のキャッチボールを試みた私の問い掛けに、ホスト教師はぎこちなく『生徒会の仕事だ』と答えた。
ああ。だから朝早くから一生懸命仕事をしているのか、と冷めた気持ちになった。
それが後押ししてしまったようで『朝から姫川さんに会えるなんて良かったですね』なんて嫌味を込めて言ってみると『馬鹿言うな。姫川は綺麗なだけの女で何の魅力もないだろ』と真顔で返された。
あれ? 先生って姫川さんのこと名前で呼んでなかったっけ?
それに姫川さんのことを気に入って、尻を追いかけまわしてたんじゃ?
『じゃぁな』と短く別れを告げられて去っていくホスト教師の後ろ姿は、一学期のモノとは違っているように思えた。
更にその疑問を追及すべく行動を起こした。
しかし、実力テスト終了と共に風邪も完治した様子のホスト教師に問題の質問を装って姫川さんの情報を聞き出そうとしたら、態度が百八十度変わっていた。
先日は姫川さんのことを否定していたのに、今日のホスト教師は姫川さんのこと名前で呼んで惚気話も絶好調。早く姫川さんの居る生徒会室へ向かいたいと愚痴を零しつつソワソワしていた。爆発しろ、ホスト教師。
どうやらホスト教師が正気?に戻ったのは風邪を引いている間だけだったようだ。
うーん。これって結構重要な手掛かりじゃないかな。引き続き調査を続行しようと思う。
こんな風に、二学期になってから姫川さんによって起こる問題が一気に増え始めた。
夏休み前に心配していた、学級委員長への嫌がらせも再開された。姫川さん本人をイジメない理由は生徒会や風紀の他に、姫川さんに好意を寄せる男子の目が常に光っている状態だからだ。
そして徐々に嫌がらせの内容はエスカレートしていき、ついにはモップを洗った後の汚れた水を頭から浴びせられる、という事態にまで変化した。
しかし、そんな委員長を見てイケメン達と教室でイチャついていた姫川さんは『ヤダ、詩織ったら転んだの?』とトンチンカンな発言をするだけ。
『愛華が汚れる』と言って委員長を遠ざけようとする面々に、姫川さんは『親友の詩織に酷いことを言わないで』と美しい顔を悲しげに歪ませた。だがすぐに『みんな心配してくれてありがとう!』と言って満面の笑みをイケメン達に向けたのだ。
呆れを通り越して、悪寒がした。本当に親友なら委員長がずぶ濡れで現れた瞬間に駆け寄るはずだ。周りの男共なんか蹴散らして、何があったのかと理由を聞くはずだ。
姫川さんにとって委員長は親友なんかじゃない。自分をより良く魅せるために『踏み台』だ。
だから姫川さんは、自分の荷物を掻き抱いて教室から逃げ去った委員長を追いかけもしなかったんだ。
ついでに言うと、それから三日間風邪で学園を休んだ委員長が登校してきた日、姫川さんは心配した様子もなく連絡をして来なかったことに激怒していた。
一方的に謝罪を述べさせた姫川さんが、『今日のお茶はダージリンがいいな』と副会長の腕に手を絡ませているのを見て、私の目には心を持った人間に映らなかった。
生徒会や風紀が仕事を放棄しているという噂も流れはじめ、実際に噂を確かめるべく調査してみると確かに生徒会と風紀は姫川さんを囲って日々お茶会だ何だと遊び呆けて執務放棄をしていた。
九月や十月は目立った行事が無いので今のところ大きな混乱は生じていないけれど、十一月には『創立祭』と呼ばれる世間一般では文化祭に該当する盛大な行事がある。
例年通りなら、そろそろ文化委員が集まって詳細を詰めているはずなのだが……準備は各委員会の委員長または代理である女子生徒達が行っているらしい。男子?そんな性別ありましたっけ?
学園をまとめるのは生徒会と風紀の二大勢力だが、体育・文化・図書・美化・保健といった各委員会の委員長もそれなりの権限を所有している。特に今回の『創立祭』で生徒会と一緒に中心になる文化委員会の長である先輩は学園女子生徒の代表と言っても過言ではない人だ。
もし、その先輩が各委員会と姫川さんを除く学園中の女子生徒と結託して対抗したとすれば……?
――なんて、最悪のシナリオを考えた私は徐々に迫りつつある『創立祭』が少しだけ怖くなってしまった。
【十月】になり、創立祭の準備は女子の手で進んでいた。
クラスの催し物を決める時も、姫川さんは生徒会の方で忙しいという理由から不参加らしく、同じく生徒会に関わりのあるホスト教師の隣に座ってファッション雑誌を一緒にみながらイチャイチャしていた。ウゼェ。
男子は嫉妬心丸出しの目で二人を見ていたが、もはや彼らに無関心になりつつある女子は総じて無視。ある意味KYの二人のおかげで催し物が『休憩所』に即決した。やる気が無さすぎる、二年二組の女子達。
あ、職務放棄真っ最中の生徒会と風紀だけど、彼等は合同で劇をするようだ。仕事はしないくせに創立祭への申請だけは行っていることに、溜息しか出てこない。
そんなある日。
姫川さんの言いなりだった学級委員長が初めて姫川さんに逆らうという事件を起こした。
だが勇気を振り絞ったはずの行動にもかかわらず、場所とタイミングが悪かったせいで自分の首を絞める結果に終わってしまった。
罵倒する男子生徒や呆れる女子生徒の気持ちが混在する中、結局は暴行の現行犯ということで風紀に謹慎処罰を受けた委員長。
しかし彼等いわく天使のように優しい心を持つ姫川さんの申し出で、三日以内に反省文を提出するという罰に軽減された。
委員長のことはとても気の毒だと思うが、姫川さんが男子達にとって、いかに重要な存在なのか思い知らされたような気がした。
そんな出来ごとがあったせいか、学級委員長への嫌がらせが無くなった。
理由は他にも、生徒会や風紀の彼等の成績がガタ落ちしたと同時に女子達からの信頼が無くなったことも含まれると思う。
上位三十名の氏名が貼り出される結果表に毎回名を連ねていた彼等は誰ひとりとして載っておらず、女子達の失意を煽ったのだろう。
『あんな女に夢中になっていたら当然よ』と誰かが小さく呟いた声に、私は心の中で強く同意した。
【十一月】になり、創立祭の準備にも熱が入っている。
が、私のクラスだけでなく何処のクラスも出店準備に追われているのは女子生徒だけで、何も手伝わない男子生徒達は口を開けば姫川さんの話題だ。
まるで魅了の魔法にでもかかったような様子は正常とはほど遠く、学園外でもこの様子なのだろうかと少し気になった。
そして、創立祭の当日となった。
校内放送で文化委員長の綺麗な声で開会が告げられ、学園内のあちらこちらで楽しそうな声が聞こえてくる。文化委員会と他の委員会が協力して進行する創立祭は盛況のようだ。
だが問題は、午後からだった。
『生徒会劇が始まるので、是非お越し下さいねっ!』という語尾にハートマークが付きそうなテンションと声で姫川さんが校内放送を流すと、男子生徒と一般客の男性達が一斉に講堂へ移動し始めたのだ。
的中率百パーセントの嫌な予感を感じながら、情報収集のため避けては通れない道だと腹をくくった。
劇の演目は定番の『ロミオとジュリエット』。いや正確には『ロミオとジュリエットとマキューシオとティボルト』だった。ちょ、おま、何で二人も増えてんだ。
ロミオとジュリエットはわかる。でもマキューシオはロミオの友達でチョイ役だよね。ティボルトは確かジュリエットの従兄弟で色々あってマキューシオを殺しちゃう人だよね。まぁ、そのティボルトも逆上したロミオに殺されちゃうんだけど。
開演前から展開が読めた! という私の予感通り、ジュリエットに一目惚れした男達が告白大会を繰り返し時には決闘、時には他者の妨害をするために結託、そして最終的には全員の愛を受け入れたジュリエットが対立していた両家を涙ながらに説得してハッピーエンドで終わる、という意味不明な内容だった。
配役を決める時に相当ゴネたのか、ロミオBマキューシオBとかティボルトBとか、本来は一人のはずの人物が二人存在していたりした。何じゃこりゃあああ!と叫ばなかった私を誰かに褒めて欲しい。
更に信じられない事に、『男』に分類される者は皆姫川さんへ心の籠った拍手を送っていた。その傍らでは男性陣を信じられない者を見るような目で見ていた多くの女性達。
講堂の一番後ろではビデオカメラを片手にしている『文化委員』の腕章をした女子生徒が数名。彼女達の冷たい視線に、私は自分の背筋を冷たい何かが落ちていくのを感じた。
――後に聞いた話だけれども、今年の四季ヶ丘学園創立祭は過去に例を見ないほど男女の感想が分かれた回だったらしい。
来年に受験を控えている女子中学生の志望校が著しく変化する事だけは確かだと思った。
学園の評判を著しく下げた創立祭から数日後。ついに女子生徒達が望んだ革命の日がやってきた!
学食の一般席を占領してキャッキャウフフと桃色の空気を出しながら騒ぐ姫川さん達に、背中までの栗色のストレートの髪にコバルトブルーの瞳を持つ綺麗な女性――文化委員長が声を掛けたのだ。
手にしていた書類の束を食堂のテーブルの上にバサッ、と音を立てて広がった書類は姫川さんを含む生徒会と風紀の面々の表情を変化させた。
この人はだぁれ?』と尋ねた姫川さんに、。代表として副会長が『三年の四宮樹里しのみやじゅりだよ』と答えと今度は姫川さんの表情も変化した。
四宮樹里先輩は目を細めただけで、すぐに『仕事もせずに遊び呆けて、貴方達は自分の役職を忘れているの?』と言いながら苦い表情のイケメン達に視線を移した。
そんな四宮先輩の無関心な反応に気を悪くした姫川さんは取り巻きの彼等を庇うような言葉を口にしながら先輩の眼を再び自分に向けさせた。しかし、それでも四宮先輩の関心は姫川さんに向かわなかった。
逆に愚行を淡々と指摘され、反論を許さない鋭い切り込みに姫川さんの顔は真っ赤に染まる。口籠る姫川さんを庇おうとイケメン達も席を立つけれど、四宮先輩の言葉は止まらなかった。
執務放棄していた彼等の行動を咎め、姫川さんの授業免除申請を証拠不十分として棄却した姿は女子生徒達の希望に見えた。
文化委員会委員長――否、生徒会監査として自分が動き出したことを告げた四宮先輩が去ったあと、姫川さんの悔しがる声を耳にしながらも私達女子生徒の心は歓喜に震えていた。
▲=====
「っ、そうだ、文化委員長の……生徒会監査の四宮樹里先輩だ!」
その瞬間、頭の奥にあった霧が晴れて、綺麗な栗色の髪を揺らす女性が私の方を振り返った。
そう、私が思い出さなくてはならなかったのは、四宮樹里先輩のことだったのだ。
一年生で生徒会、二年生で風紀、そして三年生で生徒会入りを断って文化委員会の委員長になった、女子生徒で唯一の「数持ち」。
生徒会監査をしていたといは知らなかったけれど、四宮先輩が私を筆頭に女子生徒達の希望となったことだけは間違いない。
姫川さんに骨抜きにされた情けない男子達に一切頼らず、女子のみの力で創立祭を成功させた手腕の持ち主。そして、生徒会や風紀に次ぐ力を持つ文化委員会を束ねる絶対的存在に、私の心が感動で震えた。
四宮先輩が姫川さんの前に立ち、生徒会監査として動き出すことで、学園が本来あるべき姿に戻っていくのでは……と期待を込めて、私ははやる気持ちで次月の日記を読んだ。
霧が晴れた先にいる四宮先輩のコバルトブルーの綺麗な瞳が、私を見つめたまま悲しげに揺れていることには気付かずに――
▼日記を読み返して?
【十二月】から、生徒会と風紀が仕事を再開するようになった。生徒会監査の四宮樹里先輩と、文化委員副委員長二名がサポートしながらだが、学園にとって良い方向に向かっている。
それに伴い、多忙になった彼等は姫川さんと共有する時間が少なくなっていった。姫川さんも四宮先輩により、補佐の地位から下ろされて単なる一般生徒に逆戻りだ。
それでも彼等は姫川さんの傍に居たいという気持ちは変わらないようで、当番制にして姫川さんと過ごす時間を作るように務めていた。
その気持ちは分からなくはないけれど、他の男子に囲まれている姫川さんが受け止めてくれているとは思えなかった。
取り巻き達と少し距離の空いた姫川さんが、時折一人で行動しているのを目にするようになった。
何度かその現場に居合わせようと思い、尾行を試みたが失敗に終わってしまった。どうやら私は探偵には向いていないようだ。
高校生探偵とか少し憧れていたのだが、残念。
前回のテストで大きく順位を落とした彼等も今回は本気を出したようだ。
特に三年生の結果は、全教科満点で会長と副会長と風紀委員長、そして四宮樹里先輩が同率一位だった。すごい!
他の役員達も元の順位に戻ったようで、ガタ落ちした成績と女子生徒達からの信頼を少しずつ取り戻し始めている。
しかし、不可解な事が一つ。何故か二年の学年トップが姫川さんだったのだ。この時期に首席になった思惑が分からない。……けれど、すごく嫌な予感がした。
どうか、この予感が当たりませんように――という私の願いは、神様へ届くだろうか?
接触してしまった。誰に? それは……。
懲りずに西校舎を一人で歩く姫川さんを尾行していたのだけど、痛恨のミスで姫川さんを見失った瞬間に風紀委員長と風紀副委員長に前後の方向から挟まれるという最悪な事態に陥ってしまった。
西校舎の廊下は長いので、周りを確認しながら進んでくる二人には気付かれていない。が、人気のない西校舎を徘徊している私が目に付くのも時間の問題だろう。
そんな絶対絶命の私を助けてくれたのは――生徒会監査の、四宮樹里先輩だった。
四宮先輩の手により、風紀委員に気づかれることなく『西校舎の隠し教室』という不思議な場所に避難させてもらった私は、そこで信じられない話を耳にすることとなった。
「貴女も、姫川愛華を中心とした一年が繰り返されている事に気付いたのでしょう?」
――と。
姫川さんと正面衝突しまった四宮先輩は、これを機に姫川さんと完全に対立することを決めたようだ。
偶然ではあるけれど、私も同じくループに気付いた者として陰ながら四宮先輩をお手伝いすると約束をした。
一人で困惑しながら迷走していた私が、世界で一番心強い味方を手に入れた瞬間だった。
――……思えばこの時が、私の最高潮だったのかもしれない。
【一月】になり、冬休みが終わると学園に新たな変化が訪れた。悪い方向に、だ。
何故か姫川さんへの嫌がらせが始まり、その日は男子生徒達が犯人探しに躍起になり授業にも仕事にもならなかった。
生徒会や風紀の彼等への信頼が少し回復したので、女子生徒達が再び動き出したのだろうかとも考えられるが、そうとは思わなかった。
そして――姫川さんへの嫌がらせの犯人は、女子生徒達にとって最悪の形で捕まった。
何と実行犯だった一年生の女子が、主犯は四宮樹里先輩だと口にしたのだ。それにより、学園は再び混乱に陥ってしまった。
四宮先輩と文化副委員長達の否定に耳を傾けない、姫川さんの叔父である理事長。
四宮先輩がそんな事をする人じゃないと誰よりも知っているはずの、かつての仲間である生徒会と風紀の彼等により最低で最悪の裏切り。
女子生徒達の怒りが頂点に達したことで、裏切った彼等をその地位から落とすための活動が始まった。
程なくして、姫川さんを守ろうとした愚かな男子生徒達により対立する形の活動も。
【二月】に入っても、女子と男子の対立は激化するだけで終わりが見えなくなっていた。
『四宮』を裏切ったことで「数持ち」の家の絆にも亀裂が入り、四宮先輩はもちろんのこと生徒会や風紀の彼等も社会的処罰を与えられる事となった。
そんな様子を見ても尚、姫川さんは微笑んでいる。
そして結局、この混乱に終止符を打つ提案をしてくるのも姫川さんだった。
生徒会や風紀の彼等を四宮先輩が裏切らないと知って出してきた条件を――四宮先輩が呑み、姫川さんの思惑通りになった。
「四宮先輩がどう足掻いても私には勝てませんよ? だって、私は愛される存在だから。愛されて当然の存在、姫川愛華だから」
笑顔でそう告げる、姫川さんの笑い声が耳から離れない。
文化委員達を集め、姫川さんに敗北したことと同意義の言葉を伝える先輩の声は震えて掠れていた。
「先輩への裏切りを許すのですか!?」
「本当にごめんなさい。でもね、彼等が私を裏切っても、――私は彼等を絶対に裏切ったりはしないわ」
四宮先輩が静かに涙を流し、文化委員達も悔しさのあまり次々と泣き出す。
こうして、多くの女子生徒の悲しみの上に姫川さんの勝利が決定し、私たちは負けを認めた。
【三月】の卒業式。別れとは別の多くの悲しみに包まれながら、式は執り行われた。
冷め切った女子達の空気が痛々しかったが、式は特に混乱もなく無事に終わり、四宮先輩はたくさんの女子生徒達に囲まれて近づける状態ではなかった。
もちろん、そんなことは先輩も私も予想済みなので、先輩とは春休みに入った数日後に学園で会う約束をしている。
そこでふと、姫川さんと取り巻きの彼等はどうするとかと思い、辺りを見回してみた。
が、どこにも彼等の姿は見当たらなかった。
……きっと、愛すべきお姫様を囲った幸せな世界で過ごしているのだろう。四宮家を裏切ったことで多くのものを失った彼等には、もう姫川さんしか残っていないのだから……。
春休みに入ったので、約束通り隠し教室で四宮先輩と会った。
とりあえず卒業式の日に言えなかった「卒業おめでとうございます」を告げると、先輩はニッコリ笑ってくれた。
心臓がズキュンと打ち抜かれた気がした。こ、これは恋?
なんて、そんな和やかな時間もほどほどに、本題に入った。
今日この隠し教室に集まったのは、四月から再び巡ると思われる次の一年について話し合うためだ。
以前先輩に聞いた話なのだが、姫川さんは一年の終わりには必ず誰かと恋人となって幸せに一年を終えていたそうだ。
それが、何故か今回に限って最初から複数の男を侍らせ、自分は多くの者に愛される存在なのだと狂った思考を持ったまま行動し始めたのだ。
――このことで、四宮先輩は姫川さんから友人達を取り戻す決心がついたらしい。
姫川さんが転校してくる四月の下旬までに対抗する準備を整え、次の一年こそループを終えるために尽くすのだと。
もちろん、私も四宮先輩に協力して姫川さんに立ち向かうことを決意した。
そんな私を、『相棒パートナー』と呼んでくれる先輩の役に立とうと、強く拳を握った。
これまで何の役にも立てなかった私が、先輩に必要とされているのだ。
この恐ろしいループの世界を抜け出して、先輩と一緒に平和な学園生活を取り戻すためなら、私は何だってできる。
「姫川愛華は自分で言っていたわ。愛されて当然の存在なのだと。じゃあ私達は彼女に自分が愛される存在でないことを、分からせてあげる必要がありそうね?」
と、少し意地の悪い笑みを浮かべた先輩に、私はただ「はい!」と気合十分の返事をした。
再び巡るだろう一年に向けて、四宮先輩と共に頑張ることを決意した――
▲=====
「うわっ!」
その最後の一文を読み終えるとパチンと頭の奥で何かが弾けて、今度こそ日記に書いてある記憶が完全な形で蘇った。
ズキズキと頭が痛む。呼吸をするのが苦しくなって、浅い域を何度も何度も繰り返す。
くるくると変わる情景の中には、笑い合う姫川さんと生徒会や風紀の彼等の顔がある。しかし、それは急に降り始めた雨で黒ずんだ色に変色し、吹き荒れた風により空白に戻された。
パラパラと捲れる記憶のアルバムの中には、文化委員達と一緒に涙を流す四宮先輩。バサバサと上から降ってくる記憶の写真の中には、机に拳を叩きつけて唇を強く噛み締める私。
ガラガラと崩れた偽りの中から出てきたのは、悲しさと悔しさに溢れた私の記憶。
それを認識した瞬間、再びパチンと音が弾けて、頭の中が一気にクリアになった。
頭の痛みや息苦しさも、嘘のように消え去っている。
「――っ、全部、ちゃんと思い出しましたよ。四宮先輩……!」
いつの間にか、日記は私の手元から消え去っていた。
ループを抜け出すために相棒パートナーとなった私達。その戦いの全ては「二年目」に持ち越されたのだ。
頭の奥で悲しげに瞳を揺らしていた先輩が、少しだけ笑ったような気がした――
◆◆◆
ねぇ、神様って信じてる? 私? 私は信じてあげても良いって思っているわ。
だって私にこんな素敵な世界をくれた彼女が、自分を女神様だって言っているから。
本当に最高なの。お姫様の私が望めば王子様達はなぁんでも叶えてくれるし、愛してくれる。
魅了の魔法のおかげで最初から私のことが大好きだから、私も誰を選ぼうか悩んじゃうのよね。
でも一年の中盤には、恋人になる人の個別ルートのシナリオを進めなきゃならないの。だから今までは順番に各王子様の好感度を高くしてルートに入れるよう調整してきたわ。
だけどね、これ以降は違うの。だって生徒会も風紀も、みんな私が攻略しちゃったんだもの。お気に入りのルートは何度か攻略したけれど、結果を知っているから飽きちゃった。
だから、新しい攻略キャラが現れるまで好き勝手やろうって決めたの。最終的な目標は全キャラ攻略後の逆ハーレムエンドだけどね! うふふ、楽しみだわぁ。
女神様も色んなエンディングを迎えることで新しい道が開けるって教えてくれたし、まだまだ楽しめる部分は多いはずよ。
だから今回の周では新しい攻略キャラを出すために、女神様が与えてくれたヒント通り生徒会と風紀を壊してしまうことにしたの。逆ハーレムエンドのために、お姫様の私に利用されることも王子様達にとっては幸せの一つでしょう?
私の求める新キャラのために、王子様達が何度か犠牲になるのは当然よね。
「愛華、何だか機嫌が良さそうですね」
優しい声の方向に目を向けると、童話の中から出てきたような容姿をしている玲先輩の微笑み。
玲先輩は王子様達の中でも特に優しくて、一番私を可愛がってくれて、一番私をお姫様扱いしてくれる王子様。――そして、誰よりも私の愛を求めて私に依存し続けているカワイソウナヒト。
他の王子様達もそう。結局はみんなカワイソウな人なのよ。それでいて、どうしようもなく子供。本当の自分を見てほしくて、抱える闇に気付いて欲しいと心で叫んで、でもプライドが許さずに泥沼に沈んでいってしまう、愛に飢えた人達。
私の肩に手をかけてニッコリと笑う玲先輩に、私も同じくニッコリと笑ってみせた。
それを見て蓮先輩が少しだけ不機嫌な顔をして、玲先輩から私を引き離す。
「その話はここから移動してからにしようぜ」
「そうですね、面倒な卒業式も終わったのですから場所を変えてゆっくり……」
軽く身をよじることで二人から距離を取り、後ろに並ぶ王子様達に私は振り返った。
もうそろそろ、本音を暴露しちゃってもいいわよね?
「あははっ、冗談じゃないわ。いくら顔や家柄が良いからって、後継ぎでも何でもないアンタ達と一緒にいるはずないじゃない」
「…………愛華?」
「ど、どうしたの、愛華ちゃん」
硬直した状態で何とか私の名前を読んだのは風紀委員の正臣先輩。
それを追い掛けるようにして、声を震えさせているのは生徒会書記の伊織くん。
他のみんなも、声には出さないけど驚きを隠せないでいる。ふふ、そんな顔もダイスキよ?
「ねぇ、蓮先輩。お祖父様に言われたのでしょう? 『お前のような奴に跡を継がせたりはせん!』って。ねぇ、玲先輩。義母様に言われたのでしょう? 『愛人の子である貴方と同じ場所に住みたくない』って。ねぇ、ねぇ、ねぇ、みんな一番言われたくないことを大事な家族に言われちゃったのでしょう? もう家族じゃないって言われちゃったのでしょう? あははっ、必要ないって言われたのでしょう?」
くるり、くるりと回りながら一歩ずつ王子様達との距離をとる。
私の口から飛び出た言葉が信じられないようで、己の耳を疑っている王子様達は動けない。
その間に私はすぐには捕まえられない程度の距離を保って、王子様達が慕ってくれた笑顔と声でこの物語の終止符を私自身が打つ。幕を上げたのは私だから、幕を下ろすのも私の役目だもの。
「そんな何の利用価値もない人間は、私だって必要ないわ。知っている? 愛は心を満たしてくれるけど、お腹や欲を満たしてくれないの。知らなかった? "今回の"アナタ達は、私に一瞬たりとも愛されていなかった事を」
パリーン! と、グラスの割れるような音がして私と王子様達の間に見えない亀裂が入った。
私の方を泣きそうな顔で見ながら何かを叫んでいる王子様達の声は、亀裂によって遮断された先に居る私には聞こえない。
ガクン、と膝から崩れ落ちたのは玲先輩と伊織くん。先に進めない亀裂に走り寄って拳を叩きつけているのは蓮先輩と正臣先輩。呆然としたまま私を見ているだけなのは他の王子様達。まだ理解できていないようね。
亀裂の先で、ぐにゃりと歪む世界を目の当たりにして私は確信した。これが女神様の言っていた『崩壊エンド』ってモノなのね、と。
制服のポケットから携帯を取り出して、王子様達の好感度確認画面を見れば急降下していく好感度のゲージ。
攻略対象キャラの簡易プロフィールを確認できる画面に移動すれば、名前とシルエットがブランクの状態のキャラ枠が一つ増えていた。
「ふふっ、これで隠しキャラが登場するのね!」
堪え切れず笑いだせば、タイミングを見計らったかのようにメールの着信を告げる携帯。
壊れて行く世界を尻目に、届いたばかりのメールを見れば差し出し人の欄には『女神様』の名前。
『崩壊をスキップして、新しい物語を始めますか? YES or NO』
画面に映し出された文字を読んで、カチカチと急いでカーソルを目的の文字に合わせる。
ガラガラと崩れ始めた世界には、未だ私の名前を呼んでいる王子様達が見えたけど、消えてしまう彼等に与える愛なんてこれっぽっちも残っていない。
「そんなの、イエスに決まっているじゃない女神様!」
ポチッとボタンを押した瞬間、歪みながら崩れていた世界は一瞬にして白い光に包まれた。
そして光が全てを包み終わって出来あがった新たな白い空間に、私はひとりで存在していた。
そう、これがいつもと同じ『始まりの場所』――。
真っ白で何もない空間で、再び女神様の声を聞いて新しい物語への扉を開くの。
さぁ、もう何周目か自分でも覚えていない私だけの愛の楽園が、また再び始まるわ……!!
(さようなら私の王子様達。次の世界でも私の愛を求めて、頑張って私にアプローチをかけてね!)
――彼女の携帯のエンディング一覧ページに、新たなエンディングが一つ追加された――。
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