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へっぽこ鬼日記 幕間八(二)

幕間八 (二)
 東条の城を出て程なくすると城下町が風貌を現し、恭様と並んで歩いた大通りへ自然と足が進んだ。
 行き交う人の声や軒先で客寄せを行う言葉を耳にしながら、藤の花が咲く故郷を思い出して少しだけ口端が上がる。

 この町の作りは城を真正面に据える大通りを中心に、左右一本ずつ縦に通りが存在している。
 幾分か時間を掛けて三本の通りを余す事無く歩き、元の位置に戻って息を吐く。
 城を背にした状態で確認できる左の通りと大通りは商業の店が主で、人通りが多い事も関係して甘味屋などの軽く休憩できるものも多い。
 右の通りは他と比べて若干薄暗い印象を受けるが人の気配が定着しているので、居住区なのだと推測できた。

 平和で安心できる場所だが、やや緊張感に欠ける……というのがこの地への印象だ。
 『迷いの森』と呼ばれる深い森に囲まれた先にある地だとしても、安心し切るには不十分。
 それに、行商用の道を使えば多少の無理はあるものの比較的楽に森を抜ける事が可能だ。
 民の心に安堵を与える何かが働いていると考えるのが妥当だろう。


 気になった点は、幾つかある。
 まず、店舗や民家に関わらず軒先に吊るされていた『音の鳴らない風鈴』。
 一軒目で季節が合っていない事で疑問を感じたが、二軒目、三軒目からは疑惑になった。
 一見、何の変哲もない風鈴だが風に吹かれても音は鳴らなかった。だが単なる飾りならば城下の建物の全てに吊るされているのは不自然だ。
 防犯の意味があるのか、神教的な物なのか、流行りの飾りなのか。特に鬼道術の気配がしなかったので余計に気になる。
 実は単に平和ボケしているだけではないのかもしれない。
 東鬼の長の膝元で、薄雲に覆われぼんやりとしか見えない事情を確かめるのは諜報の一環でもあり、楽しみだと感じた。

 次に気になったのは、大通りの中央に設けられた二階建の建物だ。
 腕の立ちそうな男達が二人一組で出入りしており、不定期な足取りで三本の通りを徘徊していた。
 確認しただけでも二人一組の組み合わせは三組あったので、建物の規模から考えて数もそれなりなのだと予想する。
 すれ違う民の目に恐れや嫌悪の感情は無いので、害はないと判断できた。
 むしろ、有志による警備組織のようなモノだと有力視しておく方が賢明かもしれない。
 現に、奴らには城下を見回っている内に尾行され始めた。
 見回った目的は城下の把握だ。後ろめたい事は何もないため無理に撒く事はしなかった。
 残りの予定は必要な物を買付けるだけなので、城に戻るまで撒かなくても良いと思っている。
 別に身分を隠すつもりもなければ、隠す必要性もない。胸を張って藤見の地から来たと公言しても良いくらいだ。
 まぁ、面倒事は避けた方が楽なので、それは己を警戒した奴等に声を掛けられた時に取る手段としておこう。

 そして気になった点の三つめは、治安云々には無関係だとは思うが……三軒ある呉服屋が全て休業していた事だ。
 恭様の反物を幾つか増やそうと考えていたので、特に目についただけかもしれない。だが、三軒も同時に休業するだろうか。
 確かに内一軒は『仕入れのため』という納得のいく張り紙がされてあった。しかし残りの二軒は……?
 更に付け加えれば、大規模な小間物屋も二軒ほど休みを取っていた。空いていたのは良質とは世辞にも言えない品が扱われている小規模な店だけ。
 得意の客がついた時ならば店を閉めても不思議でないが、一般の客が同時に数店舗も――というのは何度考えても無理がある。

 可能性としては昨日今日で金銭面で苦悩しない客が急についた、という事だ。
 そこで安直に答えが導き出されるのが、東条の城に滞在している恭様以外の婿候補達。
 文で逢瀬の約束を取り付けた恭様と同じように、他の婿候補達も約束があるはず。
 未の刻という指定があったので、それ以前に逢う事になるが単純に計算しても一人の持ち時間が少ない。
 呉服屋や小間物屋を呼びつけての買い物は簡単に終わらない印象が強く、店の者も客を捕まえるために普段店頭に並べない品を披露する。

 一日で恭様を含め四名もの相手をする気か? と、ここで東条側に対する新たな疑問が沸く。
 遅延の連絡はなく、迎えの女中が来たので問題なく自分は恭様を送り出した。
 それに花姫様には女中頭の小萩殿が付いているので、この不安は杞憂に終わるとも思える。
 が、やはり拭えない不安が過るのも確かだ。


「――ん?」

 どうするか、と己が取るべき最善を考えていると微かな殺気を感じた。
 出元は尾行している二人組の方角からだが、過剰な反応を示さないよう気を配る。
 恐らく、通りに入らず一ヶ所でじっとしている自分に警戒心を強めたのだろう。

 考える時間が欲しい時に限って邪魔が入り、内心で派手な舌打ちをする。
 警戒しているだけで姿を現さないのは単に探っているだけか、一人になる機を伺っているのか。
 どちらにせよ、このままトンボ返りするのは怪しさを増すので仕方なく当初の目的を果たす為に用のある店に入る事にした。



◆◇◆



 大通りを一定の速度で進み、酒屋の軒先に並ぶ数々の陶器に興味を引かれながら暖簾をくぐる。
 入口から真正面に厚木の長い仕切り台があり、そこが帳場である事が分かった。
 左の壁沿いには多種な酒瓶と形や色の違った杯が棚に並べられ、右には酒の入った大甕が置かれている。
 活気ある路上とは違って仄かに静寂を纏った空間は、見目だけではなく肌身で感じる温度が違っていた。
 質素だが落ちついた雰囲気で販売品への気遣いが行き届いており、この店は当たりだ、と少し気を良くしながら店内へ足を進めると直ぐに店主らしき老人が店奥から顔を出した。
 随分な高齢だが、しっかりした声が現役である事を物語っている。

「いらっしゃいませ、本日は何をお求めでしょうか」
「そうだな、では音沁水を」
「畏まりました」
「……店主。この店は杯も多く扱っているようだが、何か意味でもあるのだろうか」

 均等に酒瓶や杯が並んだ棚を見ながら訪ねると、店主は瞬きを何度か繰り返した後に皺だらけの目元を一層深くして微笑む。
 帳場から出て、目にしていた棚に近づく店主の足取りはどこか楽しそうだ。

「音沁水は初めてでございますか、お客様」
「あぁ、実は名を聞いた事があるだけで詳しくは知らない」
「それは勿体無ぅございます。是非とも音沁水の楽しみ方を知って下さい」
「楽しみ方……?」

 その言葉に疑問を抱いていると、慣れた手つきで棚から濁った灰色の酒瓶と杯を幾つか持って帳場に戻った。
 店主は赤、黒、白の杯を順に台の上に並べ、次いで酒瓶片手に帳場にあった筆を取る。

「音沁水は同じ読み方をする別名がありまして、多くの意味を持つ面白い酒なのですよ」

 サラサラと何か文字を書いて杯と同じように台に置かれた酒瓶は、未だ己の方に文字の面を晒していない。
 やや間を置いて、店主の手により半回転させられた酒瓶には言葉通り横並びする『音沁水』『落とし水』の文字。
 言葉遊びに似た酒の名と、今から語られる意味に興味がそそられた。

「この『落とし水』は飲み交わす者の仲を取り持つ酒として古くから親しまれております。基本的に同性同士で飲む場合に親交を深めるため、相手を『落とす』まで飲み比べます」
「飲み比べに使われるなら……強い酒か、酔いが回りやすい酒なのか」
「ええ、お察しの通りでございます。音沁水は双方を特徴を持ち合わせており、『落とす』には最適でございます」
「確かに親交を深めるには酒が一番手っ取り早いが……。――では異性の場合は?」
「異性と申しますより、男性が女性に奨める形になります。男性が赤もしくは黒の杯に音沁水を注ぎ、女性の承諾を得るのが異性の楽しみ方です。この時に使用する杯により、男性が女性に何の承諾を請うているのかが明確になります」

 三つ並んだ杯の内、赤の杯を列より前に出して店主は音沁水を注いだ。
 無色透明な液体がトクトクと良い音を立て、辺りに甘い香りが広がる。

「赤の杯で音沁水を勧める男の意は『貴女と親密になりたい』。これは、まぁ……言葉通り現状より一歩進んだ関係を望んだ男性の想いを意図とします」

 他人から知人へ、知人から友人へ、友人から恋人へ。
 親密になると言っても明確な基準は無いと濁す言葉を付け加え、店主も曖昧に笑った。
 臨機応変に使い分ける事が女を口説く男の手腕に託されるという事だろう。

「次に、黒の杯で音沁水を勧める男の意は、『貴女を愛したい』。恋人または似た関係が成立済の場合に寝所を訪ねたい、という想いを意図とします。ここで面白いのは、一方的な思い込みによる関係であれば杯が割れてしまうという事です」

 赤の杯と同じように、列から前に出した黒の杯に寸分違わぬ量の音沁水が店主によって注がれた。
 薄れ始めていた甘い香りが再び辺りに広がり、決して酒に弱いわけではないのに、その匂いだけで酔いそうになる。
 店主の言葉通り、強い酒なのだと実感した。

 説明が聞きたいのであって、『落とす』感覚を知りたいわけではない。
 気を紛らわすために、ふと浮かんだ疑問を口にすれば、店主は平然として答えを口にした。

「急く男に全ての女が従うとは思えないが、杯が割れなければ了承した事になってしまうのか?」
「もちろん、断る方法もございます。女性が音沁水を飲むだけでは承諾とは言えません。杯に注がれた音沁水を飲み干し、その杯を男性に返さず膳の上に置けば拒否となります」
「女の一連の動作が男への返事になる、という事だな」
「はい、左様でございます。と申しましても、異性同士でも深い意味などなく飲み交わしたい事もあるでしょう。そのような場合には『他意はない』という意味を込めて、己の手酌で飲む事になります」

 店主が言葉を切った後、ふむ、と腕を組んで未だ香り立つ赤と黒の杯に入った音沁水を見つめる。
 同性同士の交友に相手を『落とす』まで飲み交わすとは確かに名の通り『落とし水』だ。
 そして、異性を恋情の意味で『落とす』方策の一つである『落とし水』も同等。
 確かに面白い酒だな、と再び店主を見ると酒瓶に栓をしながら変わらぬ笑みを浮かべていた。
 それは接客用の笑みだが、無理を感じさせないだけの経験を持ち合わせ好感さえ抱ける。

「最後に白の杯は婚礼用でございます。求婚する時も必要ですが、杯はそのまま式でも使用致します」

 店主は白の杯を先に出した二つの杯と同じ列並びに沿わすが、音沁水を注がなかった。
 既に酒瓶には店主の手によって栓がされており、これ以上触れる様子は一切ない。
 たったそれだけの行為なのに、白の杯が持つ重要性を十分に語っていた。
 これだから年配者は喰えないのだ、と己の何倍もの時間を生きて来た店主の計らいに、苦笑しながら肩を竦めるしかなかった。


 それ以上店主からの説明は無いようなので、恭様に必要な分を注文をすべく再び店内を見回す。
 音沁水以外の酒の種類も豊富なので、気紛れに酒の味を変えたがる恭様の要望にも応える事ができるだろう。
 普段の買い付けでは質や値を比べるために複数の店舗に足を運ぶが、今回は珍しく即決の形となりそうだ。

 やはり分野の違う業種は、専門の腕が試されるのだと感心した。
 従者という立場では分け隔てなく他人に柔軟な態度で接する事は、それほど必要ではない。己の第一は主人に変わりないのだから。

「……良く分かった。では、杯は赤と黒を貰おう」
「お買い上げありがとうございます」
「それと音沁水は瓶ではなく、そこの甕(かめ)で頼む」
「か、甕でございますか?」
「よく飲まれる方だから、私も頻繁に顔を出す事になるだろう。店主の対応が気に入ったので、暫くは贔屓にさせてもらう事にする」
「それはそれは嬉しい限りでございます! しかし……はて、お客様がお飲みになるのではないのですか?」
「私は使いだ。酒好きの主人に仕えているので他に良い酒があれば奨めてくれ」
「では店の酒を全て奨める事になりますので、長いお付き合いになりましょう」

 初めて表面上だけではなく声を上げて笑った店主に、こちらの気も良くなった。

 その後、音沁水の甕は城に届けてもらうより人手を借りる事にして店を後にした。
 他の用があるので帰り際に再度立ちよると告げると、それまでに運び手を用意しておいてくれるらしい。
 簡単な挨拶を店主と交わし、入った時と同じように店の暖簾をくぐって未だに人の行き来が激しい通りに身を投じる。

 酒屋に入る時に己を尾行していた者達は既に消えたようで、それから特に視線を感じる事はなかった。
 音沁水の他に買い付ける予定の物を思い出しながら、民の流れに身を任せ品定めを楽しむ。
 抱いた疑問や不可思議な組織の存在を目の当たりにして、東条の地もなかなか有意義だと感じたのだった――。



◆◇◆




 朱色に藍色が交った空には巣へ帰るカラスが群を成しており、鳴き声が遠方で響く。
 あれから必要な日用品を適当に買い付け日が沈まぬ内に酒屋に足を向けた……のだが。
 丁度、仕入れから帰って来た呉服屋が店に品物を運んでいる所へ遭遇してしまった。

 仕入れ直後は良い生地を目にする好機だ。
 日を改めて訪ねるのが筋だとは理解しているが、この機を逃すのは惜しい。
 良い物ほど早く買い手が付き、手に入れたいと思った時には既に手を回せない状態になっている事が多い。
 しかし忙しなく店の者に指示を出している店主に声を掛けるもの忍びない。


 と色々考察していたはずが、指示を出し終わって一人になった呉服屋の店主を見た途端、声を掛けている己が居た。
 営業時以外に声を掛けた事を陳謝し買い手が付く前に品物を見せて欲しいと頼むと、男は快く笑って店内へ案内してくれた。
 それからは、最近跡を継いだばかりだという意外に若い店主の商売魂と、恭様に良い物を着て頂きたいという己の従者魂に火がついて、かなりの時間を呉服屋で過ごしてしまった。




「……何をしているんだ、オレは」

 呉服屋を出て冷静になった頭で己を罵る。
 選んだ生地を売ってしまわぬよう店主に金を渡し、次に恭様と共に城下へ来た時に採寸を済ます気でいる子供のような思考にも嫌気が差した。
 恭様が一緒に城下へ足を運んで下さると思い込んでいる事もそうだが、完全に依存して甘えている。
 きっと恭様は嫌な顔ひとつせず、むしろ意気揚々と城下へ共に来て下さるだろう。
 そして己も酒屋や呉服屋へ恭様を案内して幸せを感じるのだ。
 まったく、どれだけ恭様を慕っているんだと己が恥ずかしくなってくる。初恋に思いを馳せる妙齢の娘でもあるまいに。
 呟いた言葉は誰にも拾われず空気に溶けた――、と思った瞬間。


「あら、男でもお買い物を楽しむくらい良いんじゃないかしら?」
「っ!?」

 急に掛けられた声に反応して勢いよくそちらの方を向けば、濃紺の長髪を肩口から垂らした線の細い男が一人。
 たった今まで、通行人の気配しかなかった。だがこの男は己の様子をずっと見ていたかのような発言をしたのだ。
 通行人の中に溶け込んでいたのか、わざと気を引くように現れて注意を向けたのかは分からない。

 だが、一つ言えるのは……男がただの一般人ではないということ。
 人の行き交う道中で、背筋を伸ばして己に人好きのする笑みを浮かべているこの男は――。
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