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へっぽこ鬼日記 幕間九(三)

幕間九 (三)

 豪商と言う呼び名の通り、戸館殿は金回りの良い者じゃった。
 戸館家と縁ある商人じゃという呉服屋と小間物屋の主人達は、媚び諂うように猫撫で声で品物を休まず勧めてくる。
 その度に、『姫の為に』『是が非にも』『無理を言って』等という恩着せがましい言葉を断るのは非常に疲れる。
 しかし己で豪語するだけあって、戸館殿の見立てる品は麻呂には真似できぬ組み合わせじゃった。
 一見、何の変哲もない一枚の衣が戸館殿の選ぶ帯や小間物によって、溜息が洩れるほどの変貌を遂げる。
 それがまた、東条の姫に似合うと思わずにはいられぬ品である為、端に追いやられた女中達も反論はできなかった。

 茶室の出入口を塞ぐほどに並べられた品と、それを広げる店員により他者の出入りを拒む。
 上質で品の良い物であるため、扱い方を知る戸館殿や店の者以外は雑に扱う事が出来ぬ。
 時折、今にも泣き出しそうな姫が寄り添う女忍に何かを耳打ちし、女忍が首を振る姿が見えた。
 それを更に拒む姫が女忍に縋り、根気負けした女忍が戸館殿の隙を見て天井へ向けて何かを呟く。 
 恐らく、藤見殿や女中頭へ状況を伝えるために天井裏の忍へ言伝をしたのであろう。
 声に出さず無音のまま口を動かしたのは、忍が使う伝言手段の一つで、戸館殿に気付かれぬ為。
 女忍は戸館殿を牽制する役目も担っておるので、姫から離れる事は許されぬ。
 もしこの女忍が姫の言い付けにより席を外したならば、獣の目をした戸館殿が姫に無礼を働く可能性は高い。
 忍の行き先が女中頭の元ならば、直ぐにでも女中頭が茶室へ駆け込んで来るはずじゃ。
 もはや藤見殿への妨害は十分じゃろうと考えておる麻呂も、本心ではそれを望んでおった。




 如何程の時間が経過したのじゃろうか。
 それは正確には分らぬが、随分と前に藍色が見え始めた空を目にした記憶が麻呂にはおじゃった。
 相も変わらず姫に近づこうとする戸館殿は、色恋沙汰に疎く経験も少ない姫に恐怖を植え付けておった。
 東条の地で大切に育てられ、歳近い男鬼とは必要な会話以外を許されなかった姫に、今の戸館殿は不快以外の何者でもない。
 藤見殿から向けられた愛情の溢れた目とは違い、その身に受ける東条の権力と美しい容姿への邪な感情。
 顔合わせの席で心根を正直に語った藤見殿を真似ておる部分もあるのか、何故か戸館殿は姫への感情を必要以上に出し始めた。
 それが姫の恐怖心を煽り、苦手意識に拍車を掛けておる事には気付いておらぬ。
 本当に、戸館殿は起こす行動の全てがずれた方向へ転ぶ者じゃのぉ。

 そろそろ解散しても良いのでは、と思いながら麻呂は何気なく郷田殿に目を向けたでおじゃ。
 すると郷田殿は、結果的に藤見殿への妨害が成功すれば良いと思っておるのか、戸館殿を全く気にかけた様子もなく、静かに目を伏せておった。
 ……どうやら、眠りに落ちておるようじゃ。
 陽気なのか、肝が据わっておるのか。
 出来る事なら麻呂も同じように、この場から意識だけでも飛ばしてしまいたいわ。

 この先に発展は見えぬと見切りをつけて、一言申して席を外そうと決めた時じゃった。
 呉服屋の主人が黒塗りされた箱から派手な打掛を取り出し、それを目にした戸館殿が興奮して声を荒げたのは。
 鼻息荒く近づいた戸館殿と姫の距離は、辛うじて女忍の分だけ距離が保たれておるという状態じゃ。

「やはり花姫様には、私の好きな黄金色の打掛を召して頂きたい! 一度合わせてみては貰えませぬか? 今召されておる打掛はお預かりしますので」
「っ、結構です、召し替えは自分で出来ます……!」

 無礼極まりない事に戸館殿は姫の召されておる打掛に手を伸ばし、己の手にある黄金色の派手すぎる打掛を押し付けようとしておった。
 これは傍観を決め込んだ麻呂でも、止めるべきじゃと思わずにはいられぬ。
 戸館殿を視線だけで殺めてしまいそうな女忍の我慢も、そろそろ限界のはず。
 何より、東条の姫が万が一にでも泣き出してしもぉた場に麻呂が居ったとなれば、藤見殿に何と思われるか。
 麻呂の保身の為にも、この場は戸館殿を落ちつかせる必要があると判断し、麻呂は然るべき言葉を選んだ。




 じゃが、そんな麻呂より一瞬早く茶室には重々しい声が響き渡ってしもぉた。 
 声の主である――、女中頭に出鼻を挫かれた麻呂は慌てて言葉を飲み込んだのでおじゃる。

「それ以上の無礼はお止め下さい、戸館様。姫様の同意なく触れようものならば、首と胴は繋がっておらぬとご覚悟なさいませ」
「な、何だと?」
「貴方様は婿候補という立場があるからこそ、生き長らえているのですよ。本来ならば不敬罪で打ち首されても不思議ではありませぬ。花姫様のご意向に逆らい、勝手極まりない行動を取り続けたのですから……」

 手にするのも躊躇うほど上質な品が無造作に広がる茶室内を気にも止めず、流れる動作で足を進めて来た女中頭の登場に、商人達はある方向を見て息を飲んで固まった。
 女中頭が現れた出入口の先には、腰に刀を差した東条の武士達。
 何故その方(ほう)達が居るのかは現段階では明確な答えを導き出せぬが、麻呂にとって良い方向でない事は確かじゃった。

「この商人達は誰の許可を得て入城しているのでしょうか?」
「許可したのは私だ。姫の為に、婿候補である私が呼び付けたのだ。東条の城下で商売する者なのだから、害は無いと判断できるだろう?」
「そんな事を理由に、害が無いと言い切るのでございますか? 戸館様はこの者達の素性を私共が納得できるだけ説明できると仰るのですか?」
「……全員とは言い切れぬが、ある程度は――」
「そんな危機感に欠ける心構えで、部外者を入城させたのですね。仮にも東条の長を目指そうとする婿候補の貴方様が、その程度の認識で」
「…………それは、」
「お前達も、許可なく商人を城内に入れて良いと思っているのですか。婿候補である事を盾に取られたとしても、許されぬ事は逆らってでも拒みなさい! 東条の武士を名乗るならば、間違った者を切り捨ててでも東条を守る事を心得なさい!!」

 ビリビリと肌身に刺激を受けておると錯覚する声は、確かな怒りを含んでおった。
 先ほどまでの意気は完全に消沈し、しどろもどろになりながら女中頭に反論する戸館殿に勝機はもはやない。
 そもそも、数刻前の女中頭との言い争いも裡念殿の事があって有耶無耶になっただけじゃ。
 女中頭の叱責を受けた武士に連れられて退室していく商人達を見る戸館殿の声は、ますます小さくなっていく。


 その様子を、圧し掛かる疲労感に耐えながら見ておった麻呂の耳に、小さな笑い声が入った。

「くくっ、戸館殿の策は予想通りの結果でございましたなぁ」
「――……郷田殿」

 いつの間にか、眠りから覚めておった郷田殿が言い争いをする戸館殿に目をくれて呟いた。
 その表情は、策を考えた戸館殿に同意したものとは別物。
 何かを値踏みするような印象を与える郷田殿のそれは、麻呂の警戒心を煽った。

「元より、戸館殿の策が成功するなど考えておりませぬ。某は武士でございまする。武士は己の役割を果たせば良いのです。それは別の目的で戸館殿の策に加担し、傍観された松倉殿も同じでござろう?」

 郷田殿は、戸館殿とは違っておった。
 郷田殿も麻呂と同じで、何か別の目的を持って戸館殿に加担しておったのじゃ。

「郷田殿は、なにゆえ戸館殿に加担を……」
「某は婿候補という地位が如何なる権力を有するかを確かめたかったのだ。戸館殿は裏の顔を持たぬので、先発隊にはとても相応しい方でござった。今回の戸館殿の行動で、どの程度の無礼が婿候補には許されるか十分に判り申した」
「なるほど、郷田殿も戸館殿を利用されたのじゃな」
「武士は正々堂々と戦うものであるが、時に状況を見定める事も必要。某の強さであり弱点でもある婿候補の権力を知り、最大限利用する事が某の目的でござる」

 利用、という麻呂の言葉に郷田殿は反論をせぬ。
 それは否定する必要がなく、その意を持っておったと肯定しておるからじゃ。

「しかし、あの女中頭は手強いでござるなぁ。さすが郷田家と肩を並べる程の武家の出身。女鬼である事が惜しまれます」

 感嘆の声を漏らす郷田殿の視線の先には、変わらず言い争いを続ける戸館殿と女中頭
 戸館殿が言葉を完全に失い、女中頭がより強く退室を命じた事が全てを終わらせた。
 郷田殿と話しておったので、戸館殿と女中頭の内容は知らぬが、退室の挨拶もせず飛び出してしまうほど辛辣な事を戸館殿が受けたのは理解できたでおじゃる。
 丸い顔を真っ赤に染め上げて、ドスドスと品の無い足音で去って行く戸館殿は怒りに震えておると見て取れた。
 それに続き最後にもう一度だけ喉の奥で笑った郷田殿は、未だ女忍に守られておる東条の姫に頭を下げて退室していった。



◆◇◆



 戸館殿と商人達、そして郷田殿の去った茶室には静けさが戻る。
 嵐が去った後は気を許す事が多いのじゃが、未だ退席せぬ麻呂に女中頭と女忍は不審を抱いた目を向けておった。
 麻呂もそれを重々承知しておるが、郷田殿とは違い己の目的を果たさず仕舞いでは、去るに去れぬのじゃ。
 麻呂の目的は、郷田殿の言う婿候補の権力を見定める事でも、戸館殿の目論んだ藤見殿の妨害でもない。


「婿候補の他に、邪魔をする者が居るようでおじゃりますな」
「……松倉様、何を根拠にそのような事を?」

 座したままで、退室の言葉とは違ったものを口にした麻呂に女中頭の冷やかな視線が注がれた。
 直に受けたのは初めてじゃが、確かに痛いほどの厳格な空気を感じるでおじゃる。
 じゃが、麻呂にも譲れぬ目的があるので、この場で引き下がるわけには行かぬ。
 麻呂の目的を果たす為に戸館殿には駒になってもろぉたが、麻呂には未だ駒が不足しておるのじゃ。
 麻呂の目的である藤見殿を得るために必要な、最も重要で有効な駒が――。

「藤見殿には、婿候補により姫との逢瀬が妨害された事を伝えましょうぞ。姫が常に藤見殿の事を気にされておった事も、姫には全く非がない事も……」
「それは……、私共には願ったり叶ったりな事です。しかし、事実を話せば松倉殿にとって不本意な状況を招くのではありませぬか?」
「そのような事は承知の上で加担しておったからのぉ。麻呂の印象が悪くなるのは確かじゃが、麻呂は麻呂で立ち回りを考えておる。本音を言うてしまえば、姫に加勢するのは麻呂の考えの一部に含まれておるのじゃ」
「……つまり、松倉殿の目的は」
「お主等と同じく、――藤見殿じゃのぉ」

 藤見殿を主として定め、心で感じる為に必要な環境を作り上げる事が、当面の麻呂の目的じゃ。
 その為には、最終的には捨て駒にしかならぬ戸館殿や郷田殿が必要でおじゃる。

「っ……、藤見様に、何を求めているのですか!?」

 女忍に守られ、戸館殿に向けられた欲に震えておった東条の姫が、麻呂の言葉に反応して声を上げた。
 他の婿候補には冷淡な目か、疑惑や困惑の目しか向けなかった姫の瞳に別の色が付く。
 麻呂の目的を果たす為に必要な、――最も有効な駒が、喰いついた。

「藤見殿に、麻呂は何も求めておりませぬ」
「で、では、何故藤見様にわたしの事を……?」
「藤見殿に求めておりませぬが、麻呂は藤見殿に『求めて欲しい』のでおじゃります」
「求めて、欲しい……?」

 恐らく麻呂は、そう遠くない未来に藤見殿へ自ら頭を垂れ跪くじゃろう。
 これは推測ではなく、何の確証もない気持ちから導き出された、――予感。
 恐らく……否、麻呂は必ず東条の地で他の婿候補を蹴散らす藤見殿の心に触れ、傅く事になろう。
 藤見殿の傍仕えを望み、松倉家の知を以って仕えたいと、藤の名だけでなく東鬼の全てを背負う方に縋るじゃろう。

 しかし、それだけでは麻呂の願いは叶わぬ。
 麻呂の祖父が、東条の先々代当主に縋っただけでは叶わなかったように。
 麻呂の一方的な思いだけでは藤見殿の傍に仕える事を許されぬのじゃ。
 じゃから、麻呂は藤見殿に『求められる者』でありたい。
 藤見殿の連れておる篠崎の名を持つ従者と同じように、藤見殿の信頼を得て従者を名乗りたい。

 知らず知らずの内に気付かされたのじゃ。
 藤見殿の築く主従の関係を、羨んでおる麻呂が居る事に。

「麻呂は、松倉信孝は、姫の御心に沿い藤見殿を東条の長として望んでおります。松倉の知を以って藤見殿に仕え、藤見殿に仕官する目的がある事を申し上げまする」
「――っ、では、松倉様は……」
「しかし現時点では、麻呂には思いも覚悟も不足しておると感じておじゃります。その不足しておる部分を手に入れ、藤見殿に仕える許可を頂ける者でありたいのですじゃ」

 東条の長になど、興味は微塵もおじゃらぬ。
 他の婿候補が東条の長になろうとも、麻呂には関係ないわ。
 麻呂の目的は、あくまで藤見殿。
 東条の長という地位は、藤見殿が就くかもしれぬ場所なだけで麻呂には関係ない。
 麻呂はただ、藤見殿が連れておる篠崎のように、信頼された上で松倉家の知を役立てたいのじゃ。

 心では、未だ理解できておらぬが……。
 この羨ましいという思いと、藤見殿に求められたいという感情が、近しい場所まで導いてくれると確信しておる。

「姫の目的は藤見殿。麻呂の目的も、藤見殿。麻呂は姫に協力し、婿候補という立場を利用して藤見殿を影ながら支えましょう。そして姫は必ず……藤見殿の心を掴み、少しでも長く東条の地に留まるよう尽力下さいませ」

 麻呂の言葉に、強い光を宿して頷いた姫との契約は成った。
 この契約は、互いの目的を叶えるための繋がり。
 藤の名を持つ男鬼を得るため、言の葉に乗せただけで証も何もない頼りない物。
 じゃが、麻呂にも、姫にも、互いを裏切らぬ自信がおじゃった。
 光を宿す姫の瞳が見えたように、姫の目にも強い思いを持った麻呂の目が映ったはず。

 麻呂は姫を裏切らぬ。
 麻呂が求める先に在る、藤の名を持つ鬼の隣には東条の姫が立つのじゃから。
 東条の姫は麻呂を裏切らぬ。
 姫が求める先に在る、藤の名と東条の名を背負う鬼の一歩後ろには篠崎の鬼と共に並び立つ麻呂の姿があるのじゃから。
 麻呂達は互いを裏切らぬ。
 互いが求める先に、藤の咲き誇る地で育った鬼が居るという、同じ未来を見ておるのじゃから――。


 そして、麻呂は東条の姫に申した通り、夜半過ぎに藤見殿を訪ねて妨害の件を語った。
 多くを語らずとも藤見殿は東条の姫に非が無い事を悟り、婿候補の妨害の目的を理解したのじゃ。
 麻呂の目的が松倉家の存在意義である事と、藤見殿に執着する理由も包み隠さず話し、一席だけ空いた傍仕えの場を望んでおると伝えた。
 藤見殿にとって、従者がどのようなモノなのかは未だ不明。
 しかし、麻呂は東条の姫の前で抱いた思いが己の本心じゃと気付く事ができた。


 月の美しい夜――。
 無人の廊下をヒタヒタと歩き、女中頭の待つ部屋へ足を運ぶ道中。
 藤見殿の部屋にて己の目的と心の内を正直に話せた事で、麻呂は胸のわだかまりが軽くなったように感じておった。

 もし願いが叶うのならば、空いた傍仕えの席に麻呂を座してくれぬかと、己の中でのみ言葉にしたのじゃった――
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