忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

へっぽこ鬼日記 幕間八(三)

幕間八 (三)

 細身で軟弱な印象を受けたが、すぐにそれが間違いだと気づく。
 着痩せするのか、外見からは分かりにくいがその身体には無駄な作りが一切なかった。
 小奇麗な顔に騙されがちだが、袖から伸びた手には武器を握った時にできる肉刺(まめ)や傷が多数ある。

「――どこの忍だ」
「やだ怖い。そんなお顔で冗談を言わないで下さいな」
「其方こそ冗談は止めろ。監視して付け回していたくせに、白々しい」
「あら、やっぱり気付いていたのね。見慣れない坊やだから警戒しちゃったの。ごめんなさい?」
「質問に答えてもらおうか。どこの忍で、監視していた目的が何なのか」
「お生憎様、アナタに名乗る名は持ち合わせていないわ。目的は……そうね、同じだと思ったからかしら。違ったみたいだけど」
「……忍という事は否定しないのだな」
「見れば分かるでしょ。でも何処にも属していないから、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。アナタに近づいたのは興味本位かしら」

 肩から流れた髪をくるくると指先で弄ぶ男の言葉に、不信感が募る。
 警戒を解くように告げてくるが、その言葉に従うつもりなどない。その意志と少しの殺気を込めて、男を睨み付けた。

「うふ、可愛い威嚇だこと。でもまだまだお子様ね。三年後が楽しみ!」

 だが男には通用しなかったようだ。
 楽しくて仕方がないといった様子で笑みを浮かべているが、紡がれる言葉には嫌悪感しか抱けない。
 チッ、と舌打ちをすれば、ますます笑みを深める気持ち悪い男。
 はじめは東条の忍かとも思ったが、どうやら毛色が違うようだ。組織として訓練された東条の忍と比べると、野性的な印象が強い。これはこれで面倒だと思った。
 厄介な者に目を付けられたものだ、と苛つきながら打開策を考える。

 しかし意外にも、男との強制的な交流は長続きしなかった。
 突き刺さるような視線を感じ、男とほぼ同時に目を向ければ三人の男。その中でも、眉間に皺を寄せて忍の男を睨んでいる男の空気は、世辞にも穏やかとは言えなかった。
 忍の男もそれを理解しているのか、肩を竦めながら息を吐いた。

「見つかっちゃった。残念だけど、今日はこれでお暇(いとま)するわ。今度会った時はお名前を教えてね」
「断る」

 そう短く答えることも予想していたのか、それ以上何も言わず忍の男は視線を送ってくる男達の方へ足を進めた。
 一度だけ振り返って片目を瞑ってきたが、反応するのも面倒なので無視を決め込む。
 そして結局、忍の男は男達に合流すると見せかけて脇道に逸れてしまった。
 男達が慌てて後を追い、今度こそ本当に一人になれた。


 精神的な疲労を感じながら、夕刻になったことですっかり人数の減った通りを酒屋へ向かって歩く。
 軒先にある見本の陶器を片付けていた酒場の店主に約束通り声を掛け、運び手の男を紹介された。
 甕を乗せた荷車を引く男と歩く帰路は微かに肌寒く、箪笥の中にあるはずの肩袖羽織を確認しておこうと長く伸びる己の影を見ながら思った。
 忍の男? あれとの出会いは叶うことなら無かったことにしてしまいたい。妙な者と交流があれば、恭様にご迷惑をお掛けすることにだって繋がるのだ。




 東条の城の門前まで男と歩き、門番に酒蔵まで甕を運ぶための人手を頼んだ。
 流石に城外の者を断りなく招く事などしない。暗殺や間者の類はこうして入り込むのも少なくないからだ。
 暫くして中から下働きの男が二名現れ、その者達が持ってきた荷車に甕を移す。
 そして、何故か呆けたまま城を仰ぎ見ていた酒屋の男に手間賃を渡し、礼を言って別れる。
 その男は慌てて頭を下げ、小走りで元来た道を帰って行った。

 酒蔵への道のりを覚えながら、ガラガラと荷車を押す男達と言葉を交わす。
 酒を出したい場合は誰に断りを入れるべきか、膳や酒瓶は調理場で借りる事ができるのか等の質問を投げると、男達は目を丸くした後『客人が気を遣う必要はない』と笑った。

 そうは言っても、と言葉を詰まらせた己に男達はもう一度笑って女中達に断りを入れておいてくれると約束してくれた。
 これは思わぬ収穫だ、と内心ほくそ笑んで男達と同じような他者に受けが良い笑いを返す。
 この男達や女中と仲良くできれば、聞き出せる情報も増える。
 仕事や性別によって情報の内容や幅も違うので、聞き出せる人数は大いに越した事は無い。
 近い内に調理場にも顔を出そうと決めて、視界に入った酒蔵を目指して足を動かしたのだった。






 酒蔵から宛がわれた部屋に戻っても、未の刻に恭様をお送りした状態と何ら変わりがなかった。
 どうやら恭様は未だ花姫様との逢瀬を楽しんでいるようで、今頃は花姫様と心安らぐ一時をお過ごしのなのだろう。
 音沁水での段階など踏まずに事を運んでしまいそうだ、と藍色に染まりきった空を見ながら思う。

「……散策でもするか」

 持ち帰った赤と黒の杯を片してしまえば、己の仕事は他に特にない。
 ここ数日で脳裏に描いた城内の地図を思い出しながら、部屋を出る。

 東条は内部の構造が極力統一された造りになっている城だ。
 同じような部屋や道は侵入者を撹乱させ易いので、覚えるのに時間が必要になる。
 が、一度覚えてしまえば難なく出歩けるようになるので、日頃からこの城で生活する者にとっては安心だ。
 しかし藤見の城は違う。
 対侵入者用の悪どい仕掛けが多く構造自体が複雑な藤見の城は、翌日には罠が増えている事など日常茶飯事で、ただ廊下を歩くだけでも気力を消費するのだ。
 僅かに出張った廊下の板を踏めば瞬く間に底が抜け、回避するために飛び退いた先にも同じ仕掛けが施されている。
 壁に手をつけば隠し扉という名の拷問部屋への扉が開き、一歩足を踏み入れれば網に囚われて宙吊りにされてしまう。
 庭には竹槍が仕掛けられた落とし穴が至るところに存在していた。
 他にも例として挙げるのも疲れる量の仕掛けが施されており、実は城を覆う結界など必要ないのでは……と考えている自分がいた。


 恭様に宛がわれた部屋は本殿の客室が連なる場所の一角だ。
 真四角の形をしている客室群の四方に婿候補の部屋が割り振られており、東条側の配慮が感じられる。
 端部屋は移動が面倒だが、個人的な交流を図るには向いている。特に逢瀬を目的とした場合に。

 無人の廊下を歩き、脳内の地図に記憶されていない曲がり角を見つけて先を覗く。
 すると、一瞬だけ先の角を慌てた様子で過ぎた数人の姿が見えた。

「あれは、……小萩殿?」

 落ちついた印象の強い小萩殿が、人目も気にしない素振をするのは腑に落ちない。
 追って詳細を調べるか、と気付かれぬよう尾行しようとした時――近くに慣れた気配を感じて足を止めた。

 小萩殿の姿が見えた方向とは真逆の先にある気配――……これは、間違いなく恭様だ。
 急いで後を追おうとするが、恭様はかなりの速度で移動している。
 これは追うより目的地を推測して回り込む方が早いと判断し、脳内の地図から経路を選択する。
 幸いな事に、恭様が移動している方向は既に調査済みだ。


 その甲斐あってか、ふわふわと定まらない恭様の軌道に苦戦を強いられたが、恭様の足が止まる頃に何とか遭遇する事ができた。
 しかし己に背を向けたまま微動だにしない主に、嫌な予感が過る。
 まさかまさか、と焦りながら何とか絞り出した声が震えていないのは奇跡に近かった。

「恭様?」
「……陽太か?」
「はい。こんな所で何をなさっているのですか?」

 振り返った恭様に一瞬、ほんの一瞬だけ、途方に暮れた表情が浮かんでいるのが視界の端に映った。

 恭様は弱った部分を他の者に見せない。
 それが外傷であっても、心の痛みであっても同じだ。
 そんな恭様が、たった一瞬でも表情を曇らせていた事に衝撃が走った。
 花姫様から届いた文を、恭様にしては珍しく子供のような笑顔でオレに見せたものと正反対の状態に。
 愛しそうに文字を指先で追い、ふわりと優しい笑みを零す恭様は間違いなく幸せを感じていた。
 花姫様との逢瀬に緊張しながら、恋心を厄介だと言いつつも耳を赤く染めていた姿とは違いすぎた。

「部屋に帰る途中だ。そういうお前は?」
「オレは城下町への買付(かいつけ)が済んだので城内探索をしていました。あの、確か恭様は花姫様とお会いになる予定だったと記憶しているのですが……」
「あぁ、今の今まで待ったが我慢できなくなってな」
「は? 約束の時間は未の刻だったはずですが……って、今は酉三つ時ですよ!?」
「俺と花姫様は、縁が無いのかもしれないな」
「そ、そんな事は……」

 へにゃりと音がしそうな程悲しそうな恭様の表情に、オレの心がチクチクと痛む。
 こんな風に力なく笑うのは随分我慢している証拠だ。

 別に恭様に落ち度は何も無い。
 約束を取り付けて来たのは東条側であるのに、何たる仕打ちだ。
 下唇を噛み、悔しさで胸がいっぱいになる。
 東条側にも腹が立つが、本当は気の利いた言葉の一つも掛ける事ができない自分自身も歯痒い。

 恭様は奥底の感情を他者に悟らせない方だから、時々酷く不安になる。
 最後の言葉の後に疲れたように聞こえた溜息はきっと気の所為じゃない。
 だからそんな恭様にオレの心はチクチク痛み続ける。

 歪んだ顔は、悔しさと悲しみからか。
 それとも強く握った手に爪が喰い込んだ事によるものか。
 理由はどうあれ、それによって情けない顔をしていたせいだろうか。
 恭様はオレの顔を見て、もう一度へらりと力なく笑った。
 添えられる言葉は、花姫様への想いを語った時と同じもの。

「言っただろ? 厄介な感情だ、と」
「で、では花姫様の事は……」
「今回の展開は予想外だったから、部屋で少し考えるよ」

 ああ、こんな声を出させたい訳ではない。
 何時だって恭様には心から笑っていて欲しいのに。
 こんな状態で、無理に笑ってくださる事を恭様に望んではいないのに。

 恭様は弱さを見せずに、いつも笑う。
 だからいつの間にか、返される笑顔の感じで恭様の痛み具合が分かる様になってきた。
 言葉にできないオレの声も、いつも震える拳と共に形を現さない痛みとなって掌に残るだけ。
 そして、今の沈んだ気持ちを浮上させた恭様がどのような行動に出るかも簡単に予測できた。

 凍てつくような視線で、恭様は邪魔者に自分の存在が如何なるものか教えるだろう。
 策を練って動き出す恭様が与えるのは、制裁と報復と二度と逆らう気を起こさぬよう強い絶望感。
 逃げる事を許さぬ眼差しで、恭様は愛しい姫を恋慕という名の海で溺れさせるだろう。
 幸か不幸か予想外の妨害により逃れた美しい姫には、足掻けども抜けられぬほどの深い愛情を。
 眠る獅子のように、今は未だ手の内を見せない恭様だけど。
 この気落ちという眠りから覚めた恭様が誰を狙って、誰を捕えて、誰を仕留めるのか。
 その時、オレは恭様のために何ができ、どのように動くべきだろうか。

 そんな事を考えつつ、オレは静かに歩みを進める恭様に合わせて半歩先を歩き、気を紛らわせて頂けるよう別の話題を振る事にしたのだった――。



◆◇◆



 部屋までの道のりで少しずつだがオレの言葉に返事をして下さる恭様の様子を、半歩先を歩きながら盗み見る。
 その表情は良好とは言えないが、先ほど纏っていた沈んだ空気は消え失せていた。
 ……となると次にオレが起こす行動は、何故今回の状況が起こったのかを追及する事だ。

 状況を整理しようと思い、着目点となる事項を幾つか上げてみる事にした。
 まず、未の刻時点では特に大きな問題が起こっていなかったという事だ。
 刻限通り恭様を迎えに来た女中に不審な様子はなく、世話役を任されていた事から気遣いも感じられる。
 これは東条側の企みだという可能性を低くする証拠ともなり得る。
 それに、昨日の千代の様子から花姫様が恭様に好印象を抱いていると推測できる。
 故に、東条側がこんな行動に出るのは考えにくい。
 相手を焦らすのは駆け引きの一つだが、このような方法は裏目に出る事が多いので賭けに出るような行為はしないだろう。
 それ以前に、恭様の想いを打ち明けられて激しく動揺していた花姫様に、駆け引きが出来るとは思えない。 
 それについては恭様も同じ考えのようで、東条側を非難する言葉は口にされなかった。

 次に、花姫様の予定だ。
 未の刻に茶会への誘いがあったという事は、少なくともそれ以降は予定がないと考えて良い。
 先に上げた理由から、花姫様は恭様との逢瀬を蔑(ないがし)ろにしないはずだ。
 そうなると、考えられるのは未の刻以前に予定していた事で何か問題があったか、だ。
 しかしここでもう一点着目すべきなのが、遅れる連絡が恭様に無かった事だ。
 待たせているにしろ一言あるのが普通で、何より花姫様に付いている女中頭の小萩殿が、そんな無礼を許すとは思えない。
 更に繋がる点としては、オレが恭様の気配を感じる前に見た小萩殿の姿だ。
 慌てたように移動していた小萩殿の行き先は、恐らく恭様が花姫様を待っていた奥御殿の方向。
 もし恭様の元へ向かっていたのであれば、既に手遅れなのだが……手遅れなりに何か連絡があってもおかしくない。

 他の点としては――、どうやら今から目の前で起こるようなので敢えて挙げるのは止めよう。
 今まさに、最も有力で犯人を裏付けるであろう人物が、遠方からドスドスという品のない音と共にやって来るではないか。
 恭様も流石と言うべきか、オレが音に気付いたのと同時に一歩分前に出て相手が確認できる距離まで進み足を止めた。

 噂をすれば……、とはこういう時に使用する言葉だろうか。
 と思いながら、見合いの席で恭様に無礼を働いた婿候補が青筋を浮かべながら歩いてくる様子を眺める。
 贅沢暮らしを物語る体は世辞にも戦闘向きとは言えないが、確か彼は商業が盛んな地の出身だったと思い出した。
 商業という言葉から、城下で会話した酒屋や呉服屋の店主が思い浮かぶ。
 が、目の前の男とは正反対の印象を抱いている自分には、同類だとはどうしても思えなかった。
 唯一、よく通る声が商業向きだとは感じたが。 

「おのれ藤見恭、この私を愚弄しおって……! 私が進む道を阻む邪魔者めが! どうしてくれようか!!」
「一体何の事ですか」
「黙れ黙れ黙れ、このっ、すけこましが!」
「はい? 何故そのような話に……」
「調子に乗るなよ藤見恭! 必ず、近い内に必ず貴様に恥をかかせてやるからな!!」

 ……利点だと思えたその声も、この場では耳触りなモノでしかない。
 口を開けば他人を罵る言葉を吐き、目を開けば見下した視線しか寄越さない。
 あまりの態度に、一度縛り付けて市中を引き摺り回してやろうか、と思えてくる。
 推測でしかないが、恐らくこの男が諸悪の根源だろう。
 何かと恭様に敵意を抱いているようで、今回も稚拙な策を立てたと見受けられる。
 この様子からすると、何らかの手違いが生じて思わぬ方向に事態が転んだようだが。

 その後、男は罵声を浴びせるだけ浴びせて、何を思ったのか自分の帯に挟んであった扇子を大きく振り上げ膝に叩き付けた。
 恐らく真っ二つに割るつもりだったのだろう。だが予想に反して扇子の作りは丈夫だったようで、膝を強打するという失態を晒すだけになった。
 
 何とも形容し難い空気が場に漂う。
 うずくまる男とそれを介抱する従者を見て、恭様もオレも苦い表情のまま黙り込んでしまった。
 そんな我らの視線から逃げるようにして消えた黄色の主従に、呆れと共に沸々とした怒りが込み上げてきた。
 その延長のせいか、呆れた様子で苦言を漏らす恭様に、あの主従を非難した答えをも返してしまう始末だ。
 恭様の事になると、情に流されて歯止めが利かなくなる。
 それが改善すべき点だと理解しているのに、なかなか怒りは収まらない。
 むしろ、歯止めが利かなくなりつつあると言った方が正しい。

「傲慢な態度で自分を強者として見せようとしているのでしょうか。今の発言で小細工を仕掛けた事が予測できますが、程度が知れましたね。生き残るために必死なのに、策の詰めが甘い事で落魄(おちぶ)れる手本のような方だ」

 あの男は、オレから見れば恭様の周りを煩く飛び回る虫だ。
 仇を成し不快だな、と思う前に虫は捨てるに限る。
 刺すような虫だったなら殺すこともある。
 羽音を疎ましく感じても尚、生かしたいと思う虫は過去にも存在しなかった。
 それがどんなに美しい羽を持つ蝶でも同じこと。

 言わば、あの男にとって権力は自由に飛び回るための羽だ。
 生まれながらにして美しい羽を持つ害虫のような男は、羽を見せびらかすだけで使い方を知らない。
 そんな羽なら、毟り取ってしまえば良い。
 そんな羽を持つなら、見限ってしまえば良いのだ。
 考えず声を上げる事なら赤子でもできる。
 考える頭や実行する意志を持たぬなら、他者に迷惑を掛けない世界に閉じこもってしまえと毒づいた。

「陽太、最後に生き残るのは力や権力が強い者でも立てる策が完璧な賢い者でもない」
「では何者が最後まで生き抜くのですか?」
「……何だと思う?」

 柔らかい色を含んだ恭様の声は、幼い頃から変わらない問い掛け方だ。
 瞬時に気を落ちつけて小首を傾げたオレを見て小さく笑う恭様の姿も、昔の記憶と違いがない。
 権力者や策士を上回る存在を思い浮かべながら、答えを探す。
 相手を支配する何かを認識させ、それを有効に使用して決して逆らわぬ意志を植え付けるには。
 うーん、と考えた後に出た、狂った歯車がかみ合うような閃きに自信が沸き上がった。

「拷問を好む者ではないでしょうか!」
「……」
「自由を奪った上で肉体的・精神的に痛めつける事により要求に従うように強要する。特に情報を自白させる目的で行われる事が多いですが非常に効果的だと思っています」
「拷問を好む者より強くて賢い者が相手の場合、それは実現できるか?」
「……難しいかと。それに、生き残るという事には役立たない気がします」
「もう少し考えてみるんだな」
「えぇっ、教えて下さらないのですか!?」
「あぁ、答えは保留だ。陽太への課題にしておくよ」

 自信のあった回答が間違っていた事と、恭様が正解を教えて下さらなかった事で二重の脱力感に襲われる。
 何とかして答えを聞き出さなくては、と決意新たに恭様を見上げれば、ニヤリと片方の口端だけを上げた恭様と視線が合った。
 その悪事を企んでいるような笑みを見ると、背にぞくぞくとした何かを感じる。
 そして、自分の考えは不正解でもない気がした。

 きっと恭様には誰も逆らえない。
 誰が絶対であるかを認識付け、決して逆らえぬよう意志をも支配する存在。
 楽しげに笑う恭様が幼い頃と重なる、なんて言ったら呆れられてしまうだろうから。
 オレは『幸せだなぁ』と頭でぼんやり考えながら、その感想は胸に秘めたままにした。



 が、次の瞬間に背後から掛けられた声に、その思考は一気に吹き飛んでしまった。

「それは残念でなりませんなぁ。是非藤見殿のお考えを拝聴しとうございました」
「「――っ!!」」

 声を掛けられるまで、気付かなかった。
 完全に気配を断ち切った白髪の男に、自分も恭様も全く気付く事ができなかった。
 まるで元からそこに佇んで居たような様子でいる、白髪の老人に。
 東条で出会ったどの鬼よりも強く面倒な相手だと直感が告げている。
 殺気は無いが、敵とも味方とも判断できない老人に凄みを利かせながら恭様の前に立つ。
 老人と恭様を結ぶ直線上に己が入る事で、仕掛ける間合いが十分になった。

「そう警戒されずとも、危害など加えませぬ。その証拠に、藤見殿の影獣も姿を見せておらぬでしょう」
「何者だ」
「東条に仕官する臣でございます。名乗るほどの者では……」

 余裕の表情で笑い、口髭を梳く老人の動きにさえ反応した自分の声は低く緊張をはらんだものだった。
 藤見の地でも滅多に出会う事のない強者を目の前にし、冷静さを欠きそうなほど興奮している。
 流石に自分から仕掛ける事はしないが、恭様に肩を叩かれて少しだけ落ちつく事ができた。
 元の位置に下がった事により、恭様の肩越しに老人の行動を監視する形となる。
 恭様と向き合った状態で一層深く笑った老人は、名も名乗らず先ほどの婿候補の男との一件を言の葉に乗せた。

「しかし藤見殿、婿候補同士で仲違いがあるなど感心できぬ事でございますぞ」
「……そう見えましたか」
「やや一方的ではありましたが、大きくは違いますまい」
「少し誤解があるだけです。話し合えば理解してくれます」
「さて、藤見殿の欠けた部分を探そうと目論む者の目を逃れられますかな? 上手く隠しているようでも、鑑識眼のある者ならば一目瞭然でしょう。欠けている事に気付かれるのは時間の問題。向き合わねば脆弱なままですぞ」

 聞き流せそうなほど軽い口調で言葉を紡いだ老人の指摘に、オレは全身の血が滾るのが分かった。
 今の言葉は、明らかにオレへ向けたものだ。例え視線が向いていなくても理解できた。
 恭様も老人がオレの何に対して指摘しているのか、理解されている。
 それを肯定するかのように、ピリッと痺れた空気が恭様から漏れ出した。
 後ろに居るオレには恭様の表情を見る事が叶わないが、背中から伝わるのは静なる怒りだ。

 隠すな、取り繕うな、逃げるな。
 突き刺さる老人の言葉に体が大きく反応し、額に汗がにじむ。
 いとも容易く見破られた素性と、わざわざ遠回しに告げられた事に焦りが生まれる。

 ――それ以上の会話は無かった。
 何も言わない老人が恭様に静かに頭を下げ、去っていくのを呆然と見ている事しかできなかった。
 そして老人が去った後も、恭様の機嫌は最悪だった。
 不快感を隠しもせず愚痴を零そうとされた恭様に、気落ちしたオレは自虐めいた返答をした。
 だが、逆にオレの弱音を聞いて、ここに居るはずのない老人にでも聞かせるかのように大声を出した。

「馬鹿言うな、お前が居なきゃ俺なんか何も出来ない。それに、そんな風に自分の事を悪く評価しても何も解決しないだろ」
「しかしオレは未だ――……!」
「じゃぁ俺達二人合わせて『無能主従』だな。お前と一緒なら有能や無能という評価なんて気にならない」
「……きょ、う様」

 そう言い切った恭様の眉間には又深い皺が刻まれていて、オレは妙に申し訳なくなって首を竦めた。
 しかしそんなオレの様子に気付いた恭様は苦笑を浮かべると、乱暴にオレの頭を掻き撫でた。

「お前が考えるほど、お前の欠点は俺にとって重要ではない。俺にとって重要なのは、お前が俺と肩を並べる意志を失う事だ」

 と、落ち込みそうになるオレに恭様は素っ気無く言いつける。
 笑って励ます方法ではなく、さも当然であるかのような物言いが恭様らしさを増していた。
 その言葉に嬉しくなって、いつも以上に頬を緩めて頷いたオレを恭様は苦笑一つで受け流す。
 しかし、その表情は次第に苦笑からむにゃむにゃとした笑顔になった。

 いつかきっと、近い内に、老人が指摘したオレの欠点が皆に知られる事になるだろう。
 驚愕されるかもしれない。笑われるかもしれない。蔑まれるかもしれない。

 でも、ただ一つだけ自信を持って言えることがある。
 恭様だけは、オレに驚愕せず、オレを笑わず、オレを蔑む事をしないと。
 いつでもオレの味方でいて下さる恭様だけは、オレとの繋がりを断ち切ったりはしない。

 じん、と胸が熱くなって、笑っている恭様に心の中で感謝した声もいつかは届くだろうか。
 そう考えながら、自室に戻る間は互いにずっと頬が緩みっ放しだった事に、また笑い合った。
 変わらぬ態度で笑う恭様が、オレには本当に眩しくて。
 目を瞑った時に流れた滴に、恭様は気付かぬフリをしてくれた――。

PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード