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へっぽこ鬼日記 第十一話

第十一話 天女の羽衣
 遅めの夕餉を取って風呂に入った後、俺は湯冷ましのため縁側で涼んでいた。
 雲間から漏れる月光に誘われて空を見上げれば、美しい銀月が顔を覗かせる。

 夜は昼間と違って、人に会う事がない。
 だから浴衣に近いラフな着物でくつろぐスタイルが普通のようだ。
 もちろん俺も浴衣のような服装だが、熱を冷ますために胸元をだらしなく開いている。
 そんな姿を注意されるかもしれないと考えたが、意外にも陽太は何も言わなかった。
 むしろ、完全に|電池切れ(オフモード)の俺を理解してか、当たり前の事のように受け止めていた。
 それに気を良くした俺は、早く酒を出せとばかりにダラダラする。
 少し呆れ顔の陽太だったが、今は俺の傍に控えず少し前から席を外している。
 昼間に買った酒を酒類貯蔵用の蔵に預けたそうなので、取りに行ったところだ。
 ちなみに俺の体内には未だ酒が入っていない。夕餉の時に陽太に止められたからだ。
 酒を飲んで風呂に入るのは健康に良くないと陽太が言ったので、寝る前に飲む事にしたのだ。




 月を見上げていると、微かに着物の擦れる音が聞こえたので月から視線を外した。
 近づいてくる物音の方向を何気なく見ていると、部屋を出たばかりのはずの陽太が確認できた。
 膳に酒瓶や杯を持って帰ってくるのだとばかり思っていたが、何故か陽太は手ぶらだった。
 急いだ様子の陽太は、俺が声を掛ける間もなく耳打ちできる距離まで近づき声を顰める。

「恭様、実は道中で松倉(まつくら)様にお会いしまして……。取り急ぎ話があるようで、面会を希望されております」

 松倉様って……誰だそれ。
 聞き覚えのない名前に俺が首を傾げるが質問を口にすることはできなかった。
 視線を一瞬だけ動かして背後を窺うような様子を見せた陽太は、口を閉ざして体を反転させた。
 等間隔で縁側に沿った天井から吊るされた燈籠(とうろう)と月の光が無人の廊下を怪しく照らす。
 何も無いじゃないか、という言葉を口にしようとするが一拍だけ早く、溶けるような声が俺の耳に入ってきた。

「夜はなんとも開放的な風体でおじゃりますなぁ」

 声のした方へ目を向けると、薄暗い廊下に浮かび上がるようにして佇む影が一つ。そのシルエットは、長身の男のものだ。
 広間で会った時とは違い落ち着いた草色の着物姿だが、影の主の顔と声は記憶に新しい。
麻呂様だ。そうか、麻呂様の名前が松倉殿というのか。
 面会の話を聞いて直ぐ現れたという事は、陽太と同じような速度で俺の元へ来たのだろう。
 陽太もそれを理解した上で、麻呂様に渋い顔で苦言を漏らす。

「松倉様、私は返事をお待ち下さるよう申し上げたはずですが」
「そうじゃったかのぅ? 聞き取れておらんかったようじゃ」
「……それに、松倉家の跡取りでもあろう貴方が供も連れずお一人なのは問題ではありませんか?」
「よいよい、麻呂の従者は日が落ちれば就寝するのじゃ。朝まで起きぬ」

 ちょ、まったく役に立たねーな、その従者。寝てる間に事件が起きたらどうするんだ。
 それ以前に、主人である麻呂様を放置していいのか? 婿候補には護衛の忍が付いているから安心だとは思うけどさぁ。


 そんな麻呂様の話に唖然とした俺だが、二人の妙な空気を感じて思考を切り替える。
 わざわざ訪ねて来てくれたのに立ち話だなんて失礼だ。
 部屋の中は陽太が掃除してくれる上に、もともと物が少なく綺麗なので俺は麻呂様を部屋へ招き入れることにした。
 幸い、この後は月見酒の予定だったため布団も敷いていない状態だ。

「松倉殿、立ち話もなんですのでこちらへどうぞ。陽太、茶を煎れてくれないか? お前の煎れた茶は美味いから好きだ」
「はっ、はい!」

 元気な返事をして一足先に部屋に入った陽太は、複数ある行燈(あんどん)に火を灯し室内を明るくする。
 十分に明るくなった事を確認した松倉殿が足を進め、それを俺が追う形になった。


 一応だが部屋の主である俺が上座側に座り、客人の麻呂様が対面側に静かに腰を下ろす。
 取り急ぎの用だと言っていたわりには、急いだ様子のない麻呂様を不思議に思いながら見つめていると、陽太が煎れたての茶を出してくれる。
 先ほどまで少し不機嫌だった陽太だが、今は機嫌が直ったようで松倉殿へ茶を出す手も優しい。

 温かい茶を互いに口にし、一息ついたところで話を切り出す。
 複数ある行燈の光が揃ってゆらりと揺れたのが、俺を急かしているようにも感じられた。

「さて、松倉殿。急ぎの要件だと聞きましたが私に何か?」
「貴殿は本日の逢瀬で待ち惚けになったそうじゃのぅ」

 おおぅ、真正面から俺の傷を抉り込んで来たな麻呂様。
 人の口に戸は立てられない、と言うから既に噂として飛び交っているのだろうか。
 反論できない事を言われて俺は素直に肩を竦める。
 そんな俺を見て、わずかに訝しげな目をする麻呂様に肯定の言葉を返す。
 探っているような、計っているような視線が申し訳なくて、俺は小さく口端に笑みを浮かべた。

「そうですね、その言葉を否定する事はできません」
「思ったより冷静でおじゃりますなぁ。確かに策にしては幼稚でおじゃった。麻呂も呆れて物も言えませぬ」
「……どういう意味でしょうか」
「東条の姫との逢瀬を邪魔したのは麻呂達、貴殿以外の婿候補でおじゃります」

 言われた言葉がすんなりとは頭に馴染まず、俺は暫く体を硬直させた。
 怒りというよりは、子供のような嫌がらせに呆れたという表現が合う。
 その嫌がらせに参加していた張本人から真実を告げられたのも要因の一つだ。

 少しだけ、二人の間に沈黙が流れた。

「松倉殿は何故私にそれを教えて下さるのでしょうか」
「麻呂がそれを必要と思ったからでおじゃる」
「必要、ですか」
「今回の件に加担したのには三つの理由がおじゃりましてのぅ」

 加担、という言葉から麻呂様が主犯でない事が分かる。
 誰が言い出した事なのかと考えれば、花姫様とのお茶会を諦めて陽太と部屋へ戻る時に会ったプチメタボさんの姿が俺の頭に浮かんだ。
 何故か俺の事を目の敵にしている彼が企んだと言われれば、納得できる気がする。
 しかし、麻呂様の言う三つの理由が何かは不明だが、それで不信感が消える事はないと思う。

 とりあえず三つの理由とやらを聞くために、俺は麻呂様を見つめる。
 麻呂様もその行動の意味を察し、微かに目を細めた。

「まず一つ目。麻呂は東条の姫に嫌われる為に今回の策に加担したのでおじゃります。元より、麻呂は東鬼の長になる気がありませぬ。すぐにでも辞退する気でおじゃった」
「広間では他の方々と同じような対応をされていたと記憶していますが……」
「山森の中に早咲きの山桜があれば嫌でも目立つとは思わぬかえ? 見合いの席で目立つ事は得策とは思えぬ故、目立たぬ草木となったのでおじゃります」

 嘘つけーぃ! 滅茶苦茶目立ってたじゃねーか!!
 公家言葉を使う麻呂様に俺の意識は釘付けだったんですけど!?

 全力でツッコミたいのを堪えた俺だが、代わりにこめかみが少し引き攣った。
 それを見た麻呂様は『してやったり』という笑みを浮かべる。

「そのような意味では、貴殿は一際目立っておじゃりましたな」

 いや、アレは目立っていたと言っても悪目立ちです……。
 アピールには出遅れるし、変な発言して花姫様には睨まれるし、他の婿候補からは敵視されるし。
 それが原因で今こうして苦労しまくってるんですよ。超可哀想だよね俺。

 まぁ、麻呂様が本心を隠して他の婿候補達と同じ行動をした事は理解できた。
 しかし何故、そんな面倒臭い事をしてまで婿候補から外れる必要があるのだろうか。
 俺の頭では想定できないような、深い理由が麻呂様には隠されている気がする。

「何故、松倉殿は婿候補から外れる必要があるのでしょうか」
「それは二つ目の理由に繋がっておじゃりますのぅ」
「二つ目ですか」
「麻呂達、松倉家の鬼は己の持つ知を最大限活かす事に至福を覚えまする。しかし、あくまでも仕えるべき主を定め補佐という地位を築いて実現に至るもの。東条家が求める、鬼一族を率いる能力も無ければ率いる考えもおじゃりませぬ」

 そこで一拍間を置いて、麻呂様は俺の顔を見詰めた後、苦笑いを浮かべた。
 それに、と少し声を小さくして麻呂様が呟くのが聞こえる。

「加えて申せば、ここ数代の松倉家は忠義を捧げるべき主に出会えておじゃらぬ。婿選びはさて置き、これだけ名家の者がおれば主も見つかると思いましたのじゃ」
「……なるほど、松倉殿が仕えるべき主を探す事が二つ目の理由ですか」
「素質を知る機会じゃと思うて、手始めに本日の件に麻呂も参加したのでおじゃる。じゃが、策と呼ぶにも遺憾を覚える幼稚な嫌がらせに幻滅する結果でおじゃった」

 回りくどい言い方をしているが、俺への嫌がらせ発案者は麻呂様の中で脱落させられたという事なのだろう。
 確かに、自ら公言するほどに頭の良い麻呂様が嫌味を言いたくなる気持ちも分かるのだが。
 結果的に俺は花姫様と会えていないので嫌がらせは成功しているのではないか、と口に出したくなった。
 が、呆れた表情と入れ替わるように表れた冷たい眼差しが瞬時に俺を射抜く。
 次は笑い飛ばすのかと思っていた俺の考えを凍りつかせるように真剣な瞳。
 その瞳によって足元が冷え、かけるべき言葉を失う。

「所詮、地位や権力に踊らされた上に己の底を知らぬ愚か者。今思えば、そのような者に期待した麻呂も浅はかでおじゃった。ここ数日で目にした名家の子息達は不作の極みでおじゃりますな」

 しれっと告げた口調は自然だが、あまりの言い様に麻呂様を凝視してしまった。
 向けられる瞳には有無を言わせないような威圧感があって、俺が何を言っても無意味であることを悟らせる。

「故に、その中で頭角をあらわし家名に恥じぬ様を魅せた方もおじゃりますが」

 瞬きもせずにこちらを見る麻呂様の反応は薄いようで強力だ。
 感情を乗せる事を忘れたような表情で俺を見据える視線に、居たたまれない気持ちがじわじわと膨らんでいった。

 場の雰囲気が穏やかとは言い難い、緊迫をはらんだ事が俺にもわかった。
 麻呂様の声音の奥は、鋼のように硬く澄み切っている。
 逃げ出せるものなら即実行に移したいところだが、それは立場的に不可能。
 こんな空気の中で過ごすくらいなら、ため息の一つでも吐かれた方がまだマシだと思った。
 どこか苦味を含んだ思いが俺を占めるが、打開策が思い浮かばず悔しくてグッと眉を寄せてしまう。
 それを見て瞠目(どうもく)した麻呂様だったが、すぐに調子を取り戻してゆるく微笑んだ。
 幸いな事に、その微笑みが漏れた途端に緊迫していた空気が霧散してくれる。

「最後の理由は……ただ純粋に、貴殿が治める東鬼一族に興味があるのでおじゃります」

 しかし、浮かべた笑みは柔らかいはずなのに瞳だけは一筋縄ではいかない事を物語っていた。
 決意新たに、という言葉が相応な麻呂様の様子に気遅れしてしまう。
 相変わらず情けないなぁ、と俺は胸の内で一人ごちた。

「松倉の地で、主無きまま余生を過ごす事が麻呂の運命(さだめ)だと思うておった。しかし貴殿を見て、後世の東条家に己が知を役立てたいと感じたのでおじゃりまする」

 その言葉が嘘でないように、俺を見つめる麻呂様の表情は真剣だった。
 ただ真っ直ぐ射抜かんとする瞳を受けて、何か言わなければと思うのに口を開くことができない。

 思考がうまく働かない俺が麻呂様から視線を外せないでいると、何故か麻呂様が眉をハの字型に下げた。
 次いで違う場所に移動した視線を追えば、俺達から少し距離のある所に控える陽太へ辿りつく。

「じゃが、麻呂は其方の者ほどの忠義を貴殿に抱いておらぬのが現状じゃ。東鬼の長に登りつめようとする貴殿の姿に感銘を受けておるだけかもしれぬ」

 言葉の引き合いに出された陽太は麻呂様を冷やかに睨み、口を引き結んでいた。
 好戦的な容姿とは逆に、静かすぎる怒りを内に秘めているという感じだ。
 下がり眉の麻呂様は再び視線を俺に寄越して、更に続ける。

「暫くの間は麻呂が無理に婿候補を辞退せぬ事を理解してもらえぬかえ? 貴殿が仕えるべき主として相応しいか、己が目で確かめたいのでおじゃります」
「……それは私に断りを入れる必要が無い事です」
「それでも、麻呂が婿候補に残る意味を知っておいて欲しいのじゃ。不謹慎じゃが、貴殿がどのような仕掛けを返すのかも楽しみでおじゃる。麻呂は加担した身故に、味方にはなれませぬが傍観を貫く事に致しましょうぞ」

 その言葉には、幾分か深い意味が込められていると思った。
 言葉通りの解釈をするならば、俺に期待が寄せられている事が分かる。
 俺の行動を急かすようにも聞こえるが、決して悪意のある言葉ではない。
 極限まで前向きに考えれば、花姫様との事を応援してくれている風もある。

 しかし良い方向に受け取れる分だけ、悪い意味で解釈する事もできるのだ。
 下手をすれば寄せられている期待が軽蔑に変わり、麻呂様の誇る知で俺を妨害する策を立てられる可能性さえ浮かび上がってくる。
 それに、麻呂様は何故か俺が婿に選ばれる事を前提に話を進めている。
 今の俺は、すごろくで言えば『振り出しへ戻る』のマスを踏んだ直後の状態だ。
 厚過ぎる期待の壁に押し潰される自分の姿が容易に想像できて、身を縮ませた。

 考えれば考えるほど思索という名の糸が絡まって、結論を出す事ができない俺。
 結局は麻呂様に曖昧な視線を返すだけに終わってしまうのだ。

 そんな俺の無言を麻呂様は都合良く肯定と受け取ったようで、少しだけ肩の力を抜いた。
 今回は表情だけではなく、瞳や纏う空気をも柔らかくした麻呂様の姿がそこにあった――。







 それから先、特に重要な会話が交わされる事は無かった。
 これ以上の話は無用だとばかりに、麻呂様が退室の為に腰を上げたからだ。
 見送る為に俺も立ち上がり、陽太を引き連れた形で部屋の外に出る。
 夜の廊下は月明かりが冴え渡り、俺の目には現実味が薄れているように見えた。

 深すぎない程度に頭を下げ、俺の前を去るべくして背を向けた麻呂様。
 しかし、ふと何かを思い出したように俺の方へ向き直って口を開く。

「――東条の姫はひどく貴殿の事を気にしておじゃりました」
「そう、ですか」

 たった一言。
 その一言で背中が甘い旋律で震えた。
 一瞬驚いてしまったが、直ぐに喜びが滲んでくるのを感じる。
 今度こそ去り行く麻呂様の背中を見ているはずなのに、熱に浮かされた俺は惚(ほう)ける事しかできなかった。

 婿候補達に嫌がらせをされた事実を知った時点で、花姫様が俺を避けたわけではないと理解していた。
 だが、知人と呼ぶのも贅沢な俺の存在など虫ケラのように思われていると判断していたのだ。
 それが、意図はどうあれ気に掛けてくれていたという。

 たとえ一瞬であったとしても、花姫様が俺の事を考えてくれた。
 たった、それだけの事だ。
 そう、たったそれだけの事で、俺の世界は優しい色に染まっていく。

 ――……結局はそういう事なのだ。
 一度しか会った事のない花姫様を想うだけで、胸の奥に熱が灯る。

 声を聞けば、時間を忘れて会話を楽しみたくなる。
 顔を見れば、様々な表情をして欲しくて言葉巧みに話題を振りたくなる。
 名前を呼ばれれば、愛しげに名前を呼び返して告白めいた言葉を耳元で囁きたくなる。

 幸せな時も、嬉しい時も、悲しい時も、不安な時も、ただ傍に居たい。
 誰かを深く想うとは、こんなにも苦しくて、こんなにも暖かい事なのだと思う。
 そしていつか、花姫様にとっての俺もそうであれたなら……どんなに幸せだろうか。

「――……っ」

 けれど、と俺はその考えを振りはらうように頭をひとつ振った。
 こうして想像に浸るだけの内は、独りよがりに他ならない。
 望むべき未来を描き、それに惑わされ己を見失おうとするのは……所詮は身勝手な夢。

 この見苦しく情けない想いをぶつけるには早すぎる。
 ゆっくりと目を瞑って、実現に一歩も踏み出せていない想いに枷をつけて沈める。

 引き戻して縋りたくなる浅ましい想いを振り切るように、俺は部屋へ戻った。
 俺が成すべき事を考えるために、一歩を踏み出す必要があるから。
 そう思いつつ、中途半端に吐いた息は音にならず、口元から零れ落ちた途端に霧散したのだった――。


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