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ジュディハピ! ダイジェスト④

ダイジェスト(VS 生徒会顧問.Ⅲ~情報の更新と失態)
 ついに姫川さんが転校してくる前日となってしまった。残り二日だ何だと言っていたのにも関わらず、気付けば今は運命の日と称しても過言ではない日の前日の昼休みだ。
 読み終えた時に消えてしまった日記で得た記憶から考えた姫川さんの対策を実行に移すまでのカウントダウンは既に始まっている。
 念のためもう一度樹里先輩と連絡を取った方が良いだろうか、と思いつつ自分の教室を後にした私は本校舎から西校舎へ続く渡り廊下で体調が絶不調だと一目見ただけで分かる担任の六井先生と遭遇した。
 保健室へ送り届けるべきだろうかと考えた私は先生にその旨を伝えるが、どうやら風邪ではないらしい。
 詳しくは教えてもらえなかったけれど、代わりに先生の実家である「六井戸神社」の話と貴重な情報を入手した。

「先生、噂で聞いたのですが転校生が来るかもしれないって本当ですか?」
「転校生だって? 何だ、理事長から口止めされていたのにもう広まっているのか」
「く、口止め? どうして理事長が口止めなんか……」
「詳しくは聞いてないから何とも言えないが、明日から二年二組に女子が一人転校してくるぞ」
「女子の転校生ですか。……この時期に珍しいですよね」
「まあ、確かに。しかし本当に急で困ったもんだぜ。今日だって午後に学園を見学しに来るという連絡が入ったばかりなんだぞ?」
「………………は?」

 全身から血が引くような感覚とは、このことを言うのだろうか。サーッと頭先から背中を通り全身に冷たい戦慄が一気に走った。
 そんな私を心配した先生の言葉に甘えて、私は次の授業を休んで保健室へ向かった。
 そして早退許可証を手に、学園見学に来るという姫川さんを観察すべく行動を起こしたのだった。



◆◆◆



 早退許可証を片手に姫川さんと迎えの生徒会役員が最初に接触するであろう校門近くの茂みに隠れていた。遠すぎず近すぎない絶妙な距離に位置するこの場所は、この時の為に作られたのではないかと思ってしまうほど好条件だった。

 程なくして、校舎の方から一人の男子生徒が校門に向かって来る姿を茂みから確認できた。
 外国の血が強く流れているため日本人離れした金髪と青い瞳に細身でスラリと伸びた肢体を持つ、学園に通う生徒の中で二番目の実権を握る副会長、二宮玲。まるで童話の中から出てきた王子様のように甘い容姿で多くの女子生徒から絶大な人気を誇る彼が、予測通り姫川さんの案内役のようだ。
 そうして副会長の様子を茂みから見守っていると、甲高いブレーキ音と共に黒塗りの外車が門の前で止まった。ついに姫川さんの登場だ。
 スカートの裾を風に遊ばせて門をくぐり、副会長の正面までゆっくりとした足取りで近づいて可愛らしい笑顔で言った。
「貴方が私を案内してくれる人ですかぁ?」
 にっこりとした姫川さんの声色から『久しぶり』と聞こえたような気がしたのは私だけだろうか。
 "可愛らしい"を計算し尽くしたような仕草で副会長を見上げる姫川さんは、初対面ではさぞかし良い印象を与えているだろう。
 自己紹介を互いに済ませ、今回のループでも副会長の偽りの笑顔を指摘した姫川さんは、お得意の魅了の魔法で副会長を虜にした。
 辺り一面に漂う、胸焼けしてしまいそうなほどの強烈な甘い香り。
 これが姫川さんの魅了の魔法なのかと心の中で呟き、私は口元を押さえた自分の手に力を込めた。
 その間にも、姫川さんを優しく抱き寄せてから頬に口付けを送る副会長を見て、――これは未だ始まりにすぎないのだと底知れぬ恐怖に一人震えることしか出来なかった……。

 しかし前のループと違った事がいくつか起こった。
 ツッコミを入れたくなる二人のイチャつきを茂みの中で見ていると、それは私の予想に反する者達の登場によって簡単に妨害されたのだ。
 パタパタと足音を立てながら駆けてくるのは茶髪に緑目の同じ顔をした二人。副会長と同じ生徒会に所属する五宮兄弟だった。
 突然の双子の登場に少し驚いているような印象を受けた。恐らく今まで案内役といえば副会長がイコールで繋がっていたので、双子の登場が意外だったのだろう。そう分析している私も、早速起こった前の周との違いに少し困惑気味だ。
 それでも姫川さんはすぐに気を取り直し、今度は双子を虜にするために甘い言葉と香りで動いた。
 姫川さんの策略通り、うっとりと姫川さんを見つめる双子の一人。しかし、もう一人は少し様子が違っていた――。

 そして、「理事長が呼んでいる」と告げた双子に手を引かれて去っていく姫川さんの後ろ姿を見送った副会長。
 姫川さんの持ち物を運ぶためにこの場に残ったと思っていたのだが、その真意は別のところにあった。

「さて、これでゆっくり話ができますね」

 その言葉に、ぞくっと背中に悪寒が走る。
 まさかまさか、と最悪の可能性を浮かべながらも茂みの中で息を殺して副会長の次を待つ。
 自分の思い過ごしであって欲しいと心から願いつつ、茂みの隙間から副会長を窺っていると、次の瞬間、茂みの方向に副会長の身体が向き直った。
「出てきてもらえますか? もちろん、茂みで盗み聞きしている貴女のことですよ」
 私が隠れている茂みの方向に、ニッコリ笑った副会長のオーラはひどく濁って歪んでいるように見えた。
 平田加奈子、絶対絶命みたいです――。


◆◆◆


 副会長の般若のようなオーラと予期せぬDV、そして体の香りを嗅ぐという変態行為から守ってくれたのは、意外にもドジっ子魔法使いの丘野先生だった。
 最初は疑いの目を向けていた副会長だが、第一保健室の先生に言われて私を送る予定だという言葉を信じたようだ。
 遅れすぎた登場となった救世主のドジっ子魔法使いに背を押されながら第二保健室がある校舎に向かって歩き出すと、私達とは別の方向に歩き出す副会長の姿が確認できた。恐らく校門の近くに置かれたままの姫川さんの荷物を運ぶためだろう。
 しかし、私の頭からは副会長の様子がわずかだが変わったことが離れなかった。姫川さんに関心を示さないあの一瞬が、何かの糸口になるかもしれない。
 姫川さんの頼み通り荷物を運ぼうとしている副会長の行動にも色々な疑問が浮かぶが、やはり今の情報だけではどうすれば最良に繋がるのか答えは出なかった。

 場所は変わって、第二保健室。
 午後の残りの授業には出席しようと思ったので、早退する予定の私を車で送り届けてくれるという先生の申し出は断った。――だが……

「車? ああ、アレは嘘だよ。さすがに止めに入らなきゃ危なかったから咄嗟の嘘ってヤツ?」
「…………はい?」
「でもまさか女の子の髪を掴み上げるとまでは思ってなかったから、焦ったよー」
「え、あの、もしかして先生……」
「二宮くんって少し感情が不安定なのかな? あの可愛い女の子の時と全然態度が違ってたから驚いちゃった」

 こ、このドジっ子いつから見てたんだ……! と先生の思わぬ返答に私の背筋を冷たい汗が流れた。
 今の言葉から汲み取ると、先生は姫川さんにデレデレになった副会長を既に目撃していることになる。つまりそれは双子の登場より前には私と同じく校門付近に身を隠していたことになり、更に言えば副会長と姫川さんを観察していた私自身も先生にとっては観察対象だったということだ。
 私のように副会長に見つかっていない分、隠れ方も上手い。どの位置に隠れていたかまでは不明だけど、尾行も観察も私より上手いのは事実だ。

 しかも、言葉を紡げば紡ぐほど会話の成立しない先生との時間にイライラした私の身に、更なる災難が起こった。
 丘野先生に名付けられたと「イチゴちゃん」という意味の分からない愛称に物申そうとして過剰反応した私は椅子から落ちるという恥ずかしい失態をおかしてしまった。
 完全に今日は厄日に違いない、と虚しく思いながら何とか上体を起こし立ち上がるために体を横に向けた、その時……気付いてしまった。
 ――スカートが完全に捲れ上がってしまっていることに。
『?????っ!!??』と声にならない悲鳴を上げ素早くスカートを直して裾を強く握ったが、時既に遅し。
 掌に嫌な汗がじとじと浮かんでくるのを感じながら恐る恐る顔を上げると、片手で口元を覆って眼を見開いている丘野先生が何故か発表を主張する子供のように残りの手を元気よく上げていた。意味がわかりません。
 スカートの中身は確実に見られたと思うが、先生の行動は私の予測の範囲を完全にオーバーしている。
 そんな風に訝しげな表情で自分が見られていることに気付いた先生は、私の疑問に対して我を貫き通すという最悪な方法で答えを出してくれた。

「感想を言っていいですか」
「は? 感想って……っダメです、絶対にダメです!」
「色は清純派だけど意外と派手なデザインの下着にすごくときめきました」
「ダメだって言ったじゃないですか! 先生の変態っ、そんな感想必要ありません!!」
「だって加奈ちゃんからは連想できない下着だったんだもん。そのギャップにドキドキしちゃった!」

 ついでに『それと男はみんな変態です!』と開き直っている先生を殴り倒さなかったのを誰かに褒めてもらいたい。
 最悪だ、本当に最悪だ。何故なら今日の私の下着は、普段身につけているものより格段に大人っぽいデザインのものだったから。わざわざ先生がそのデザインを指摘する程には派手で、その中にも清純さを忘れさせない白色のそれは丘野先生に気に入られてしまったようだ。

「うっ、ううう……失礼します!」

 慌てて立ち上がった私は、ズバンッと扉を開けるにしては強烈な音と共に脱兎の如く第二保健室から逃げ出した。
 保健室を行くことを理由に休んだ数学の授業の終了を知らせる鐘が鳴り響く本校舎の廊下を走り抜けながら、私は『二度と第二保健室に行くもんか!』と誓って心の中でこっそり涙を流したのだった――



◆◆◆



 日付は変わって、今日は姫川さんが転校してくる日。
 何だか朝から教室内の空気が悪いような気がした。そわそわしている男子にそれを若干冷めた眼で見ている女子。その原因は確実に姫川さんだろう。いつも通りの時間帯に登校した私が昇降口で上履きにはき替えていると、数人の男子生徒が噂話をしていた。

『おいおい、二年の転校生見たか!?』
『見た見た! めちゃくちゃ可愛い子だったよな!』
『俺は見てないけど噂によると理事長の親戚なんだって! 何度か学園に見学に来てたらしいぞ!』
『じゃあ少し前から噂されてた謎の美少女って、その子だったのか? うっわ、お近づきになりてぇな!!』
『休み時間にクラスまで見に行こうぜ! 二年二組だって職員室で聞いてきたから』

 興奮した様子でそう話す彼等の脇を通り、こうして教室に来た私は誰にも気付かれないよう小さな溜息を吐いた。
 既に学園は姫川さんの話題ばかりで口を開けば『時期外れの美少女転校生が来る』だ。興奮しているのは多くの男子だが、良くも悪くも噂好きな女子が無関心だと言えば嘘になる。自分より優位なものに厳しい反応を示す者が多い女子達が『美少女』と聞いて静かな闘争心を燃やしているのが分かり、これから巻き起こる学園の混乱を噂話で盛り上げてくれているような気がした。

 そして、朝のHRの時間になった。

「朝からうるせーな、静かにしろ! ただでさえ頭が痛いってのに……」

 何故か苛々した印象を受ける六井先生の怒声に近い言葉に、廊下で騒いでいた生徒達が静まって各々の教室へ戻っていく。それは私達のクラスにも同じことが言え、廊下側の窓から姫川さんの姿を見ようとしていた男子達がバツの悪そうな顔をして自分の席に大人しく座りなおしていた。
 しかし、静かになったと言ってもやはり教室の落ち着かない空気は変わりない。
 そわそわと教室の出入口である扉の方を見る生徒達の出欠を手にしていた出席簿に記入し、簡単な連絡事項を終わらせた六井先生は仕方が無いといわんばかりに盛大な溜息を吐いて、生徒が待ち望んだ言葉を口にした。

「今日は転校生を紹介する。既に噂になっていると思うが――……姫川、入ってきていいぞ」
「もうっ! 湍先生ったら私のことは『愛華』って呼んでいいって言ったじゃないですかぁ」

 ガラッと扉を開け拗ねたような表情で姿を現したのは、私の一番思い出したくない記憶に焼き付いているその人だ。
 ふわふわとした色素の薄い髪に同じ色の大きな瞳。女の子の可愛い部分をこれでもかと詰め込まれた容姿を持つ姫川さんの登場に男子は手を打って喜び、女子は面白くないとばかりに唇を横に引き結んだ。
 ワッと沸き上がった男子達の歓声は他の学年やクラスの興味を惹くには十分すぎるもので、また姫川さんの心を満たすにも合格点をもらえるものだったらしい。

「初めまして、姫川愛華っていいます! 皆さん仲良くして下さいねっ」

 甘い香りと共に微笑んだ姫川さんは、誰が見ても可愛らしく守ってあげたくなるようなお姫様だった。
 その裏に欲に溺れる醜い女の部分を隠し持っているとは誰も気付くことができず、唯一それを知っている私だけがガラガラと何かが崩れ去る音を頭の奥で感じていた。
 今この瞬間から、私と姫川さんの学園の一年を巡った戦いの始まりが告げられたのだ――。



◆◆◆



 朝のHRで生徒達の目の前で六井先生にアプローチをかけるという行為をした姫川さんの悪評は女子の間で瞬く間に広まった。それとは逆に、男子の間では好意的な意見ばかりが口にされている。
 そんな中、私は六井先生のいる数学準備室を目指していた。先日授業を休んでしまったので、新しく習った所を説明するから、という理由で呼び出されたのだ。
 朝の一件もあり、敏感に反応している先生の親衛隊についても調査しようと思った私は早足で数学準備室へ向かった。
 そこで、思いもよらない話になるとも知らず――。

「平田、俺のことをどう思う?」
「先生のことですか? えっと、生徒想いな先生だと思っています」
「他には?」
「じゅ、授業が分かり易くて教えるのが上手だと……」
「それで?」
「え、よく生徒の些細な変化に気づくな、とも」
「そうか、続けて?」
「え、え? 親衛隊にも優しくて、統制が取れていてすごいと思います?」
「んー、その理由は?」
「先生が格好良くて大人だから……?」
「平田はそんな俺を、どう思っているんだ?」
「とても素敵な人だと思っています……って、先生近くないですか!?」

 一つ質問するごとに近づき、最後には鼻先が触れ合うほどに迫ってきた先生に驚いて完全に体重を後ろに移動させた。
 先生の重みも加わっているパイプイスにそれが合わさるとどうなるかなんて分かっていたくせに、こうせずにはいられなかった。だって、そうしなければ恐らく――……。



◆◆◆


 両親の帰りが遅くなるという連絡が入ったので、私は夕飯を手に入れるため自宅近くのコンビニを訪れた。
 しかし、そこには驚くべき人物がいた。――我らが四季ヶ丘学園の、生徒会長様だ。
 会長とバッチリ目が合ってしまい逃げるに逃げれない状態となった私に、会長は相変わらず店内の注目を浴びながら私の所まで足を運んできた。
 やはりというか何というか、会長は学園の制服に身を包んだ私に見覚えがあるらしく何人かの女性の名前をブツブツと呟いている。
 恐らく、私が以前会長に名乗った偽名を思い出そうとしているのだろう。『平野絵理子』という一般的な名前は簡単だから覚えやすいようにも思えるが、簡単すぎて逆に記憶に残らないという可能性もある。
 できれば思い出さないまま私を解放してくれないだろうか、という私の祈りも虚しく会長はふいに何かを閃いたような表情で私のことであろう名前を口にした。

「そうだ、お前は確か――……クマ子だったよな?」

 誰だそれ、という私のツッコミは引き攣らせている口から音となることはなかった。
 どうやら以前名乗った偽名は完全に忘れ去られているようだ。

「クマ子、話があるからついて来い」
「……それってもしかしなくても私のことでしょうか?」
「お前、自分の名前も分からないのか。かなり重症だな」

 重症なのはお前の記憶力だ馬鹿野郎ぉ! と叫びたいのを我慢して私は嫌々ながらも解放してくれる気のない会長に続いて俯きがちに店内を後にした。
 会長に連れられて来た場所は、先ほどのコンビニから歩いて数分の所にある小さな公園だ。
 そこで私は会長の家族の話と、とあるミッションを言い渡された。



◆◆◆



 そのまた翌日、普段通りの時間に登校していたら携帯がメールの受信を告げた。
 その内容は『校門で風紀の抜き打ちチェックがあったよ!』と既に登校した絵理から親切なものだった。
 まあ、風紀のチェックと言っても必須である学生証の有無と派手な装いの注意くらいだ。特に校則に違反する要素のない私には関係ないとも言える話なので、それに感謝の一言を返信してから慌てることなく足を進めた。
 程なくして学園の校門が視界に入り、風紀に見せるための学生証を取り出しやすい位置に移動させる。
 流れ作業に近いチェックは普通に歩くだけで勝手に風紀が目聡く違反者を見つけ出してくれるので、私のように後ろめたいことが何もない生徒は学生証を見せながら歩くだけで良い。
 だから、校門付近が混雑することなど殆どないのだ。……しかし何故か今はザワザワと騒がしかった。
 的中率の高い嫌な予感を抱きながら私は人垣が出来あがっている所より少し離れた場所で足を止め、その隙間から混雑を作り上げているであろう当事者が誰なのか確認した。
 それは案の定、風紀委員の中でも特に目立つ三人と姫川さんだった。予測を裏切らない彼等に、少しは私に希望を持たせて欲しいと涙したくなった。

「ど、どうしてそんな風に酷いことを言うんですか?」
「酷いことなど一言も告げていないだろう。校則に従わない君の方に非があると思うのだが?」
「でも私に似合っていると思いませんか? 可愛いでしょ?」
「はぁ……、君と話をしていると疲れる。今すぐ改善しろとまでは言わないから週明けまでに戻しておけ。そんな爪で勉学をする必要はないからな」

 なるほど、姫川さんが風紀に足止めされたのは長い爪に施された装飾が原因だったようだ。
 どうやら風紀委員長の辛辣な態度に泣き落とし戦法を使うことにしたらしい。瞳一杯に涙を溜めて細身の体を更に小さく見せるために俯かせ、か弱さをアピールするように震える。
 その瞬間、前にも嗅いだことのある甘い香りが辺りに充満し、私は鼻を押さえたくなる衝動を耐えた。姫川さんから発するであろう香りに過敏に反応してしまえば逆に悪目立ちすることに繋がると考えた末での行動だ。

 これで風紀委員長も副会長や双子のように姫川さんに好意を示し、前の周のように虜となってしまうのだろうかと、やるせない気持ちになった。
 ――だが予想に反して風紀委員長にはその効果が少なかった。むしろ効果ゼロなのではなかろうか、と見ているだけの私にも伝わってくるくらい風紀委員長の機嫌が急降下していった。

「まさか泣けば何でも許されると思っているのか? 見苦しいからやめろ」
「――……え?」
「君が泣こうが喚こうが君に処す罰は変わらない。元に戻した状態を風紀室まで見せに来るように」

 姫川さんの泣き落とし作戦をスパッと切り捨てた風紀委員長は容赦なかった。
 話は終わりだとばかりに姫川さんに顎で向こうに消えろと指示する風紀委員長が、少しだけだが格好良いと思えた。

 しかし、やはり天は姫川さんに味方しているのか。
 風紀の副委員長の八瀬くんと、九瀬くんは前のループと同じで姫川さんの虜になってしまった。
 遅れて登校してきた生徒会の双子も場に加わり、風紀委員長を責めるという構図ができあがる。
 しかも、姫川さんに対して頑なな態度の風紀委員長に対して漏らした九瀬くんの不満が原因で、二人は掴み合いのケンカを始めてしまったではないか。

 これはマズイ、と場の空気がさらに良くない方向へ向かう中、姫川さんはその状況を見てほくそ笑んでいた。
 誰も止める者がおらず、どうしたものかと困り果てたしのタイミングで――

「遅刻遅刻遅刻遅刻しちゃうよ、うわぁーん! 今日の先生は安全運転できなくて危ないから避けて避けて! ベルが壊れちゃってるから口で言うよ、チリンチリンチリン!!」

 柔らかなクリーム色の髪を寝癖だらけにした美形、ドジっ子魔法使いの乱入により何とか場は収まった。
 だが私以外は気づいていなかった。ドジっ子魔法使いを見る姫川さんの目が、妖しく輝いていたことに。
 姫川さんの次のターゲットが決定した瞬間だった――



◆◆◆



 丘野先生を発見した後の姫川さんの行動はとても分かりやすかった。
 男子に囲まれて立ち往生している隙に、一足先に第二保健室へ足を運んだ私はタイミングよく丘野先生に遭遇でき、室内に入ることができた。
 激マズ珈琲で人間性を試されたり、丘野先生の隠された秘密に触れたりと、正直経験したくなかった事が多々起こってしまったが……体を張った甲斐はあったと思う。

「良かったぁ、やっと丘野先生に会えた!」
「わっ、どうしたの急に抱き付いてきたりして。もしかして眩暈がした?」
「そうなんです! 少し具合が悪いので保健室で休ませてもらおうと思って」

 白いカーテンによってその現場を目撃することは許されていないが、二人の会話からそのシーンが容易に想像できる。
 丘野先生に会えた嬉しさから思わず抱き付き、それを言葉通り先生が眩暈でフラついたと勘違いしたのだろう。
 直接自分の目で姫川さんの姿を確認したいが、それは先生と二人っきりだったということを姫川さんに知らせる上に私の存在が姫川さんの中に強く印象づいてしまうので諦めた。

 しかし私は気づいた。気づいてしまった。ここでおとなしく物音を立てずにじっとしている方が得策だ、と思い立ったところで先生の言葉の意味にやっと気付いたのだ。
 ドクン、と心臓が大きな音で強く跳ねた。
 これは良い音ではなく悪い音だ。感心やときめきから出た音ではなく、丘野先生という得体の知れない存在に対して恐怖心を抱いたことで鳴った音だ。
 先生は私が何のために保健室に訪れて何を求めていたのかに、気付いているのかもしれない。
 先生と生徒が二人きりだという状況を誤魔化すために私を奥のベッドに移動させ、もしもの場合は窓から逃げ出せと指示したように受け取れるけれど、違った意味にも取れる。
 姫川さんが保健室を来訪するのを私が観察しようとしたように、先生も姫川さんを観察する私に気付いて接触をはかってきたのだと。
 形としては私の手助けをしているように見えるが、それは先生の掌の上で転がされているだけだ。先生がその気になればベッドに隠れている私を姫川さんに知らせることなど簡単なのだから。

 焦りと不安により額にうっすらと汗が浮かんだが、同時に偶然か必然か不明だが先生が作り出してくれた当初の目的を達成させるチャンスだとも思った。
 その思考により結論としてこのまま奥のベッドで二人の会話を盗み聞きすることを選んだ私は、丘野先生に言われた通り物音を立てないよう気を配り、一言も聞き洩らさないために耳を澄ました。
 耳で仕入れた情報でしか現場を想像できないが、どうやら今は具合が悪いと言って保健室に来た姫川さんを追い返すはずもなく、先生は室内に入るよう姫川さんを促して養護教諭の務めを果たしているようだった。
 これから私が耳にするであろう丘野先生と姫川さんの言葉に覚悟を決め、ゴクリと喉を鳴らした――。

 ――そして、その考えは程なくして大後悔へと変わる。

「きゃっ! 先生ったら草食系に見えて意外と肉食系なんですね?」
「そうそう先生はロールキャベツなの。お肉を野菜で包んでるだけで、いざという時は狼さんになっちゃうんだよ。ガオー!」
「やだぁ狼さんこわーい! 赤ずきんちゃんを食べてしまうつもりなんですね?」
「ぶっぶー! 狼さんの大好物はイチゴでーす」
「赤ずきんちゃんの持っているカゴの中にあるイチゴをカムフラージュに使うなんて、賢い狼さん♪」
「ガオー。イチゴを寄越しなさーい、ガオー!」
「あーんっ、赤ずきんはイチゴを渡せないから狼さんに襲われちゃう?」

 脳みそがピンク色になる病気に冒された二人の会話を耳にし、心身ともに疲れ果てた私は保健室の窓から逃げ出したのだった……
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