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へっぽこ鬼日記 第十一話 (四)

第十一話 (四)
 陽太の言った通り、千代さんの案内で到着した花姫様の部屋は随分遠い所にあった。

 部屋に到着するなり、千代さんは俺に待つよう一言だけ告げて部屋の中へ姿を消した。
 部屋の中で言葉を交わす女性の声が聞こえ、やや間があって数人の女中さん達が部屋から出てくる。
 千代さんと同じ水色の着物姿の女中さん達は、俺を見るなり目を丸くして驚きを露わにするが、何故か俺が抱いている花姫様を見てニコニコと笑い出す。
 その中には千代さんの姿もあるが、千代さんだけは笑わずに俺を睨んでいる。
 俺は一体どうすれば良いのかな? と居た堪れない気持ちで立っていると遅れて部屋の中からもう一名姿を現した。


 小 萩 さ ん だ !
 女中さん達と違い、黒に近い灰色の着物姿の小萩さんは明らかに位が高い人なのだと感じた。

 小萩さんは俺が抱き上げている花姫様を見て目を細める。
 それだけの仕草なのに、指摘される要因を暴かれた気持ちになってしまった。
 とりあえず、小萩さんの言葉を待つのは苦痛なので自分から声を掛けることにした。

「夜分遅くに申し訳ありません、小萩殿」
「いいえ、先に藤見様の元を訪ねたのは花姫様でございましょう」
「花姫様をこのような刻限まで引き留めてしまったのは私です」

 陽太の機転もあったけど、酌を申し出てくれた花姫様を拒み切れなかったのは俺だ。
 遅くまで出歩いていた事を花姫様が小萩さんに怒られる可能性があるなら、真実を隠さず話した方が良い。
 相変わらず細められたままの目をしている小萩さんだが、軽く息を吐いて俺の前から脇に逸れた。
 塞がれていた部屋の入口が解放され、室内の様子が俺の目に映る。

「姫様を起こすのは忍びないので、このままお運び頂けますでしょうか」
「私が中に入っても宜しいのですか?」
「ご心配は無用でございます。さぁ、寝室は奥になります。侍女が数名おりますので、不明な事はお聞き下さいませ」

 ザッ、と小萩さんと女中さん達が揃って頭を下げたので、断るに断れない空気が場に広がる。
 許可を貰ったとは言え、好きな人の部屋に入る事に緊張しない男が居るだろうか。
 本当なら、悶々と葛藤したいトコロだが素早く目的を済ます事を決めて、室内へと進んだ。



 花姫様の部屋は、俺が寝泊まりしている部屋と比べて優しい色合の物が多い印象だ。
 もっとよく見たいという気持ちがあるが、あまり部屋の中を観察するのも良くないので、小萩さんに言われた通り奥の部屋に足を運ぶ。

 説明された通り、奥の部屋には女中さんが二人居た。
 俺の姿を見るなり、淡く微笑んで部屋の一角を掌で差してくれる。
 その方向には障屏具(しょうへいぐ)に遮られた、寝具一式が揃っていた。


「っと……」

 花姫様を寝具に横たえて、半ば覆い被さるようになった体勢を慌てて戻した。
 長い睫毛が微かに揺れ、横たえた衝動で眠りを妨げてしまったのかと焦ったが、幸いな事に杞憂で留まってくれた。

 何度見ても飽きない花姫様の姿に、胸の奥がまた熱くなる。
 ずっと見ていたいと、浅ましくも願ってしまう。
 もちろん、想いを通わせていない俺がそれを出来るはずもなく、自嘲する。

 だが無防備な花姫様へ募った想いは溢れるばかり。
 だから、せめてこれだけは――と、花姫様の顔に掛かった髪を梳き、頬を撫でた。
 時間にすれば長くても十秒ほどだ。そして、名残惜しさを感じながらも、よく眠っている事を確認して俺はその場を離れようとした。

 ……そう、離れようとしたはずなのだ。
 だが困った事に、羽織の裾を花姫様が掴んでいて、それを叶える事ができない。
 かなり強く掴んでいるのか、軽く引っ張っても花姫様の手は羽織を放してくれなかった。
 寝入った花姫様を運び終わった俺は、早急にこの場を離れるべきだ。
 これ以上無防備な花姫様の傍に居ると、更に先を欲してしまいそうになる。
 だから俺は自ら制限を掛けるように言い聞かせる。
 欲張るな、この一夜で溢れるほどの至福を味わったではないか、と。

「……仕方ない、か」

 無理に花姫様を起こす事など出来ないので、俺は羽織を脱いで眠る花姫様の脇に置いた。
 着ている物が一枚少なくなった事で若干の肌寒さを覚えるが、慣れれば問題ない。

 白く美しい手で、大切に掴まれた白地の羽織。
 俺が身に付ければただの布切れなのに、花姫様が手にしているだけで幻想的な物に見えてくる。

 ふと頭に思い浮かんだのは、子供の頃に聞いた御伽話。
 水浴びをしていた天女に恋し、彼女を手に入れるために人間の男が羽衣を盗む話だった。

 羽衣を隠した男は天女を愛し、天女は愛される事を知ったはずなのに。
 隠されていた羽衣を見つけた途端、天女は迷いなく天へ帰った。

 幼かった俺は、天女が帰った事は男の自業自得だと思った。
 悪い事をすれば、例えそれをいくら上手く隠していてもいつかバレる。
 そして、バレた瞬間に大切なものを全て失うのだと、男を馬鹿にした。

 だが、今なら馬鹿な男の気持ちも分かる気がする。
 罪に手を染めたとしても、天女を自分の元へ繋ぎ留めておきたかったのだ。
 不器用で穴だらけの策だけれども、そんな一方的な方法でしか天女を愛せなかったのだ。

 花姫様は天女でないが、哀れな男を底のない恋で残忍な者に変貌させてしまうほどの美しさを持つ。
 天女に魅せられた哀れな男に、今の俺は近い状態だ。
 天女でいう「羽衣」に値する物を奪えば、花姫様を手に入れる事ができるのだろうか。
 天女でいう「羽衣」に値する物を消せば、花姫様は俺の元で幸せに暮らしてくれるのだろうか。

 答えは、考えるまでもない。
 物語で男が末路を教えてくれているではないか。
 天に帰る手段を失った天女は、天に焦がれるだけで男を愛してはくれない。
 隠した羽衣を手にした瞬間、迷いなく帰るほどに天を求めていた。
 例え男が羽衣を燃やしたとしても、天女が天に焦がれる事は止めないだろう。
 結局、男は天女に愛されていなかったのだ。
 羽衣を奪って、仮初の幸せを手に入れても本当の意味で幸せではなかったのだ。

 花姫様が欲しいなら、羽衣を奪うべきではない。
 花姫様を繋ぎ留めたいなら、羽衣に頼るべきではない。

「繋ぎ留めるもの、か……」

 俺は何をすべきかを思索しながら立ち上がり、甘い香りの残る花姫様の部屋を後にした――。





 花姫様の部屋を出ると、小萩さんや女中さん達の探るような視線がチクチクと突き刺さった。
 ただ花姫様を横にするだけなのに、随分と時間を要した事に不審を抱いているのだろう。
 無実であるのに敵を作る事は婿候補達の件で懲りた。
 だから俺は、自分が潔白だと丁寧な対応で証明してみせる。

「小萩殿、花姫様はよく眠っていらっしゃいました」
「左様でございますか。藤見様、姫様をお連れ下さってありがとうございました」
「いえ、元はと言えば私が花姫様にお酒を勧めた事が原因ですので……」

 花姫様との距離が縮まった為、月見酒は結果だけ見れば上策だったと言える。
 しかし、やはり『酒の力』を借りて成功した事なので少し後ろめたいのも事実。
 何より、一杯の酒で眠ってしまった花姫様の状態が心配だ。
 明日の朝、二日酔いで花姫様が苦しむかもしれないと考えるだけで申し訳なくなる。
 体質によって二日酔いにも違いがあるので、場合によっては見舞う事も必要だ。

「小萩殿、花姫様は音沁水を飲まれるのが初めてだと聞きました。他の酒類を飲まれて、翌朝ひどく体調を崩されたという経験は御有りですか?」
「まぁ、音沁水を飲まれたのですか?」

 驚いた、という声色で片手を口元にやる小萩さん。
 その反応から、花姫様の二日酔いについての回答を推測する事は難しい。
 そんな風に、そわそわと落ちつかない俺を見て小萩さんはピクッと片眉を上げた。
 何か問題があったのか、と心配になる俺だが、やはり気になるのは花姫様の事だ。

 しつこいかもしれないが、もう一度同じ質問をしようと考えた時。
 小萩さんが口元に添えていた手を下ろしながら、言葉を紡いだ。

「花姫様のご様子は、藤見様が直接確かめて下さいませ」
「それは見舞う必要がある、という事でしょうか」
「それもご自分の目で確かめて頂きたいと思います。明日、辰の刻に本日と同じ侍女を向かわせましょう。その者が花姫様の元へご案内致しますので、お姿をご確認下さいませ」

 そう言って、小萩さんが部屋の外に並んでいる女中さん達に目を向けた。
 俺も同じように女中さん達を見ると、確かに俺を迎えに来てくれた女中さんが居た。
 女中さんも俺が見ている事に気付き、会釈をしてくれた。

 どうやら、明日の辰の刻……えーっと、午前八時に花姫様の容態を確認する事は決定されたようだ。
 断る理由も特になく、むしろ願ったり叶ったりな申し出なので引き受けるために首を縦に振った。



「では私はこれで失礼します。陽太、夜も更けたから俺達も部屋へ戻ろう」
「は、はい。……あの、羽織はどうされたのですか?」
「あぁ……」

 陽太の質問で、羽織を置いてきた事を小萩さんに伝えていない事に気付いた。
 部屋に入る前と、出て来た後で姿の違う俺を周りの人が気付かないはずがない。

「花姫様が裾を握っていらっしゃったので置いてきてしまいました。明日、私が花姫様のご容態を伺った時にでもお返し願えますか?」
「藤見様、羽織はすぐにお返しできますのでお待ち下さい。忍の私なら、眠っている花姫様の手も簡単に解く事ができます」

 俺は小萩さんに伝えたつもりだったが、並び立った女中さん達の中から千代さんが一歩前に出て声を上げた。
 横から口を出した千代さんの行動に女中さん達は慌て、小萩さんの空気も変わる。
 しかし、小萩さんの強い視線に千代さんは怯む事はなかった。
 そこは、さすが忍……と言ったところだろうか。

 千代さんに言葉を掛けられた俺だが、それを承諾する気は全くない。
 許可しない事で理由を聞かれるのは当然だと思い、俺は答えるために腹に力を入れた。

「千代殿、……どうか羽織は引き離さないで下さい」
「では、何故そんなにも羽織にこだわるのかお答え頂きたいと思います」
「私にはあの羽織が花姫様の手に渡った一瞬、羽衣のように見えたのです」
「天女の羽衣、でございますか」
「はい」
「天女の羽衣は、天女に焦がれた男が奪い隠した物です。物を盗む事の愚かさと無理やり手に入れた愛の脆さを説いています」
「そうですね」
「くっ、花姫様を無理やり奪いに来るという警告でございますか!」
「そのような事をしてしまえば、最後には天女に逃げられてしまいます」

 相変わらず、俺の言葉を否定的に受け止める人だ。
 鋭い眼に少しウンザリしながら、俺は続きの言葉を発した。
 ここから先は千代さんに言い聞かせるだけではない。
 これだけ花姫様の周囲の人達が集まっているのは、俺にとっての好機だ。

「私は哀れな男の二の舞にはなりません。だから羽衣を奪わず、羽衣とは違ったもので天女を手に入れます」

 男は天女を愛したが、天女は最後まで男を愛さなかった。
 何故なら天女にとって男は愛情を注ぐべき対象ではなかったからだ。
 羽衣を奪った時点で、天女の最愛である天を奪った男が愛される可能性などなかったのだ。

「男が天女を地上に引き留める為には、何が必要だと思いますか?」

 俺を鋭く睨む千代さんから視線を外し、並び立った女中さん達へ端から順に質問を投げかけた。
 一人一人と視線を合わせれば、彼女達は俺の質問に対しての答えを考えるために瞳を揺らした。

 男は最初から間違っていた。
 羽衣を奪い隠す事で天女の意識を自分に向け、次第に勘違いしたのだ。
 男が天女を愛した分、天女は天のために男に尽くしたのだろう。
 男は恋によって盲目になり、天女が常に天に焦がれている事を失念した。
 結局、男は天女を手に入れる事ができなかった。
 何故ならば、天女が必要としていたのは男ではなく、羽衣だったから。

「男と同じように、天女の目を盗んで羽衣を隠せば良いのでしょうか。男より残忍になり、天女の目の前で羽衣を焼いてしまえば良いのでしょうか。天女への想いに溺れ、人目に触れぬ場所に閉じ込め愛を囁けば良いのでしょうか」

 女中さん達の間を漂った俺の視線は、再び千代さんと交差して次に移る。
 千代さんのように俺を睨むのではなく、ただ眼を細めて俺を観察する小萩さんと正面から目を合わせた。
 強い眼差しは俺に圧力を掛けているように感じられたが、屈したくないという思いが俺を奮い立たせる。

「見合いの場でも申し上げましたが、私が欲しいのは花姫様の心です。羽衣という形ある物で縛り付けるのではなく、心という枷で繋ぎ留めたい」

 誰かが息を呑んだ音が、震えた空気から伝わった。
 小萩さんは俺の言葉に何も言わず、濁りの無い瞳でただ俺を見つめるだけ。

 小萩さんに視線が行き着いた時と同じように、千代さんを介して女中さん達にもう一度目を向ける。
 彼女達に問いかけた事の答えは、理解できたかと尋ねるように。

「私が羽衣を手に入れる事があるならば……それは天女が自らの手で羽衣を渡してきた時です」

 そして最後に行き着くのは、やはり俺を一番警戒している千代さんの所だ。
 棘のある視線が俺を刺しているが、俺としても簡単に譲る気はない。

 俺は羽衣を奪って、花姫様を縛り付けたりはしない。
 俺が花姫様に歩み寄るように、花姫様にも歩み寄って欲しいからだ。

 羽衣が俺の意志によって手中に収まる事はない。
 何故なら、俺が羽衣を欲しいと望まないから。
 そして何より、欲しいと豪語するモノが花姫様の心だと自信を持って言えるから。


「――……だから、羽衣は未だ天女の手にあるのですよ」

 悔しそうに口を引き結んだ千代さんが、顔を背けて女中さん達の中へ戻った事で決着はついた。






 これ以上反対される事は無いと確信した俺は、控えている陽太を連れて歩き出す。
 小萩さんや女中さん達の前を通る形になるので、都度頭を下げながら足を進めた。

 しかし並び立った女中さん達の前を抜けた瞬間、後ろから小萩さんに名前を呼ばれた。

「藤見様」

 振り返れば、小萩さんを先頭にして並びを変えた女中さん達。
 水色に統一された着物が闇夜に淡く浮かび、品の良さを思わせる。

「花姫様はとても初心(うぶ)なお方でございます。恥じらう事も少なくありませんので、どうか優しくお願い致します」
「心得ております」

 小萩さんの言葉に当然だと思いながら答えれば、初めて小萩さんが自然に笑ってくれた。
 その事が妙に嬉しく感じられて、俺も釣られるように笑顔を返した。
 小萩さんが深々と頭を下げると、女中さん達も同じように頭を下げる。
 何だか急に恥ずかしくなって、この場から逃げ出したい気持ちになった。

 もちろん、そんな事は不可能だ。
 だから俺は、この場を立ち去るために別れの言葉をもう一度口にした。

「では明日、辰の刻に」
「我ら一同、花姫様と共に心よりお待ちしております」

 小萩さん達は頭を下げたままだったが、優しい色を含んだ返事に俺は安心して息を吐いた。
 くるりと体の向きを変えて、今度こそ花姫様の部屋から遠ざかる。



 花姫様の部屋からの帰り道。
 道順を覚えきっていない俺が速度を落とした直後、後ろを歩いていた陽太が半歩前に出た。
 俺達の間に言葉は無いが、安堵した俺の空気を悟った陽太が少し笑った気がした。

 そんな風に、部屋までの長い距離を二人で歩く。
 何度か角を曲がるが、比較的長い直線が続く事に気付いた俺は、軽く目を閉じて花姫様の姿を思い浮かべる。

 不安げに瞳を揺らす姿。
 寂しそうに眉を下げる姿。
 驚いて目を見開く姿。
 恥じらって頬を染める姿。
 成熟しきっていない女性の色香を漂わせる姿。
 切なげに瞼を震わせて涙を零す姿。
 嬉しそうにふわりと笑ってくれる姿。

 この一夜で、花姫様の事を多く知る事ができた。
 そして、花姫様の事を知りたいという思いは尽きる気配がない。

 一度は振り出しに戻った花姫様との関係。
 今こうして思えば、それが逆に良かったのかもしれないと密かに笑った。

 夜闇に溶ける、自分の足音。
 それは普段より大きく、ゆったりしたモノだったけれど。
 まるで、一歩一歩確実に歩みを進める俺と花姫様のようだと幸せに浸りそうになる。

 今日は良い夢が見れそうだなぁ、と徐々に近づく睡魔を感じながら思ったのだった――。

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